第3話 『助けてよ! お侍さん!!』

 天下泰平、世はべて事もなし。


 とはいえ、いつの時も街道には賊は出る。人里離れた寂しい場所にはあやかしも出る。

 古戦場の古城や旧砦には、そこに眠る財宝を狙った遺跡荒らしが後を絶たない。

 平和な世ではあるが、町の外で起こる細々こまごまとした厄介事の数々には枚挙に暇がないのだ。


 そしていつの頃からか、腕に覚えのある武士や術士が冒険者を名乗り、それらの対処にあたるようになった。

 その後、ようやく事を重く見た国からの肝入りで、正式な冒険者協会が設立されると共に免状制となり、今に至る。


 例え厳しい試験であっても、それさえ受かれば冒険者の資格が得られるとあって、危険な職務にも関わらず希望者には事欠かない。

 が、しかし、本当の冒険者足り得るのは、数多の冒険者の中でも一握りの者たちだけだということを肝に銘じてほしいのである。


————とある町の『冒険者募集要項〜序文』より



  ○ ● ○ ● ○



 まー、ぶっちゃけ、誰でもなろうと思えばなれるんだけどね——。


 菜の花色の旅羽織を着た旅姿の少年は、冒険者組合ギルド詰所の『冒険者募集』の張り紙を眺めながら思う。

 厳しい試験とはいえ、それを乗り越えて冒険者となった者は、決しては少なくはないのだが。

 ただ、本当の試験は免状を得た後なのだと思える。冒険者の資格は、自らの無事を意味する保証書ではないからだ。

 自分のような、命を失う恐怖より好奇心や冒険心が勝ってしまった、物好きな変わり者がやる仕事なんだろう。


 にしても、大した依頼も情報もないなあ——。


 東の都からそう遠くはないとはいえ、普通の旅人の足であれば、辿り着くには丸一日と少しは掛かるであろう距離に位置する宿場町。

 建物の外、出入口脇に設置された掲示板に張り出してある依頼といえば、報酬額もそこそこな、次の宿場に着くまでの短期の護衛仕事が大半を占めている。


 ようするに田舎なんだな、この町——。


 曲がりなりにも主要な街道沿いで栄えている宿場町なのだが、都育ちの少年には、そのようにしか思えない。彼は、まだ本当の田舎を知らないのだ。


 手に取った置き物の瓦版を見ても、


“————西の都より遣わされた術士が、東の都北部で起きた妖騒動を無事解決した”


“————将軍家に仕える名家の次期頭首が免許皆伝後、更なる精進のため武者修行の旅へ出た”


 とか、


“————西の都周辺で怪事件が大量勃発! 妖の仕業に違いない! これは怖い! 注意されたし”


 など、庶民の必要に応じてか、興味本位の記事が多く、少年の求める記事は載ってはいなかった。

 身分を明かして詰所に申し込めば、必要な情報も手に入り、護衛を依頼することもできようというものだが。


 それをやっちゃ、この旅の意味ないよね——。


 ため息をつく少年。


 でーもー、これで、やっと自由の身だーっ——。


 変装のために短く切った髪。心なしか悪い笑みを浮かべ、うれしそうに短くなった前髪を撫でる。

 そして、出入りする冒険者に紛れて組合ギルドの建物を離れると、少年は足取りも軽く歩き出すのだった。



  ○ ● ○ ● ○



「ふむ」


 木刀一振りを腰に差した若侍は、通りの横丁を少し入った所にある一膳飯屋の暖簾をくぐった。

 大通りの店のような華やかさはないが、小ぎれいで落ち着いた居心地の良さそうな佇まい。

 飯時ともなれば地元の民で賑わうのだろうが、今ならば落ち着いた時間を過ごせそうだ。


「飯を一杯頼む。それと……」


 今しがた煮上がったばかりであろう、若侍の好物でもある鍋から湯気の上がる豆腐を注文する。

 帯から引き抜いた木刀をいつでも手に取れる傍らに立てかけ、腰を落ち着けると、折よく給仕が料理を運んで来た。


 日頃、無闇に表情を崩さないのを旨とする若侍であったが、知らず知らずのうちに口の端が持ち上がっている。

 何事にも換え難いこの静謐なひと時、大通りの喧噪が遠くに聴こえる他は、店主が何かを刻む包丁の音だけが響いている。


 ふと目の端に何ものか動くのを捉え、若侍はそれとなく注意をそちらに向けると、派手な色の変わった格好の男が入って来た。

 あれは確か……作務衣とかいったか、鬼燈ほおずきの実のような色のそれは、寺社関係の者が何かの作業時に身に着けるものに似ているように見える。


 が、あの男の場合、神や仏に仕えているとも思えない風体だ。

 背丈は自分と同じ位のようだが、衣の上からでも判る鍛え上げられた身体。

 赤みがかった癖のあるざんばら髪を、襟足で無造作に結わえ、腰に得物はなし。

 足下の下駄は、やけに厚い底台に対して、その歯は太く低かった。


 一言で言うと胡散臭い、二言で言うと甚だしく胡散臭い、三言で言うと……。やめておこう、今は大切な食事の最中なのだ。


 この時間には珍しいが、近所で働く人足でも来たのだろう。若侍は、摘みかけた豆腐に意識を戻した。

 ややあって、丼に山と盛られた飯を、いざ口に運ぼうとしたそのとき、突然声を掛けられる。


「よぉあんちゃん、ここ、いいかい」


 片手に深めの杯、片手に豆腐の田楽を載せた皿を持ったその男は、若侍が顔を上げた時には、既に差し向かいの席に陣取っていた。


「わたしは、貴様のようなおっさんと、ツラを突き合わせて飯を食う趣味はないのだが」


「おっさんはひでぇな、こう見えて実は若いんだぜ。ま、確かにお前さんよりも年齢としいってけどな」


 男は無精髭を生やした顎に指を添え、髪の毛と同じ色の人の良さそうな目を細める。


「お前さんは呑まねぇのかい」


「昼間から酒を嗜む趣味もない」


「じゃあ田楽はどうだい。この店は豆腐料理の隠れた名店らしいぜ」


「わたしは、ひとり静かに飯を味わいたいのだ。構わないでもらおうか」


「つれねぇこと言うなよ、あんちゃん。今時ひとり飯は流行らねぇぜ」


 若侍は無礼な言葉に思わず男を睨み返し、柄にもなく言い返す。


「わたしは徒党を組むのが嫌いなだけであって、決してひとりぼっちなどでは……」


 その瞬間、すっと笑顔が消した男が低い声で囁いた。


「では刀はどうだい。そこにあるそいつ、本当は木刀なんかじゃないんだろ」


 とっさに持っている箸の先端を、目にも留まらぬ早さで男の眉間に突きつける若侍。


「試してみるか。もっとも貴様の相手は、これで充分足りそうだが」


 交差する視線、張りつめる緊張感。きんと凍るような冷たい空気が2人を包む。



「助けてよ! お侍さん!!」


 その静寂を一瞬で破り、飛び込んできたのは、菜の花色をした旅羽織の少年だった。

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