第4話 『つけられている?!』

「助けてよ、お侍さん。追われているんだ!」


 緊迫した空気をいとも簡単に打ち破り、ふたりの間に割って入る少年。ふたりの袖を引き、縋る様な瞳で見つめてくる。


「うむ」


 少年の真剣な表情に、傍らの木刀を手に、若侍はすっと立ち上がり、彼と共に店の外へ歩み始めた。

 ふと振り返ると、鬼燈ほおずき色の作務衣の男は、まだひとり杯を片手に、呑気に皿なぞ突いている。


「貴様は来ないのか」


 若侍の声に答える代わりに、作務衣の男は少年の台詞を繰り返した。


「助けてよ、お侍さん」


 どうぞ、とでもいうように、手の平を若侍に向けると、男は再び繰り返した。


「お サ ム ラ イ さ ん」


 ため息をひとつ。少年を促し、出てゆく若侍に男が声を掛ける。


「頑張ってくれよ、あんちゃん」


 再び歩き出す若侍の眼の片隅に、彼の残していった皿に手を伸ばす男の姿がちらりと残った。


 わたしとて、厳密に言えば、未だ侍とは呼べるような身ではないのだが——。


 文字通りの押っ取り刀で、店を飛び出したふたりだったが、町中は至って平常通り。怪しい者の姿は、どこにも見受けられない。

 しかし少年は油断することなく、辺りを見回している。若侍の袖を掴む手には、更に力が入り、事の次第を事細かに訴え始めた。


「町の出入り口前の冒険者組合ギルドを過ぎた辺りで、いきなり何人かの男たちが、こちらを指差すなり走り寄って来たんです」


「ふむ」


「それで驚いて、無我夢中で大通りを走って来て、この横町を曲がって、あのお店に入ったんです」


「そうだったか」


 若侍は、手にした木刀を腰に差すと、少年に横丁の奥を視線で示し、そちらへ歩き始めた。

 少年は、心配そうに後ろを気にながら、若侍の陰に隠れるように、やや後方をついて来る。


「君に追いかけられような事をした覚えはあるのか」


「いえ、勿論ないです。全然ないです」


「では、人違いの可能性というのはないか」


「それもなさそうです。あの時あの場にいたのは自分だけでしたから」


 町の出入り口付近、人の往来の一番多い場所。そこにいたのが、この少年だけとは——。


 若侍は、ふっと立ち止まり、少年の顔を見つめた。不安げに見つめ返す少年の眼に、嘘はないように見える。

 少年の顔を見つめたまま、ふいに若侍が呟いた。


けられている」


「えっ?!」


「走るぞ」


 そう言うなり、若侍は少年の手を引き、走り始めた。


「ちょっ、ちょっと待ってください」


 若侍は、少年の言葉には答えず、握る手を強めて走り続ける。

 ふたりはしばらくうねうねと路地を走り続けて、町の外れに近い倉庫街に辿り着いた頃、若侍はようやく握った手を緩めた。


「そこの建物の陰に隠れていなさい。話をつけてくる」


 言い残すと、彼は追っ手らしき人影に話をつけるため、ずんずんと力強い足取りで歩き出したのであった。



 追っ手の男たちを前に、腰のものも抜かず、構えも取らずにふらりと対峙する若侍。

 追って来たのは、きちんとした身なりの武士が3人。屈強な体付きながらも、歳のせいなのだろう。軽く息が上がっているように思われた。


 彼らを仕切っているのは初老に差し掛かった年頃の男。残りのふたりも、やや若く見えるものの、いずれも中年と呼んで差し支えないように見える。

 歳の割に、ここまで追いついてきたのは日頃の研鑽の賜物か。しかし現場の御役目からは離れて長いようだと、若侍は冷静に当たりをつけた。


 それにしては——。と若侍は考える。彼らとて旅の子どもを拐すやからには、とても見えないのだが。


「貴公らは何故わたしを追って来る」


 息を整えながら、初老の武士のひとりが答える。


「追っているのは、其方そちの方ではない」


 残りのふたりが若侍の横を通り過ぎ、あの少年が隠れているであろう方へと向かおうとした。


其方そなたらの事情も、概ねの事は判っておる」


「今は黙って、その者をお渡し願いたい」


 その瞬間のことだ。突然そのふたりの中年武士は膝を着いた。

 いつの間にか若侍の手には、件の木刀が握られている。


「待て待て、話をすれば判る」


「問答無用」


 音もなく木刀は振られ、残ったひとりの中年武士もどうっと倒れた。



 ありゃー、やっちゃったよ——。


 物陰から様子を伺っていた少年は、予想の遥か斜め上を行く出来事に目を白黒とさせている。


 なんか、とんでもないもの見ちゃった気がする——。


 始めから少年は彼らが揉めている隙に、こっそりとその場から離れようという企みだったのだ。


 そもそも、話合いとか言っといて、「問答無用っ!」はないだろ——。


 おそらく追いかけて来た武士たちは、町の警備を任されている公儀の役人だ。

 しかも、年齢的にみて位も高く、腕の方もかなり立つように見受けられる。

 向こうに敵意がないとはいえ、それを3人、ほぼ一瞬で切り伏せたのだ。しかも木刀で、だ。


 少年は自分の目は良い方だと思っていたが、それでも彼が何をやったのか、その目では追い切れなかった。

 いつの間にか腰から木刀を抜いて、それを何回かすいと横に薙いだようにしか見えなかったのだ。

 しかも、その間ずっと彼の注意は、こちらにも向けられていたのである。


 逃げ出す隙など、ひとつもあろうはずはなかった。



「無事だったか」


 若侍は、ことを終えると何事もなかったかのように、それまでと変わらぬ鹿爪しかつめらしい表情で少年の隠れている方へ歩いてきた。


「あ、ありがとうございます」


 少年は、その場から一歩も動くことも、若侍から視線も外すこともできず、やっとの思いで、その一言を口にするしかなかったのであった。

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