第5話 『断じて、見つめ合ってなどいない』

「それじゃ、これで失礼します」とは、いかないよなぁ。——。


 少年は若侍と肩を並べ、街道とは雑木林を隔てて平行に通っている、脇道を歩いていた。

 普段は地元の民が使っているであろう、その道は小街道といった赴きで整備が行き届いている。


 あー、でも待て待て。考えようによっちゃ、これは——。


 何事かに思いを巡らす少年は、若侍が声を掛けているのに気づかない。


「……なのか」


「は、はいっ。何でしょう」


「一人旅なのか。と聞いているのだ」


「そうです。東の方から来ました」


「子どもの一人旅は危ないな。連れはいないのか」


「子どもではありません。確かに大人と認められるには、もう暫くかかりますけど……」


「君も剣を振ってみたはどうだ。その様子では、身を守るすべなど、何の心得もなかろう」


「いえ、剣などは苦手なもので……」


 子ども扱いに、ぷくっと頬を膨らませる少年。若侍はそれには取り合わず、淡々と歩みを進める。

 相変わらず、無愛想で言葉数の少ない若侍。少年は、彼が先ほどからの一件に触れないことが、逆に少し怖い。


「あの、さっきの人たちは……」


 少年は矢も楯も堪らず、それとなく水を向けてみる。


「切先で軽く撫でただけだ。半時小一時間程で起き上がることができるだろう」


 そう言ったきり続く、長い沈黙。

 この分では、彼にも己の倒した相手が何者だったのか、察しは付いていそうだ。

 そして、追われているという自分の身の上もまた、大方のところは見抜かれているのだろう。

 わかっていて、こうしているのか。いったい何のために、こうして肩を並べて歩いているのか。


 無口で無愛想で、なに考えてるかわかんないんだけど、腕は立つんだよね——。


 横を歩く若侍の顔を、そっと見上げる少年。


「人目に付かぬよう、街道を避けているのだ。今は黙って歩きなさい」


 その心の内を読んだかのように、彼はこちらに顔も向けず、ぼそりと呟いた。



  ○ ● ○ ● ○



「いや、すっかり騒がせちまって申し訳ねぇ」


 男は、店主の親父と給仕の娘に向かって頭を下げた。


「いえいえ、それが私どもの勤めですから」


 丁寧な態度で、それに応える店主たち。


「さっきの飯と酒のお代だ。また頼むぜ」


「いつも、ありがとうございます」


 一回の食事代としては、かなり多い量の硬貨を、袋ごと渡しながら男は言った。


「あー、ついでと言っちゃ何だが、3人前ほど握り飯を作っちゃくんねぇか」



  ○ ● ○ ● ○



 また続く沈黙。初夏の風だけが心地よく吹き抜ける中、ふたりの足音だけが響く。


「あの方は来ないんですか」


 沈黙に耐えきれない少年は、余計なことだと、わかっていながら口を開く。


「あの方……とは。誰のことだ」


「あの時ご一緒にいた、おかしな格好の……お友達ではないのですか」


「うむ、あの者は友人などではない」


「えっ、でも差し向かいでご飯食べてましたよね。仲いいんですね」


「いや、決して仲など良くはない」


「そうなんですか。でも他のお客さん、誰もいないのにおふたりで食卓を囲んで。しかも飛び込んだ時には見つめ合ってたような」


「断じて、見つめ合ってなどいない。あれはあいつが、勝手にわたしの前にやって来ただけだ」


 そう言ったきり、また黙り込む若侍だったが、やがて誰に聞かせるでもない風にぽつりと言った。


「だが、かなりの手練れだった。何の気配も感じさせずに、いつの間にか、わたしの前に座ったのだ」



  ○ ● ○ ● ○



 3人の中年武士たちを助け起こしながら、男は彼らに声を掛けた。


「現場の御役目を離れて久しい其方そなたらに面倒掛けたな」


 腕を回したり、腰をさすったりしながら、我が身の無事を確認する武士たち。


「あなたもまた、何か厄介な任に就かれたようですな」


 彼らの言葉に、苦笑いで返す男。


「しかし、あの若者はむやみと強かったですな」


「何と言っても、あの流派の継承者ですからな」


 武士たちが談笑する中、男もそれに加わる。


「さて、頼んでおいた、もうひとつの件も手配できそうか」


「ええ、体力のありそうな者が、何十名か待機しております」


「相手はやたらすばしっこい上、目端も利く。子どもだからといって油断するなよ」


 暫くの合議の後、男は武士たちと別れ、どこへともなく走り去っていくのだった。



  ○ ● ○ ● ○



 夏の始まりとはいえ、陽が真上に来る頃はかなり暑くなった。

 脇道の両側にあった雑木林は、いつの間にか途絶え、辺りには不自然な空き地が広がっている。


 日差しを遮るものもなく、明るい光に目を細めるふたり。

 少年は沈黙に耐えられない性分なのか、先ほどから、言葉数の少ない若侍にあれこれと話し掛けていた。


「あれ、おかしいな。この辺りは、確か一面大豆畑だと書いてあったんだけど」


「うむ、わたしも確かにこの辺りは、大豆が名産地であったと記憶している」


 ぽつりぽつりと、雑草の生えた耕作地を、横目に眺めながら、ふたりは歩く。

 荒れ具合から、耕作が放棄されたのは、ここ最近のことだろうか。


「これじゃ、お豆腐が食べられないよー。名物だからって楽しみにしてたのにー」


「ふむ、名産品の畑を手放すなど、普通であれば考えられないな」


「近頃お代官様が代替わりしたみたいだから、そのせいかなー」


「この辺りの代官が代わったなどという話は、聞いてはおらぬぞ」


「お代官様ってのは、皮肉を込めてそう言ってるだけで、ほんとは三下手代らしいよ」


「ほう、やけに詳しいな」


「へへっ、事前に調べるだけはしといたからね。実際にここへ来るのは初めてなんだ」


 ほんの少々だが、自分の相手をしてくれるようになった若侍の態度に、嬉しさを隠せない少年。


 このまま、なんとか旅の仲間になってくれると良いんだけど——。



  ○ ● ○ ● ○



 さてさて、あいつら、いったいどこまでいっちまったんだ——。


 雑木林の間を抜けている脇道を、素早く駆け抜けながら男は考える。

 あんな騒ぎを起こした後だ。街道をそのまま進んでいるとは思えない。

 おそらく、こちらの脇道を進んでいるのは間違いない筈なんだが。


 それにしても、あいつら、思ったより随分と足が速い——。


 とにかく急がねばなるまい。彼らがまた何かやらかす前に。

 男は、駆ける足にいっそうの力を込めるのだった。

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