第24話 『なに故、君が、ここにいるのだ』

 ミトは、呆然とした表情で、倒れている娘を見つめ、たった今起きたばかりの出来事を思い起こす。


 この屋敷へ、共にやって来た娘と良く似た彼女。

 その口から噴き出した激しい火柱と、どこかへ飛び去っていった黒い火の玉。

 ミトの手にした宝珠は、ミト自身にも良く解せない力を発揮し、結果、娘は目の前に眠るように横たわっている。


 全てが一瞬の出来事で、訳の判らないことはなはだしい。頭の中を様々なものが巡り、ミトの心は千々に乱れるばかり。


 ミトの足腰は宝珠と同様、急速に力を失い、彼女は思わずぺたりと、その場に座り込む。

 彼女にできることと言えば、ただひとつ。ぼんやりと、てのひらの宝珠を眺めることだけだ。


 そこからは既に熱も光も失われ、昨日初めて手にした時のように、薄く黄色に透き通っているだけであった。




「おい、大丈夫か。怪我はないか」


 ジュウベエは、廊下にへたりこんでいたミトを見つけると、すぐさま駆け寄って、その傍らに片膝でしゃがむ。


「え……」


 心持ち高い位置のジュウベエの顔を見上げている、焦点の合わないミトの瞳が、彼の姿を映し出す。


何故なにゆえ、君が、ここにいるのだ」


 寝起きのように何度かまばたきをしたミトの瞳が、声を掛けているジュウベエの姿を遂に認めた。


「あれ……」


 途端に、ミトは目を丸くして、ジュウベエを指差すと、素っ頓狂な声を上げる。


「何でジュウベエが、ココにいるのーっ?」


「何でじゃないだろう。それはわたしの台詞だ」


 やれやれといった風にジュウベエは、額に手を当て、首を横に振った。


「人を指で差すのはめなさい。元気そうなのは何よりだが」


「むー。ワタシだってタイヘンだったんだからねー」


 仏頂面のミトは、頬を膨らませて、ジュウベエをジト目で睨む。


「そこのお姉さんと一緒に、許嫁さんを助けににきたのよ」


「ふむ。誰かと一緒だったのか。して、その者は今どこに」


 ジュウベエは、ミト越しに廊下の暗がり、玄関の方へと視線を走らせた。


「君の他には、誰もいないようだが……」


「そんなコトないよ。ここまで手を繋いで来たんだから」


 上半身を捻り、背後を振り返ったミトは、そこにいる筈の娘を目で追うが、彼女の姿は見つけられない。

 そのまま身体ごと向きを変え、四つん這いの姿勢で、あちこちに首を伸ばし、きょろきょろと探し続けた。


 しかし、それまでの出来事が、まるで幻であったように彼女の姿は、影も形もなく、既に消え失せてしまっている。


 ミトの目は、光が僅かでもありさえすれば、例え真夜中の森の中であっても、遠方までも見通すことができた。

 今もジュウベエの出てきた座敷から差し込む、灯りを頼りに目を凝らしているが、やはり娘の姿だけはどこにも見当たらない。


「おっかしいな。確かにココまで一緒だったんだよ」


 先ほどまでとは違い、良く見えるようになった目で、ミトは再び廊下の暗がりの先までをも見通し、何かを見つけた。


「あっ、でも何か廊下にいる。長細いもの、何だろ」


「ふむ。君はここで待っていなさい。わたしが取ってこよう」


 ミトと同じく、暗がりに視線を伸ばしていたジュウベエは、すっと立ち上がると廊下の先の闇へと消える。

 暗がりの中で影となったジュウベエは、躊躇なくそれを手に取ると、立ち止まることもなくミトの元へと戻ってきた。


「これは、見事な太刀だな」


 ジュウベエは、手にした太刀をミトに見せながら、感心したように呟く。


「ふーん、そうなの。ワタシは、刀のことは良く知らないんだけど……」


 そう言いながらも、ミトの太刀を見る目は、いつになく真剣そのものだった。


「うむ。これは、よもや……」


「コレって、もしかすると……」


 ジュウベエとミトは、同時に同じような呟きを洩らす。


「友人が愛用していた太刀ではないか」


「彼女が持ってたカタナっぽいかなー」


 ふたりは、思わず互いに互いの顔を見合わせた。


「ふむ。君に何があったのだ」


「ワタシは、お姉さんと一緒にこのお屋敷に討ち入りに、あー、そのお姉さんっていうのは……」


 これまでの事の成り行きを、一気に捲し立てるミトを、ジュウベエはなだめるように制する。


「うむ。さっぱり判らん。落ち着いて、始めからゆっくりと話してみなさい」


「宿で、キレイなお姉さんと出会って……」


 ミトは、冒険者組合ギルド詰所の出来事から、この別邸に至った経緯をジュウベエに語った。


「で、ワタシは、この宝珠をサッと翳して、バシッと言ってやったって訳よ」


「ふむ」


 得意気な顔のミトは、握りしめていた宝珠を、鹿爪しかつめらしい表情で話を聞いているジュウベエに見せる。


「でね、不思議なのが、そこのお姉さんなの」


「うむ。このむすめが何者なのか、それは、わたしにも判らないのだ」


 ふたりは、仰向けに倒れ込んだまま、ぴくりとも動かなくなった娘に目をやった。


「ワタシと一緒に、ここまで来たお姉さんと同じ顔なのよ」


「ふむ。消えてしまったという友人の許嫁か……」


 娘に視線を投げたまま、何事かを思案しているジュウベエに、ミトは思い出したように訝し気な表情を向ける。


「ところで。ジュウベエは何でここにいるのよ。このお姉さんと何をしようとしてたの?」


「わたしは、ふるい友人の見舞いに訪れただけだ。確かに途中、妙な話は聞いたが……」


 顔色も変えずにジュウベエは、これまでの出来事を手短にミトに聞かせた。話が進むに連れ、ミトの表情も和らぐ。


「弟さんかー。その話は知らなかったなー」


いずれにしろ、この娘を、このままにしておくことはできなかろう。少し手を貸したまえ」


 倒れたままの娘を、抱き起こしたジュウベエは、彼女の着物の乱れをミトに直すよう促した。


 ——この娘、先刻までは、顔つきが尋常ではなかったが。


 座敷の中ほどに寝かし付けた娘の表情は穏やかで、先ほどまでとは、まるで別人のようである。


 ——友の病と、何かしらの因果があるのだろうか。


 ジュウベエは、屋敷の奥を見据えると、外れていた襖戸を直していたミトに声を掛ける。


「わたしは、屋敷の奥へいってみる。君は、この座敷で待っていなさい」


「ええっ、ワタシも連れてってよー」


「その娘に、着いていてあげなさい。おそらく彼女は、本物の友の許嫁だ」


「ええっ、それってどういうコト?」


「目を覚ますことがあったら、その娘本人が語ってくれるであろう」


 娘の傍らに置いてあった太刀を掴んだジュウベエは、座敷を出ていこうとする。


「待ってよ。ワタシにどーしろって言うの」


「膝枕でも、しておきたまえ」


「ええっ!?」


「もう一つ、これは大切なことなのだが」


「うん、うん」


「屋敷の中では、履物は脱ぎなさい」


 それだけ言い残すと、廊下の暗がりの奥へ消えてゆくジュウベエ。


 その後ろ姿を見送ったミトは、振り返ると、座敷に臥している娘を不安げな表情で見つめるのだった。



  ○ ● ○ ● ○



 ハンゾウは、腰をついたまま動かなくなった男を一瞥すると、転がったままの黒の宝玉を拾い上げる。

 あの男が両の腕で抱えるほどの大きさだったそれは、今は小さく縮んで片手でも持ち上げられた。

 あれ程どす黒く染まっていた宝玉は薄紅色へと変わり、それはほんのりとした熱を帯びているだけだ。


「さて、と。もう少しだとは思うんだが……」


 手にした宝玉を、月明かりに透かし、ハンゾウはめつすがめつ、それを見つめる。


 床に臥している子息の表情はやつれ、その端々に苦悶の跡が見て取れた。

 子息の枕元に宝玉を置いたハンゾウは、その上に掌を翳す。


「まあ、とりあえず、やってみるとするか」


 ハンゾウが、宝玉へと力を流し込もうとした、その瞬間。背中の方から不安そうな声を聞こえた。


「のうハンゾウ。其方そなたにそんな器用な真似ができるのかのう」


「おっ、何だ。またお前か、ウツホラキリ」


「どうも、悪い予感しかしないんじゃが」


「今夜は良く出てくるじゃねぇか。何か心配なことでもあるのか」


「察するに、その石の中、閉じ込められているものを助けたいんじゃろ」


「ああ、いつもなら陣を作って術を施すんだが、今はその用意がねぇんだ」


「正直、其方が力加減を間違えて、中身諸共に、そいつを吹っ飛ばすのが目にみえるようじゃ」


「お前、俺のことを何だと思ってんだよ。さっきは巧いことやっただろう」


「あれは、儂の力と妖の身体越しだったからのう。たまたま力が良い塩梅になっただけじゃ」


「するってぇと何か、あれはまぐれだったとでも言うのか」


「有り体に言えば、そうなるのかのう」


「はぁー。別に否定はしねぇよ。その通りさ。俺も、てめえじゃ判ってるんだ」


 自嘲気味な笑みを浮かべるハンゾウ。

 背中のウツホラキリは、もう何も言わないのであった。

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