第23話 『怨霊退散!』

 ミトは驚きの余り、思わず大声を上げてしまった。

 だが、しかるのち、倒れ込んできたその娘の顔をじっと見つめている。


 飛び出してきた座敷から、廊下へと差し込む灯りに照らされたその顔。

 それこそは、この屋敷へと一緒にやってきた、あの娘のものに相違なかったのだ。


 えっ、えっ、このお姉さんは誰? 双子? 偽物?——。


 混乱するミトの心に、どこかで何者かが、激しく争っているような声が流れ込む。


 これは私の身体ものよ。早く返しなさい——。


 お前のような小娘如きに、遅れを取るわらわではないわ——。


 その声が、倒れ込んでいる娘から聞こえてくるような気がしたミトは、彼女から目が離せない。


 苦し気な顔で、胸の辺りを掻きむしる娘。しかしその視線は、誰かがそこにいるのか、座敷の奥を睨んだままだ。


 その横顔から伺える目つきは、同じ娘のものだとは思えないほど鋭く、その表情は、怒りと憎しみに満ちている。


 顔立ちの美しさが故に、その憤怒の表情からは、より一層の恐ろしさが際立ち、尋常ではない雰囲気が溢れ出していた。


 その美しくも恐ろしい娘が、傍らに立つ者の存在に気付いたのか、半身をゆっくりと起こしつつ、その顔は少しづつミトへと向けられる。


 知らず知らずのうちに、後ずさりをし始めるミト。しかしその瞬間、ミトの懐のうちにある宝珠が、収めている袋越しにも判るほどの熱を帯び始めた。


 と同時に、後ろ手に繋いでいた娘の手が、ほどけてゆく感触を覚える。

 思わず、後ろを振り返ろうとするミトに、どこからか、あの娘の声が届いた。


 私には構わず、あなたの魂の力を使うのです——。


 ミトは、咄嗟に懐より熱を帯びた宝珠を取り出す。てのひらの上のそれは目映いばかりの金色に光輝いていた。


 娘の半身が、完全にこちらを向き、その恐ろしい視線がミトを捉える。ミトもまた、その視線に負けじと娘を睨み返す。


 ミトを睨む娘の瞳が、一瞬ではあるが、ミトの見知った娘のものとなり、何かを訴え掛けるように微かにまたたいた。


 その視線に応え、宝珠を娘の前に掲げたミトの心のうちに浮かんできたのは、いつか兄様から聞いたおとぎ話。


 主人公のオンミョウジの決め台詞を、今こそ正確に思い起こし、その呪文のような言葉を力の限り叫ぶ。


「オ ン リ ョ ウ  タ イ サ ン ッ !」



  ○ ● ○ ● ○



 ハンゾウの周囲には、たった今切り裂いたばかりのあやかしの破片が、其処彼処そこかしこに飛び散っている。


 それは真っ黒な液体の詰まったた風船を、まるでハンゾウの足下目掛けて叩きつけたかのように、四方八方へと広がっていた。


 ぱっくりと綺麗に真っ二つに切り裂かれた妖は、双方とも半球の形を保ったまま落ちていき、そのままハンゾウの足下でぜたのだ。


「まったく、えらい目に遭ったぜ」


 手にしたウツホラキリのやいばに僅かに残る妖の欠片を、斜めに一振りして払い捨てる。


「お疲れさん。今度も助けられたな」


 その刀身をくれないに染めていたウツホラキリも、今は力尽きたかのように元の色に戻っていた。

 無言のウツホラキリを、やはりハンゾウも無言で一目すると、背中の鞘に収める。


 背にした廊下の方から、何やら騒がしい気配が近づいてくるのを感じたが、今は目の前のこの男だ。

 黒い宝玉を持つ男の手は、わなわなと小刻みに震え、その目は大きく見開かれ、ハンゾウを見据えていた。


「ばかなっ。信じられん……」


 たった今、宝玉から滴り落ちた妖が、ハンゾウを捕らえ、飲み込んだばかりだったのだ。

 ハンゾウの腰辺りから上はすっぽりと球体の化した妖に覆われ、下方に伸びた脚はぴくりとも動かない。

 このまま、妖に喰われてしまうのも時間の問題。不気味な笑みを、男が深めたその時のことだ。


 真っ黒な球体の上部に深紅の光が走り、裂け目が下へと広がる。やがて光は球体を真ん中で左右に分かつ一筋の線を描き出した。

 一筋のくれないの光は、黒い球体を割り裂くかのように広がり、その裂け目から、今度は真っ白な光が溢れ出す。


 座敷全体に光は広がり、男の目をも眩ませた。男に視界が戻った時、目に入ったのは無傷のハンゾウがウツホラキリを片手に立っている姿だったのだ。


「どういうことなのだ、いったいこれは……」


 先だっての虚に付け込まれた驚きとは別物の、文字通り信じられないものを見た衝撃の中から、男は未だ抜け出せない。

 ハンゾウの挙動から目を離せなかった男は、ふと手にしている宝玉に違和感を感じて、視線を手許に落とした。


 まるで周囲の心の闇を一身に集めたかのように、黒く輝いていた筈の宝玉は、その中心から少しずつ紅味あかみを帯びた色へと変わりつつある。

 違和感の正体は、宝玉の放つ熱であった。宝玉が紅に染まるに連れ、熱量は増え、もくもくと煙のような白いもやを立ち上らせた。


 やがて、遂には持てない程の熱さとなった宝玉を、男は手放す。

 どすっと重た気な音をたて、深紅の宝玉は畳の上を転がった。

 未だ白い霞を吹き出し続ける宝玉を、呆然とした表情で見つめる男に、ハンゾウは、無造作に近づいて行く。


 床に臥せっている子息の前で歩みを止めたハンゾウは、男に鋭い視線を投げかけた。

 男は、その視線気付くと、我に返ったように、慌てて腰に差した刀に手を掛けるのだった。


「やめときな」


 ハンゾウは、男が抜こうとしている、その腰に差された得物には見覚えがあった。


「お前なんかに、そいつは扱えないだろうぜ」


 黒光りする太い鞘に、黒い革で巻かれた柄。鍔のない合口拵あいくちこしらえで、一見木刀のようにも見える、少し反りのある刀。


「まあ、俺のカンってヤツなんだけどな」


 男が手にしているそれは、おそらくはジュウベエの愛刀。

 無銘ではあるが、彼が振れば、斬れぬものなどないかのように思わせる刀。


「でも、俺の見立ては間違っちゃいねぇと思うぜ」


 ハンゾウの言葉など耳に入ってはいないように、男は腰を落とし、柄を握ると、片方の手を鞘に添え、その親指で鯉口を切る……。


 だが柄の縁と鯉口は、ぴたりと互いを吸い寄せているかのように、全くもって動きはしない。


 業を煮やした男は、遂に鞘毎腰から引き抜き、眼前に持った刀を両の腕で左右に引っぱり始めた。


 しかし、それでもその刀は抜けない。諦めた男は、鞘ごと、それを滅茶苦茶に振り回す。

 剣術の型も何もない。男のその様を見ていたハンゾウは、溜息をひとつ吐くと一足飛びに、彼の間合いへと飛び込んだ。


 男の振り回す刀を、ひょいと難なく搔い潜り、ハンゾウは彼の胸をぽんと軽く平手で突く。

 身体の平衡を崩された男は、あっけなく尻餅を付くと、開け放たれた障子戸を越え、濡れ縁から庭へと転がり落ちてゆくのであった。



  ○ ● ○ ● ○



 ジュウベエは、瞬時に周囲へと視線を走らせ、不審な物音が響いてきた方角を探り出す。


 病に臥せっているという友人。その見舞いに出掛けたきり行方不明の許嫁。その双方が囚われているとしたら……。


 ふむ、やはり怪しいのは最奥の座敷か——。


 しかし今度は、後ずさりしていた娘が、大きな音を立てて、襖戸ごと廊下へと倒れ込むのが目の端に入った。


 時を同じくして、どこからか、少女の高らかな声が響き渡ると共に、目映いばかりの金色の光が広がり始め、それはジュウベエをも包み込む。


 ひとしきり輝いた光が収まった頃、視線を足下へと戻したジュウベエは、倒れ込んだ娘の様子がおかしいことに気が付いた。


 娘は、苦悶の表情のまま、胸を掻きむしるような態勢で、気を失ったかのように動かなくなっていたのだ。


 その、だらしなく開けられた口元からは、ゆらゆらと、どす黒い炎が立ち上り始めているのが見えている。


 一瞬で天井まで届くような高い火柱となったその炎は、鴨居付近で黒く大きな火の玉のように纏まると、廊下の奥深くへと飛んでいってしまった。


「なんという面妖な……」


 その一部始終を見ていたジュウベエは、火の玉の行方を目で追ったまま、思わず驚嘆きょうたんの呟きを洩らした。


 その時、倒れ込んでいる娘の傍ら、廊下の暗がりの奥から、聞き覚えのある声が聞こえる。


「なんだったのアレは……」


 訝しむジュウベエは、声の主を求めて廊下へと踏み込む。


 そこで彼が見たものは、その場でへたり込んでいるミトの姿なのであった。

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