第22話 『あなた、いったい誰なのっ?』
ハンゾウは、頭上に構えたウツホラキリが、次第に熱を持つと共に、
握った柄が熱くなってゆくのを感じた彼が、上を見上げると、黒い粘体の向こう、真紅に染まった刀身があった。
なんだよ、お前まで
仕方あるまい。今や儂と
なんか、言い方がイヤらしいぞ——。
そうは言うても、本当に一杯なのじゃ。一杯過ぎて、もう溢れそうじゃ——。
だから、イヤらしい言い方は
早くっ。早くこの溢れる力を、外に向かって放ちたいのじゃ。頼むから、早く出させてくれっ——。
どうしたんだ、お前。何かおかしいぞ——。
おかしいのは其方じゃ。妖に吸い取られかけてるというのに。なんじゃ、この強い力は——。
確かに、昨日よりは、お前に力を送りやすくなってるな——。
ハンゾウは、腹で練った気を、力へと変えて、握った柄よりウツホラキリへと次々と送り込む。
先ほどまでよりも、更に多くの力が、ウツホラキリへと一気に飲み込まれていくのが感じられた。
ウツホラキリからは、握っている柄のみならず、その深紅に染まった刀身からも、熱を発しているのが伝わってくる。
ハンゾウ、もうだめじゃ。そんなに一気に強い力を送り込まれては、もう逝ってしまいそうじゃ——。
その誤解を招くような口ぶりは止めろって、何回も言ってるだろう——。
そう言いながらもハンゾウは、両腕に渾身の力を込めて、真っすぐにウツホラキリを振り下ろした。
水中で剣を振っているかのように、ウツホラキリを握る手には、じんわりとした抵抗が掛かる。
だが、その
○ ● ○ ● ○
ジュウベエは、見下ろした娘に、ずいと迫る。その表情は険しいままだ。
娘は、ジュウベエが一歩踏み出す度に、口惜しそうな顔で彼を睨み、後方へと後ずさった。
出入り口である襖の前まで娘を追い詰めたジュウベエは、彼女の前に片膝でしゃがみ込む。
彼の発する気合いは、手刀でさえ人の首を
しかし、その強い視線は娘を捉えたまま、ふと険しかった表情を緩めると、彼女に優し気な口調で告げた。
「誰かが尋ねてきたようだが、
あれ程の強い気合いを、一瞬で収めたジュウベエの目には、怒りの色が消え、代わりに哀れみが浮かんでいる。
はっとした表情となった娘は、思わず襖の方へと振り返ると、ジュウベエから逸らした視線をそちらへと向ける。
「先刻、わたしを迎え入れた使用人の男も、動いてはいないようだが。大丈夫なのか」
娘は、襖を通して、まるでその向こう側の様子が判るかのように、玄関のある方向をじっと見つめていた。
「客人は、勝手に上がり込んで来ているようだぞ。こちらに近付いてくる気配を感じる」
ジュウベエの耳には、そしておそらくは娘の耳にも、どこからか何者かの忍ばせた足音が届く。
「わたしの友人と、その許嫁を愚弄したことは、なかったことにしてやろう」
忍んでいた足音は、何度か立ち止まり、しかし、いつしか力強いものとなって、この座敷へと近づきつつあった。
「わたしを
娘は、襖の方へと向けていた顔をこちらに戻すと、何事か思案しているように視線をジュウベエの足下へと落とした。
「其方も、友人に仕える使用人の一人であろう。いって勤めを果たしてくるが良かろう」
ジュウベエは、無言のまま俯く娘を、いまや完全に怒りの色もなく、いつも通りの鹿爪らしい顔で見つめている。
暫くすると、静かだった邸内のどこかで、まるで巨大な西瓜か何かを、思い切り地面へと叩き付けたような音が響き渡った。
次いで聞こえてきたのは、ごとりという重い何かを、どこか高い位置から取り落としたような音。
それから、どさりと何者かが、庭の方へと倒れ込むような音までも聞こえてくる。
反射的に立ち上がったジュウベエは、音が響いてきた方向を探るべく、素早く辺りに視線を走らせた。
それと時を同じくして、俯いていた娘は、突然苦し気に胸の辺りを押さえると、そのままばったりと仰向けに倒れ込むのであった。
○ ● ○ ● ○
ミトは、娘の手を引き、遥か遠くに見える
既に、足音を忍ばせるのは諦め、両の脚に力を込め、力強く足下を踏み締めて歩みを進めた。
足下は板張りの廊下の筈だが、不思議なことに自分たちの足音すら聞こえてこない。
それどころか、邸内はしんと静まりかえったまま、そこに足を踏み入れた頃より、何の物音もしないのだ。
暗闇が辺りを支配する、静寂なる世界。聞こえてくるのは、自分の息づかいと心臓の音だけである。
いったい、どれだけ歩いて来たのか。もうずっと歩いている気もするし、まだ僅か数秒しか経っていない気もしていた。
まったく、いつまで歩けば、あそこまで辿り着けるのかしら——。
もう少しですよ。もう少し歩けば、きっと辿り着きます——。
ミトは心の中だけで愚痴ったつもりだったのだが、口を
娘から、ミトの心の中へ直接響いてくるような、不思議な声で応えがあった。
今はまだ
すごーい。そんなこと判っちゃうの? すごい霊感ね——。
私も、つい最近までは霊感どころか、妖と遭ったこともなかったのです——。
そうなの? ワタシも妖ってヤツに
私を
そこまで話した娘は、その続きをミトに告げることを戸惑っているかのように押し黙る。
ミトも黙ったまま娘と繋いでいる手に力を込める。彼女の手に勇気付けられたかのように娘は話し始めた。
その者とは、これまでに
最初に顔を合わせた日から、その者は顔は笑っているのに、目だけは笑っていない。もともと、あまり信用ならない相手だとは思ってはおりましたが——。
それでもその時までは、その者も常識外れで、世間知らずで、何かを勘違いしている、ただの人であったように思います。でも——。
先ほどと同じように、娘は言い淀む。しかし今度は、短い沈黙の後で、そのまま話を続けた。
私は、恐ろしいのです。その者のことを思い出すことが……。けれど、あなたには話しておかなくてはいけませんね——。
ミトが、何と返事を返したものかと思案しているうちに、娘は再び話の続きを始める。
その日は、あの竹の小径からして既におかしかったのです。昼間だというのに薄暗くて、何度も同じ所をぐるぐると巡っている気さえしましたわ——。
それでも私は許嫁のあの方に会いたい一心で、一生懸命に歩き続けましたの。そうしたらいつの間にか、突然このお屋敷の前に立っておりましたのよ——。
安堵した私を出迎えたのが、使用人の振りをした、あの者だったのです。始めは私も気付きませんでした。随分と風貌が変わっていたものですから——。
その時には、既に相手の術中だったのかもしれません。何の疑いも持たずに、まんまと敵地と化した、この邸内に足を踏み入れてしまいましたの——。
そして、あの者が黒い宝玉を手にして、私へと迫ってきたその時は、まるで他の人、いいえ、人ではない何かが取り憑いていたかのような表情でした——。
それは恐ろしい顔でしたわ。けれどもそれ以上に恐ろしかったのは、その者が私へと翳した宝玉の中に、人ならざるものが浮かび上がっていたことなのです——。
その宝玉が、私の身体から一瞬で力を奪い去り、魂をも奪おうとした時、それはもう必死になって、全身全霊を込め、意識がなくなるまで
その甲斐があって、ふと目覚めると自由な身になっていたのです。少しだけ動くのに不自由がありましたが、慣れれば何とかなる程度のものでした——。
あの者たちの隙を見て逃げ出すと、態勢を整えたところで、あなたに出会ったのです。あなたの持つ、不思議と清らかで温かな光を放つ宝珠に心を惹かれて——。
あの者が持つ黒い宝玉が魑魅魍魎だとしたら、あなたの宝珠は汚れのない魂そのものだと思いますわ——。
そこまでを一気に話し終えた娘は、ふうっと溜息をついたかと思うと、繋いだミトの手を、再びぎゅっと強く握り締める。
と、その時である。遥か遠くに見えていた
一瞬の眩しさに、ミトが思わず目をつぶると、どさっという音と共に、足下に何者かが倒れ込んできたような気配がする。
恐る恐る目を開けたミトの目に入ったのは、後ろで手を繋いでいる筈の娘が、襖戸ごと仰向けに倒れ込んでいる姿だった。
「きゃあっ! あなた、いったい誰なのっ?」
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