第12話 『屋敷の主が許嫁にてございます』

 ミトの前に、そっと佇む謎の女性の姿を、冒険者組合ギルドから漏れ出している灯りが照らし出す。

 どこかの道場の娘であろうか。一見しただけでは、その素性は判然としない。


 その娘は、剣術の道着にたすきを掛け、女性にしては上背のある、すらりとした細身の体躯に、それとは似つかわしくない、長い太刀を腰に佩いていたのだ。


 これからどこかへ討ち入りにでも行くかのような格好。防具の類いは着けてはいないようだが、前髪を上げて露となった、その小ぶりな額に巻かれたた鉢金が勇ましい。

 長い黒髪を、後ろで馬の尾のように纏め、上品そうな顔立ちに、大人びた表情を浮かべる気の強そうな瞳も、しかし今は憂いに満ちていた。


 綺麗なお姉さん——。


 日なかに邂逅した、同胞の女性は、ミトよりも遥かに長い時を過ごし、数多くの経験を積んでいるにも関わらず、可愛らしさを失わない大人の女性だった。

 ミトが見とれている、この娘はジュウベエ辺りと比べると、少し歳は下に思えるが、共に旅をしているジュウベエと同様、大人の佇まいを醸し出している。


 こんなに綺麗なお姉さんが、しかも武芸者のような姿で、荒くれ者の集団のような冒険者たちに何の用だろう——。


 俄然、好奇心を刺激されたミトは、思わず娘の手を取って、月の明かりが差す通りを、どこへ向かうでもなく歩き始めた。


 一日の任務を終えた冒険者たちは、日頃は如何いかに腕が良かろうとも、今はただの酔っぱらいの集まりだ。

 ミトにとっては、そんな中へ何かを思い詰めたような表情の、この娘を連れていくというのははばかられることであったのだ。

 また娘の方にも、あの任務終了後の冒険者よっぱらいたちへ、何かを依頼しにきたという様子は伺えないのだった。


 お力を貸して欲しいのです——。


 ミトと並んで歩く娘は、暫し何かを口にすることを躊躇とまどっていたが、その名を名乗り、ぽつりぽつりと語り始める。


 自分の大切な人が、突然何者かの手に依って囚われの身になってしまったこと。

 助けにいったものの、返り討ちに会って、自分までもが囚われてしまったこと。

 やっとのことで、何とか自分だけは逃げ出せたものの、大切なその人を連れ出せなかったこと。


 今宵、もう一度助けに参りたいのです——。


 ふいに娘は足を止めると、ミトの顔をじっと見つめ、彼女にそう告げる。

 月の明かりに照らされた娘の表情は真剣そのもので、それが嘘や冗談ではないことを示していた。


 どうしよう——。


 ミトは迷っていた。綺麗な武者姿のお姉さんに心惹かれて、話を聞いてきたものの、果たして自分が力になれるものなのか。

 ジュウベエか、ハンゾウが戻ってくるまで待って、帰ってきた彼らに力添えを願うのが得策ではないのか。

 気がつけば、月は頭上高く登り、ふたりは城の正門通じる、武家屋敷が並ぶ広い通りにまで至っていた。


 あなたが良いのです——。


 ミトの迷いを見透かしたかのように、娘は彼女に真摯な眼差しを向けてきた。

 この世のものとは思えないほど、透き通った美しい瞳。


 あなたからは、不思議な力を感じます。あの場にいた誰よりも——。


 娘は、その視線をミトの胸元辺りへと移した後、一歩二歩と後ろへと退く。

 そして、夜空の月を見上げると、腰の太刀をすらりと引き抜いた。

 ミトに一礼すると、くるりと身体の向きを変え、ジュウベエがよくやっていた構えからの演武を始める。


 優雅な動きのそれは、ジュウベエのものと良く似てはいたが、より一層荒削りで直線的であった。

 しかしながら、ジュウベエは見せない力強さがあり、娘が太刀を振るう度に、ミトは身体の温度が上がるような思いがする。

 ふと気がつけば、懐に忍ばせた、あの『宝珠』が熱を持ち、袋越しにも彼女に微かな温もりを与えていたのだった。


 その力を正しいことに使えるのは、あなただけなのです——。


 いつの間にか演武を終えた娘は、太刀を納めてミトの傍らに立っていた。

 懐から取り出した『宝珠』をたなごころに乗せ、ミトは娘と共にじっとそれを眺める。

 掌の玉は、月の光を映したように色合いを増し、金色に輝いていたのであった。



  ○ ● ○ ● ○



 ジュウベエは、通された狭い座敷の中、じっと自らの気を研ぎすまし、屋敷の内の気配を探っていた。

 行灯の灯りが妖しく揺らめく度に、やけに大きく感じられる自身の影もまた、大きく揺らめく。

 先刻は、庭の方で何ものかが蠢く気配を感じたものの、それはずりずりと何かを引きずるような音と共に遠ざかり、やがて消えていた。


 おそらく、屋敷の前で感じた妖気、それは間違いではなかったのだろう。ジュウベエは咄嗟に立ち上がり、腰に手を回すも、そこに刀はなかった。

 刀を預けていたことを思い出し、座り直した彼は、庭に意識を集中するが、そこに蠢いていた妖気は既になくなっている。


 また暫く、屋敷の内の気配を探っていると、行灯の油が少なくなったのか、その灯りは大きくなったり小さくなったりを繰り返す。

 いつまで待たせるのか。屋敷の奥へ消えていった男の気配を手繰ると、最奥の方から妖気が漂ってくるのが感じられた。


 時を同じくするように、心許なかった行灯の灯りは更に小さくなり、その代わりに座敷には、障子越しに月の明かりが短く差し込む。

 灯りが小さくなったせいで、却ってジュウベエの辺りの気配に対する感覚は、僅かずつではあるが、時を追う毎に鋭くなっていた。

 元来、妖の気配には無頓着ながら、人の気を探るのは熟練していたジュウベエは、すぐ近くから人の気配があるのを察する。


 ふむ——。


 ジュウベエは、この別邸の間取りを頭の中に描く。

 玄関を上がってすぐの廊下を抜けて、一番手前の襖より、この座敷へと通された。

 正面には月の明かりが仄かに差す障子戸があり、これは開けると庭へと降りることができるのだろう。

 片や壁、片や襖張りの戸だ。その襖戸の奥からも、人の気配が僅かながらにしている。


 いや、隣の座敷ではなく、更にその奥にも——。


 友人が居るのは、一番奥の間であろう。その屋敷の主人が寝起きする座敷は最奥であるのが常だ

 城のある町の武家屋敷街の路地はわざと複雑に造られている。攻めてきた敵軍が、容易く城に辿り着けないようにするためだ。

 お上の要人の住まう屋敷にも同じことが言える。広い屋敷は複雑に座敷と廊下が入り組み、最奥の間にはそうそう行き着けはしない。


 屋敷に入って、すぐのところにある表の間の横に、主人である自分の座敷を設けるなど、酔狂なジュウベエの師匠以外には有り得ない話だ。

 師匠でもある彼の父親は、屋敷を建てる際、自身の座敷を、玄関よりほぼ最前に置き、家の者や使用人の使う部屋を奥側に設けた。


 後に、家人に聞いた話によると、もし賊が押し入った来たら、真っ先に出て行って、自らの手で全ての敵を倒すつもりだったとのことだ。

 本気なのか、冗談なのか、今ひとつ判らない主人と共に住まう、ジュウベエの屋敷とは違い、ここは真っ当な造りの友人の別邸であった。


 無礼を承知で、奥の間へと行くか——。


 既に、友人に対しては、今日一日でもう何回も作法に則っとらない無礼を働いている。

 思えばこの町に足を踏み入れた時より、ジュウベエが感じた胸騒ぎは激しくなる一方だった。

 それに突き動かされるように、ここまでやって来た。今更何を恥じようと言うのだ。


 やはり、自分の目で全てを見定めるべきか——。


 最奥の間から漂ってくる、人ならざるものの気配も次第に濃くなっている。

 それに反するように、両の間に居るであろう人の気は弱々しくなっていた。


 ジュウベエが、意を決して立ち上がろうとした瞬間のことである。

 最奥からの妖気が、一瞬のうちに膨れ上がり、別邸全体に広がった。

 同時に、目の前の障子に差す月の明かりが翳り、片方の座敷から人の気配が消える。


 そして背後のジュウベエの入ってきた襖戸が、音もなく僅かに開いた。

 咄嗟に片膝立ちとなり、そちらへと振り向くジュウベエ。

 襖の親骨から見えるのは、女性のものらしき白く細い指先であった。


 ジュウベエが見据える中、襖は更に開かれる。


 失礼いたします——。


 姿を現したのは、武家の娘と思しき出で立ちの女性だった。

 長い黒髪を後ろで馬の尾のように纏め、大人びた憂いのある表情。

 ジュウベエに送る眼差しは、やけに妖艶な光を帯びている。

 楚々とした立ち振る舞いで座敷に上がるその女性は、ジュウベエの前に座ると、指を着いて頭を伏せた。


 この屋敷のあるじが許嫁にてございます——。


 顔を伏す女性は、瞳に妖しい光を宿らせ、鮫のような笑みを口元にだけ浮かべ、舌舐めずりをする。

 だがその時ジュウベエは、どこからか人の笑い声が聞こえたような気がして、あらぬ方向を振り返っていた。


 暫し屋敷の気配を探っていたジュウベエは、再び女性の方へと向き直る。

 女性は瞬く間に表情を戻し、彼がそれを見るのことは叶わなかったのであった。

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