第11話 『助けてくれたのか。かたじけない』

 月の明かりが差し込む竹の小径を、仔猫に導かれたハンゾウは走る。


 小径に足を踏み入れた暫し後、前を駆けていた仔猫はふいに立ち止まり、半身をこちらに向けハンゾウを見上げた。

 仔猫の足下を、しゃがみ込んだハンゾウが調べると、そこには何かの術を仕掛けたとおぼしき陣の痕跡が見られる。


 これは……。結界を張った跡か——。


 ハンゾウは、陣の中程に何者かが、それを踏みにじったとみられる足跡を見つけた。

 その何者かの足跡は、陣を力強く踏み締めたことにより、その大部分を吹き飛ばしている。


 やはりジュウベエの仕業だな、こいつは——。


 ハンゾウは、彼が振るったであろう、刀から放たれた『力』の残滓が、未だこの場に残ってるのを感じた。


 陣に残されたジュウベエのものであろう足跡に、鼻先を近づけて探っていた仔猫も、再び竹の小径を走り始める。

 仔猫の後を追うように走るジュウベエは、小径のそちこちに、陣によって術が施されているのを見い出した。


 しかし、その陣はジュウベエの力によって、既に、ことごとく斬り裂かれるように破壊されている。

 彼の放った一振りは、まるで全てを押し流す激流のような風となって、この小径の果てまで吹き抜けていったようだ。


 昨日の事といい、ジュウベエってやつは、から聞いてたほど——。


 走りながらもハンゾウは、彼の鹿爪らしい顔を思い起こしている。


 と、突然ハンゾウの前を駆けていた仔猫が再び立ち止まる。

 先ほどまでとは打って変わって、仔猫の様子が少しおかしい。

 ぴょんと跳ねるように動きを止めた仔猫は、尻尾を膨らませ、全身の毛を逆立てていたのだ。


「なんだ、どうした」


 立ち止まったジュウベエは、思わず仔猫に声を掛け、その視線の先を探る。

 仔猫が睨む小径の先は、覆い被さる竹によって月の光が遮られ、闇を濃くしていた。


 闇の中で、ゆらりと蠢くのは、妖し気な人影。しかもそれは、一つや二つではない。


「あぶねえっ」


 身を固くして動けなくなっている仔猫を、襲いかかる影から、寸でのところで救い出す。

 ハンゾウの耳元を、ひゅっという風を切る音と共に、相手の持つ得物が掠めた。

 地を転がるように、攻撃を躱した彼は、起き上がると同時に仔猫を抱いたまま、後方へと大きく飛ぶ。


 吹く風が、頭上の竹の枝を大きく揺らし、闇に蠢くものどもを、月の明かりが照らし出した。

 げっそりとやつれ、目の下には濃い隈を成し、どこを見ているのか判らないその目は、虚ろに鈍く光る。

 そこに立っていたのは、人の形はしているものの、およそ人とは思えないような何ものかであった。


 こいつらは、しかばねか——。


 その手には得物を重たげに持ち、ずるずると足を引きずるようにして歩く様は、正しく屍であるようにしか見えない。


 ハンゾウは、何年か前に遣り合った、屍を操る一派を思い起こす。亡くなった者の尊厳など顧みない、胸くその悪い秘術。

 奴らは、その秘術を以て、戦場に累々と重なる屍に偽りの魂を与え、その身が腐り落ちるまで、いや骨だけとなってさえも使役する。


 あの時は、仲間の神官が、屍兵を鎮魂して事を収めたんだが——。


 戦に殉じた者たち、その屍の軍勢を、他の妖どもと同じようにたおせる筈がない。ハンゾウの拳は、破壊することしかできないのだ。

 ハンゾウは、屍たちへの攻撃を躱し、彼らの動きを遅らせるだけに留め、後は神官の与えるであろう、魂の救済に全てを託したのだった。


 今回も、力任せに暴れるって訳にゃいかねえか——。


 ハンゾウの行く手を阻む者たちは、その姿を見る限り、領主の言っていた、行方知れずの城勤めの武士や、屋敷の使用人たちなのであろう。


 仔猫を抱えたまま、ハンゾウは、近づいてきた一体の胸元に、ほんの少しだけ溢れてきた力を込めた掌底を打つ。

 もんどり打って倒れる敵の刀を奪い取ると、一瞬だけ、髪と瞳を深紅に染め、その刀を叩き折った。

 武士の魂を叩き折るなど気が咎めるが、亡くなった者を、今一度葬り去る行為よりは随分とましである。


 だがハンゾウは、何かしらのおかしな違和感を覚える。掌底を放った折りも、刀を奪った際も、相手の身体は柔らかく、また生温かかったのだ。


 彼らは屍ではないのか——。


 ハンゾウは、それを確かめるべく、傍らで包丁を振り回している女の後ろに回り込むと、その首へと手刀を叩き込む。

 どうっと、つんのめるように倒れる、その首から伝わる、柔らかさと仄かな体温は、屍では有り得ない。


 彼女が手放した包丁を拾い上げ、竹林深くに放りながら、ハンゾウは困惑していた。


 彼らは、まだ生きている——。


 生きながら、魂を抜かれ、文字通り生きた屍と化し、何モノかによって操られているのだ。

 ハンゾウは鎮魂の法を知らない。妖相手ならともかく、生身の人に浄化の術を施すのは前例がない。

 いつものように全力で、己の力を叩き込むとするならば、人の身体では容易く四散してしまうに違いないだろう。


 どうする——。


 体術で攻撃を躱しながら逡巡する、ハンゾウの迷いから一瞬の隙が生まれる。

 足を高く上げ、下駄の裏で刀を受け止めた彼に、別方向から鉈が振り下ろされようとした。


 しまった——。


 その瞬間である。抱かれていた仔猫は、猛然と鉈を搔い潜り、その男の顔に飛びついた。

 ハンゾウは、足を捻り、下駄で受け止めていた刀をし折る。同時に、切り掛かってきた武士を突き飛ばして退かせた。


 仔猫に顔中を引っ掻かれている男が、思わず落とした鉈を、遥かに蹴り飛ばして遠ざける。

 まだ爪を出して唸る仔猫を、その男から引きはがすと、ハンゾウは再び後方へ飛んで、相手との距離を取った。


「なんと、お前は助けてくれたのか。かたじけない」


 腕の中の仔猫の無事を確かめるように、その顎をもふもふと撫でる。

 すると仔猫は、ハンゾウの腕を離れ、胸をよじ登り、背中へと回り込んだ。


「何だ、何だっ」


 戸惑う彼に応えるように、仔猫はひと声上げると、背中に背負ったウツホラキリに、ばりばりと爪を立てる。

 はっと何かを悟ったように、ハンゾウは背中のウツホラキリの緒を解いた。

 そして眼前に掲げたその刀に、その名を呼び掛けるのであった。



  ○ ● ○ ● ○



 日の暮れ始めた夕刻から、飯に酒にと賑わっていた冒険者用の食堂は、まだまだ大盛況であった。

 それどころか、任務から戻ってきた者たちまで加わって、ますますの大賑わいである。

 こっそりと一杯やろうと、降りてきた階段半ばから伺っていたミトは、当てが外れ、肩を落とす。

 流石に、酔っぱらった冒険者たちに混ざって、杯を傾ける気にはなれなかったのだ。


 仕方がない、近所の酒屋にでも——。


 さりげない素振りで階段を降りるミトだったが、その心の臓は早鐘の如く鳴っていた。

 生まれ初めての酒である。彼女の期待と不安が入り交じった複雑な、その心情は充分察せられる。


 しかし当然のことながら、ミトはこういう場合、どこにいって、どんな酒を飲めば良いのか皆目見当も付かなかった。

 兄様から授かった大切な旅の手帖には、食べるべき美味しいものや、巡るべき美しい風景などは詳しく載っている。


 一方、酒や、酒を飲める場所であるとかの類いの記述は、どの頁を繰ってみても見当たらなかった。


 そういえば、兄様がお酒を飲んでいるところは見たことないわ——。


 ミトの兄様は、屋敷で家の者と摂る食事の際に果実酒を嗜む程度で、酔っている姿など一度も見せたことはない。


 残念だけど、今夜はやめておこうかな——。


 ジュウベエや、ハンゾウが美味しそうに飲んでいたジザケとやらには、大いに心惹かれるものがある。

 でも、兄様はお酒には興味はないらしい。それでも、この千載一遇の機会を棒に振るのも勿体ない……。


 ふう——。


 溜息をひとつ吐いて、揺れるミトの心は、出掛けない方へと決まった。

 おとなしく部屋に戻ろうと、踵を返すミトの目の端に、何者かが出入り口から覗いているのが映る。

 思わず再び振り返って、そちらに視線を移すと、こちらを伺うその者と目が合った。


 目が合った瞬間、その者は顔を引っ込める。それを追って、咄嗟にミトは外へと飛び出す。

 外へ一歩、二歩と歩み、慌てて左右を見回すミトだったが、既に彼の者の姿は見当たらない。

 首を傾げながら、戻ろうとするミトに、壁際の暗がりの中から声が掛かった。


 もし——。


 ビクッと身を強ばらせるミトの前に、仄暗い影の中より進み出てきたのは、ひとりの美しい娘なのであった。

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