第13話 『厄介なことになってきやがった』
ハンゾウは、ウツホラキリの名を呼び、じっと視線を注ぐ。
刀は月の光に、漆黒の柄も鞘もが照らされて、妖しい輝きを帯びていた。
「なんじゃ、儂は眠っておるのだ」
ハンゾウは、ウツホラキリの応えがあることに、胸を撫で下ろす。
「先刻は、返事がなかったからな。ただの刀に戻っちまったのかと心配したぜ」
「今朝は、明け方まで働いていたからのう。眠っておっただけじゃ」
「お疲れのところ済まねぇが、またひと働きしてくれないか」
「仕方がないのう。
察するところ、あの者どもを斬撃でも飛ばして、ぶった斬れば良いのであろう——。
物騒なことを、さらりと言い出すウツホラキリ。
ゆらりゆらりと近づいて来る、生きている屍たち。
それを横目に睨みながらハンゾウは叫んだ。
「そうじゃねぇ。俺はあいつらを傷つけたくはねぇんだ」
「ふっふっふ、冗談じゃよ」
其方が、儂の名をあまりにも愛おしそうに呼んどったからのう。また
ハンゾウは、この追い込まれた状態で、冗談の言えるウツホラキリに、やれやれと首を振る。
「昨日やったアレを頼む。俺が全力でぶちかましても、力の加減ってやつをやって欲しいんだ」
「今日もアレをやるのか。儂とて其方ほどの力を流し込まれるのは、骨が折れるんじゃが」
だが今宵は月の光もたっぷり浴びさせてもらっとるし、頑張るとするかのう——。
ウツホラキリからの応えに、ハンゾウの瞳と髪は、一気に深紅と染まっていくのであった。
ハンゾウは、鞘に納めたままのウツホラキリを構える。剣術の構えではない。棒っきれを持って突っ立っているだけのような無造作な構えだ。
目前まで迫った、生きている屍が掴み掛かからんとする腕をすり抜け、あたかも胴体を上下真っ二つにするように思い切り振り抜く。
全力で振り抜いた筈なのに、手応えは軽い。まるでウツホラキリの周りを真綿で包み、柔らかな布で幾重にも覆ったもので、何か物を叩いたかのような感触。
しかしながら、生きている屍には、確かにハンゾウの力は届いているようだ。
さながら抜き身の
倒れた者の顔には幾らかの生気が戻り、その口元からは、ゆらゆらとどす黒い炎が立ち上る。
細い蝋燭の先に点されたようなその炎は、やがて丸い固まりとなり、尾を引いて、竹の小径の暗がりへと戻っていった。
ハンゾウは、ウツホラキリを握り締める手に、尚一層の力を込める。
振り下ろされる刀を躱し、首筋に手刀を叩き込むように刀を振るう。
ハンゾウの首を跳ねんと薙いだ、相手の切っ先を避け、鳩尾に当て身を入れるように刀を突き出す。
いつもの
良し、いける——。
迫り来る、生きている屍たちの中に、ハンゾウは飛び込んでいく。
相手の動きが遅いことが幸いして、一人一人に的確な霊的急所を狙った一撃を加えることができた。
本来の屍使いが使役する妖と化した屍兵たちは、倒しても倒しても起き上がって来るものだ。
始めから死しているのだ。正に不死の戦士と言えよう。そしてその魂を浄化しない限り、彼らを救う手立てはない。
だが今宵の相手は、まだ生きている。助ける方法は、きっとある筈だ——。
そう信じるハンゾウは、相手の身体を壊さぬよう、丁寧に倒してゆくのであった。
最後に残った一人を倒すと、すぐさま駆け寄って抱き起こし、呼吸と鼓動を確かめる。
息がある——。
しかし、その者は、目を閉じたままで、意識が戻ってはいないようだ。
頬を軽く叩き、呼びかけるも、意識を取り戻す気配すら感じられない。
倒れている者たちに、次々と駆け寄り、身体を揺すってみるも、彼らのうち誰も目を開ける者はなかった。
どうしたっていうんだ。誰もが生きちゃあいるみてぇだが、目を覚まさねぇ——。
そんなハンゾウの心のうちを読んだかのように、背中に背負い直したウツホラキリが応える。
「
「どういうことだ。ちゃんと息もしてるし、心の臓も動いてるんだぜ」
「其奴らの魂を、死なない程度に喰った奴がおるんじゃろう」
これは儂の当て推量に過ぎんのじゃが——。
ウツホラキリは、そう前置きすると語り出した。
其方が、儂に力を流し込むじゃろう。するとな、儂はそれを一旦腹の中に収めるのじゃよ。
それを加減しながら吐き出して、相手に叩き込む訳じゃ。こう水鉄砲みたいな感じでな。
其奴らに、其方の力が入り込んだお陰で、押し出されていったものがあるんじゃろう。
其方も見たであろう。其奴らの口から吐き出された、あの黒い炎のような固まりじゃよ。
儂も、その黒い固まりに、其方の力越しに触れたんじゃが、あまり気色の良いものではなかったのう。
あれは、おそらくは
その妖は、其奴らの魂を喰ろうた後、操るために自分の身体の一部を押し込んだんじゃろう。
だから其奴らに、喰われた魂を返してやらんことには、永遠に目覚めることはないんじゃあるまいか。
それもまあ、多分、という話なのじゃが。
「何だよ。随分厄介なことになってきやがったな」
ウツホラキリの話を聞いていたハンゾウは、口調の軽妙さとは裏腹な、深刻そうな表情を浮かべる。
早いとこ、彼らの魂を取り戻さないと——。
黒い炎の玉が飛んでいった小径の先を、じっと見据えるハンゾウであった。
○ ● ○ ● ○
ミトの前を、導くように走る娘は、まるで地面の上を
前へと伸びる、月明かりによって出来たミトの長い影。その中を走る娘の背中を見ながら、心の内で感服していた。
むしろミトは、自分の全力疾走に、娘がついてくることができるのかを心配していたのである。
先刻、娘と共に城を横目に、そのすぐ側の通りを抜けた時のことを思い起こす。
門の脇に構えてある番所の前を駆け抜け、見廻り組の鼻先を掠めるように走ってきたのだ。
ミトは
娘を、自分の遥か後ろに置いてきてしまったと思っていたのだが、気がつくと彼女は、ミトのすぐ前を走っていたのだった。
囚われていたのは、この先の竹林の中です——。
次第に民家も少なくなり、背後には城の
その一本道を進んだ遥か先には、月に照らされた竹林が影のようになって揺れていた。
道が続いている、竹林の入り口と
ふたりには、それがまるで大きな
ここまで、全力で疾走してきたふたりだったが、どちらからともなく走る速度を落とす。
ミトの短くなった影の先に、竹林の方角を見据える娘が歩みを進めていた。
それとなく娘を伺うと、彼女の肩が、そして手が微かに震えている。
敵に対する怯えなのか、戦う決意の
ミトは、娘の横に並ぶと、黙ってそのひんやりとした手を握った。
手を握られた娘は、はっとしてミトを振り返る。
ミトもまた、握る手を強くして、娘を見やった。
石が玉になるように、意思が魂となるように——。
ミトは、まだ幼かった頃、兄様から聞いた、おとぎ話のようなオンミョウジの話の一節を娘に聞かせる。
西の都の静謐な竹林を襲ったというオニたちを、オンミョウジとその仲間たちが、宝珠の力を使って祓う話だ。
何だか今夜のワタシたちみたいなだね——。
ミトは、笑顔を娘に向けると、その話を続きを語り出した。
決め台詞が、オン……なんだっけ——。
肝心なところを忘れてしまったミトに、娘も思わず吹き出す。
大人びた顔立ちと体躯の娘だったが、その笑った顔は、以外にも可愛らしい。
ひとしきり笑い合った後、ふたりは表情を引き締め、お互いの顔を見合わせて頷き合う。
そして、娘と、その大切な人を捉えたというものが潜む、竹林を目指して再び走り始める。
ミトのその顔には迷いがなく、娘の瞳からも憂いの色は消えていたのだった。
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