第3話  『お姉さん、お塩お塩っ』

 一行は、まだかなり陽の高いうちに、白く輝く天守閣を持つ城を戴く、その町に着いた。

 高台にそびえるその城は、先の大戦おおいくさの折りには、あやかしの軍勢をこの地より東に進軍させないよう築かれた砦だったという。


 町の都側の入り口から見えるその城を、興奮した目で見つめていたミトは、すぐにでも、城へと向かいそうな勢いだ。

 東の都で育ったミトは、屋敷から見える城が好きであった。特に緩やかな曲面を描いて、そそり立つ城壁に心を惹かれたのだ。




「ねぇねぇ、ふたりとも、あのお城に行ってみない」


 案の定、急にとんでもないことを言い出したミトに、ふたりは顔を見合わせる。


「なあ嬢ちゃん、城っていうのはな、そうそう余所者が立ち寄っていいところじゃねぇんだよ」


「うむ。君にしても、怪しい者が屋敷の周りを彷徨うろついていたら、警戒するであろう」


「ええっ、なんでよーっ。ワタシは怪しくないよーっ」


 両手をばたつかせて猛抗議をするミトを、ふたりは必死になだめた。


「この町には、何日かいるつもりなんだ。その間に城の見学願いを出してやるから」


「うむ。わたしも次第によっては、城に赴くことになるかもしれん」


「絶対だよっ。約束だよっ」


 むーっと、しかめっ面で腕組みをしていたミトだったが、いきなりくるりと表情を変えて、にやりと笑う。


「約束破ったら、この町の名物、ふたりの奢りね」




 まだ陽の落ちるには、かなりの時があったが、午後のこの時間帯での人の往来の数は、さすがに城下町である。

 近隣の町や村から、産物を運び込む商人。地元の商人たちによる呼び込みの声。足早に宿に向かう旅人。


 町を西へ抜けると、街道は高く険しい大きな山々に向かう。山の頂付近には、この街道に設けられた何カ所かの関所の一つがあった。

 その関所を通過して西から都に進む者たちも、都から西に向かうため、これから山を登る者たちのいずれもが、山の麓であるこの町に一時留まることが習わしとなっている。

 街道指折りの難所を下ってきて一泊。難所に挑む前の一泊。という訳である。そのせいもあって、この町の賑わいは一日中続いているのであった。




「友人の屋敷へ行ってくる。戻りは少し遅くなるかもしれん」


 町に着いて早々、そう言い残すと、雑踏の中に消えたジュウベエ。

 彼とは、一晩中その扉を開けている、この町の冒険者詰所で待ち合わせることにしたミトとハンゾウ。

 ふたりは、大きな旅籠や土産物屋が軒を連ねる大通りから、一膳飯屋や一杯飲み屋が並ぶ横町に入る。


 都とは違った賑やかさだね——。


 楽しげに辺りを見回すミトが、迷子にならないよう、ハンゾウは度々振り返っては、彼女の所在を確認した。

 少しずつ往来が少なくなり、ふたりは土地の産物を加工する職人の工房が固まって設けられている地域に足を踏み入れる。


 その一角に、ひっそりと隠れるように、その施設はあった。妖石を持ち込むべき、しかる場所である。

 少量の妖石なら、冒険者組合ギルド詰所内の施設でも引き取っては貰えるが、最終的には全国に幾つかあるこのような場所に、妖石は集められる。


 表面である通り側に、建物の出入り口らしきものは存在せず、倉庫のように頑丈そうな壁があるばかりだ。

 間口が狭く、奥行きの広い独特の造りの建物。その間にある狭い路地を、ひたすら歩くと、少し拓けた裏庭のような場所に出ることができた。


 建物中央部の、出入り口と見られる小さな扉に向かってハンゾウは歩み寄る。ミトは好奇心に目を輝かせ、彼の後に続いた。

 扉の、丁度ミトの目線の位置程に設けられた小窓に、ハンゾウは首から下げていた冒険者の認識票を翳す。

 どこかで、かちゃりと錠の解除される音がした。彼が取手を回して手前に引くと、重々しい音と共に扉は開く。


「ねぇねぇ、それはなあに? お守りかなんか? 兄様も似たようなの身に付けてた気がするけど」


 ハンゾウが、お守りのように首から下げている認識票は、彼の身分を証明するものだ。

 ミトの掌にも乗るくらいの大きさの長方形の板で、ハンゾウのそれは、傷だらけで、白銀色の鈍く輝く光を放っていた。


「これは、認識票ってやつだ。俺の名前が彫ってある。まあ、お守りって言えば、お守りみたいなものか」


 兄様のもそうだったけど、あれも山の民ドワーフの技が使われてるっぽいなー——。


 兄様は、良く見せてくれなかったものね——。


 初めて認識票を間近で見たミトは、ここでも興味深々といった風に、ハンゾウのそれを観察する。


 あまりじっと見ていたせいか、ハンゾウはそれを、さっと懐深く仕舞ってしまった。


「さっ、嬢ちゃん。持ってきた妖石を見てもらおうぜ」


 ジュウベエは、入り口付近と部屋の奥とを仕切るように置かれた、長台の方へとミトを促す。

 入って来た時には誰もいなかったと思われていた長台の奥には、いつの間にか頭巾と薄い布で、顔の半分を隠した女性が立っていた。


 ミトとジュウベエは彼女の前に、腰に括り付けていた妖石の詰まった袋を、どさりと置く。

 女性は、丁寧な手つきで袋を開けると、中身の妖石を改めた。袋の中の妖石から一つだけ取り出し、灯りに透かすようにして丁寧に検分している。

 暫し、じっと指先の妖石を見ていた女性は、妖石を袋ごと大きな盆に乗せると、それを持って奥の部屋へと消えていった。


 ミトは、ハンゾウの袖を引っ張り、彼に身体を寄せると小声で囁く。


「どこに、いっちゃたの? あのお姉さん」


 ハンゾウも釣られて、小声で返した。


「奥の部屋のことは、よく俺も知らないんだ。どうやら妖を研究してるらしいぜ」


「おー、それは、すごいね」


 ハンゾウのざっくりとした説明に、何故か納得した顔で頷くミトであった。




 暫く待っていると、再び奥の部屋より、女性が姿を現した。

 その手にされた盆の上に、妖石の袋はなく、代わりに札を束ねたものが幾つか乗っている。


「今回持ち込まれた妖石の代金でございます」


 怪しいとも言える、顔を覆う布。しかし、その奥から聞こえる女性の声は、以外にも涼やかな響きを伴っていた。


「あの石の大きさ、そして数。しかも、かなり浄化も進んだものとお見受けいたします」


 女性は、札の束を乗せた盆を、ついとふたりの前に差し出す。


「このお札はなあに?」


 再び、ハンゾウの袖口を引っぱり、小声で尋ねるミト。


「これは、冒険者の間で使える、金の代わりになるものだ。一束で小判一枚分くらいの価値があるんだぜ」


 ハンゾウは、腰の雑嚢に札を仕舞い込みながら、つられて小声で答えた。


「ええっ——」


 その返事に、目を丸くするミト。妖石が、そんな高値でやり取りされているとは思っていなかったのだ。


「これも、検分しておいてほしい。何日か掛かっても構わないから」


 妖石の値段を聞いて、固まっているミトを余所に、ジュウベエは、雑嚢からふたつの袋を取り出す。


 これは塩、ですか——。


 妖石の時と同様に、袋の中を改めた女性は、摘んだ塩の付いた指先をじっと見ていた。

 その細く、すらりとした指は、ことのほか美しい。

 と、女性は、顔の布をひらりと捲り、塩の付いた指先をぺろりと舐めた。


 ふむふむ——。


 突然のことに、今度はハンゾウの表情が固まる。

 声も出せずに驚いているふたりに構わず、女性はもう一袋の塩もぺろりと舐める。


 おおよそのことは判りました。お預かりしましょう——。


 女性の声は、あくまで冷静で事務的なものであったが、よく見ると目が泳いでいるようにも見える。

 ふたりの視線に堪え兼ねたのか、彼女は何やら早口で説明をし始めた。


「私は、素材を口に含むことでいろいろな判断ができるのです。決してその……」


 段々と語尾が小さくなってゆく、彼女の目は恥ずかしげだ。


「では、これで失礼します」


「まだ、話の続きがあるよ」


「まだ、話は終わってないぞ」


 一礼して、立ち去ろうとする彼女に、ふたりは同時に呼び掛ける。

 思わず、お互いに顔を見合わせるミトとハンゾウ。


「おっ、なんだ。嬢ちゃんもまだ何か用事があるのか」


「へへへっ、ちょっとねー。ワタシのは、大したことじゃないから。ハンゾウからどうぞ」


「そうか。じゃあ、お姉さん。こいつに詳しいやつを呼んでくれないか」


 ハンゾウは、別の雑嚢から、今度は二挺の拳銃を取り出す。


「はい。少々お待ちください」


 女性は平常心を取り戻したのか口調も元に戻り、珍しいと言われる拳銃を目にしても驚いた風には見えなかった。


「お姉さん、お塩お塩っ」


 奥へと戻りかけた彼女に、ミトが声を掛けると、はっとしたように小さく飛び跳ね、慌ててこちらに戻ってきた。

 塩の袋を盆に乗せ、あたふたと奥の部屋へと去ってゆく彼女を眺めながら、ミトは再びハンゾウの袖を引く。


「あのお姉さん、ワタシと同じ森の民エルフだよね、きっと」


 確かに頭巾から見え隠れする髪や、顔の半ばまで覆っていた薄い布の隙間から見えていた目など、ミトと特徴を同じくするところは多々見受けられる。


「だからね、ちょっとだけ、お話してみたいんだ」


 ミトの瞳は、本日一番の好奇心に溢れた、イタズラ小僧のような光で輝いていたのであった。

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