第2話  『アンコウ……』

「アンコウ……」


 ミトは、再びがっくりと肩を落とす。


「ふむ、鮟鱇あんこうとは、確か冬から春先が旬ではなかったか」


「今の季節じゃ、鮟鱇あんこうの漁にも出てないと思うぜ、嬢ちゃん」


 ふたりに当たり前のように言われて、ミトは懐に旅の手帖をそっとしまった。


「うむ、だが鮟鱇あんこうとは、都より北の国で良く捕れるのではなかったか」


「嬢ちゃんの故郷の町から、そう遠くないところが名産だったと思ったぜ」


 ミトは故郷の方向の空を見上げ、うっとりと呟く。


「アンコウ……」




 少しだけ暑さを感じる夏の始まりの日差しの中、一行は街道を歩いてゆく。

 左手に見える海岸線には岩礁が広がり、引き潮なのか岩にぶつかる波も穏やかだ。

 地元の者なのだろう。遠くに漁をしている姿も、ちらほらと見えている。


「ワタシも、タコとかサザエとか捕って遊びたいなー」


「彼らは、遊びで漁をしているのではない。やめておきなさい」


「よせよせ嬢ちゃん。俺がやっつけた大ウツボはこの辺りから現れて、たくさんの人を喰らったっていうぜ」


 爽やかな海風に吹かれながら、どんよりとした空気を放つミトであった。


 ハンゾウは、からんと下駄を鳴らして、ミトの横に並んで歩き出す。

 気落ちするミトを気遣ってか、ハンゾウはことさら楽しげに話し出した。


「元気出しな、嬢ちゃん。今夜の宿は城のある町だ。きっと旨いものもたくさんあると思うぜ」


 食い物だけじゃない。嬢ちゃんの集めた妖石を扱ってくれるとこもある——。


 嬢ちゃんが思わず見とれちまうような、素晴らしい景色にも出会えるかもしれねぇぜ——。


 ハンゾウの話に、ミトは途端に笑顔を取り戻し、歩く脚も元気を取り戻した。

 城下町の話に花が咲くふたりを、無言で見守るジュウベエは、その町に住むふるい友人を思い出していた。



  ○ ● ○ ● ○



 ジュウベエがその旧い友人に初めて出会ったのは、まだ剣を握り始めて間もない頃の話だ。


 友達になってやれ——。


 ジュウベエの師匠、つまりは父親が、一人の少年を道場に連れて来た。

 友人の父親は、何ヶ月かは、城に詰めなければならないらしい。その間は、同じ年頃のジュウベエと共に道場で過ごすことになったのだ。


 彼は、都で行われる父親の仕事の供としてついて来たという。実際にはジュウベエと同じく、まだ子どもなので父親と共に仕事をする訳ではない。

 要するに、父のお供は口実で、都へと遊びに来たのだろう。まだ子どもであったジュウベエは、彼らの抱えた事情には疎く、単純にそう思っていた。


 友人は、ジュウベエよりも小柄で、顔立ちも女の子のように優し気だったが、人一倍強い剣術に対する熱意が伺えた。

 また、彼は無口な子だと、事前には聞いていたが、実際には明るく元気に、良く話す子どもであった。

 名乗り合ったところ、お互いに名の中に、同じ文字を持っていることが判り、二人は互いに親近感を感じる。


 毎朝、一緒に道場の掃除、続けて朝稽古をこなす。その後の朝飯も友人と共にするそれは、いつもよりも旨く感じた。

 午前中は、大人の門下生に混じり共に稽古をした。何度か、防具を付けての模擬戦も行われた。

 最初のうちはジュウベエが勝っていたが、何日かするうちに勝ったり負けたりと良い勝負になった。

 友人の居る間、午後の稽古は放免され、ジュウベエは彼とふたり、日が暮れるまで遊んでいた。


 本当は、都の様々な場所を案内したかったのだが、子どもの世界はそう広くはない。

 それでも、近所の堀に行ったり、少し足を伸ばして神社まで行ったりと遊ぶ場所には事欠かない。

 ある日には、ジュウベエの家の馴染みの和菓子屋を巡って、好みの味について論争などもした。


 一度、日頃読み書きを教えて貰っている、師匠の知り合いの家を、友人と共に尋ねたことがある。

 友人を紹介したところ、武士でもある先生は、居住まいを正すと、大人同士が交わすような丁寧な挨拶をした。

 友人はさる領主の子息で、後々の跡継ぎであることを、ジュウベエはこの時になって知ったのだった。


 身分が明かされたからと言って、友人はジュウベエに対する態度を変えることはなかった。

 ジュウベエもまた、友人とは、必要以上に距離をとることなく、そのままの関係を願う。


 友人の父親、即ちさる所の領主が、都での勤めを終え、国許へ戻ることになった。

 それは当然のように、長くもあり、短くもあった付き合いの、友人との別れを意味する。

 友人が国許へ立つ前のゆうべに、父親である領主が道場へ彼を迎えに来た。


 その日、ジュウベエたちは人払いされ、師匠と領主は、その晩遅くまで何かを語っていた。

 友人と共にジュウベエは、その前日までと同じように道場で稽古をして、共に晩飯をとる。

 飯の後にこっそりと座敷を抜け出し、互いの父親が話し合っている部屋から離れた庭の隅に並んで座り、夜空の星を眺めた。


 この時ばかりは、ジュウベエと共に、友人も黙って夜空を星を見つめていた。

 もう遅いので、部屋に戻ろうと言う時、友人はぽつりと呟いた。


 ありがとう——。


 ジュウベエもまた、一言だけ呟く。


 きっとまた、いつか——。


 翌日の朝は、ふたりとも無言で頭を下げ、領主と共に友人は道場を後にした。

 師匠は大声で手を振り、彼らを送り出す。領主も笑顔で振り返り、手を振り返す。

 友人は一度も振り返らず、ジュウベエもまた、別れの言葉を一言も発しなかった。


 友人と再び顔を合わせる機会は、その後何年もの間、訪れなかった。


 その機会がやって来たのはジュウベエが、この旅に出る一年と少し前のことでる。


 彼は、都の武士団、しかも大妖おおあやかしや、大規模な賊の討伐を専門とする部隊に配属されて来たのだ。

 無論、領主の世継ぎが国許を出奔し、武士団に入ったと言う訳ではない。

 一年間という期間が限定された中で、修行としての入隊ということである。


 武士団には様々な部隊、部署があり、地方の領主の跡継ぎが修行のためにやって来ることは、そう珍しいことではない。


 大抵、そういった者たちは訓練が主な職務——。といった所に配属されるのが常だ。


 友人のように、有事の際は真っ先に出動するような部隊に配属されるのは、稀な事例である。

 今回は、友人の父親である領主が、都に持っている屋敷に、従者数名と共に滞在しているとのことだった。


 ジュウベエの父親である師匠は、都の武士団に剣術を指南するという役を仰せつかっている。

 この頃になると、道場内で頭角を現し始めたジュウベエは、師範代の末席に名を連ねていた。


 武士団の訓練の折りには、師匠と共に訓練場に赴き、彼らの指導にあたる。

 指導とは言っても、ジュウベエの役割は、武士団と共に訓練する。あるいは、師匠の模範的な演武における、技の受け役。といったところではあったが。


 ある訓練中に、ふたりは互いの顔を認め、目だけ合わせて再会を祝う。

 小柄で、優し気な面立ちは、変わってはいなかったが、その太刀筋にはこれまでの研鑽のあとが伺えた。


 そうして何度か、同じ訓練に参加はしていたものの、厳しい訓練中に旧交を温めることはできなかった。

 ゆっくりと再会の時を過ごしたのは、その数日後、友人が非番の時を見計らい、ジュウベエが彼の屋敷を尋ねた時だ。


 友人の変わらない笑顔。心和むものを感じるジュウベエ。


 少し変わったことと言えば、友人はジュウベエほどではないにしろ、随分言葉数が少なくなっていたことだった。

 それを心配したジュウベエだったが、友人は一笑すると、ぽつりぽつりと語り出す。


 あの時は、ジュウベエの師匠に、友人になってほしいと請われたこと。

 師匠は、ジュウベエには友人がいないのでは……と心配していたこと。

 自分は幼少の頃より少々病弱で、もとより言葉数は少なかったこと。

 ジュウベエと友達になりたくて、頑張ったこと。頑張っているうちに本当に元気になったこと。


「僕はね、君と友達になれて、本当に嬉しかったんだよ」


 友人は、そう言って笑った。


 その後、友人と二人で会う機会は訪れることはなかった。

 彼もジュウベエも、それぞれの任務が忙しかったのだ。


 その年は近年になく、大妖おおあやかしの現れることが多い年となった。

 ジュウベエも、彼も、妖の討伐に駆り出されることが増えていった。


 柔らかに弧を描くジュウベエの剣筋に対して、友人の剣筋は直線的で、最短距離で相手にやいばを届ける。

 その長い得物を自在に操り、力強い太刀捌きで、あやかしどもを斬り伏せていくのが、遠目に見えている。

 ジュウベエも、その剣に心強いものを感じ、眼前の妖を倒してゆくのだった。



  ○ ● ○ ● ○



 ジュウベエが、件の山の古寺で、奇妙な坊主と奇妙な日々を過ごすことになったのは、その後すぐのことだ。

 友人の任期終了を待たずに、再び離れることとなったが、彼は無事に御勤めをこなしたのだろう。

 山寺から戻ったジュウベエに、無事に任期を終えて国許に戻ることになったとの伝言が残っていた。


 国許に残してきた許嫁と、城に勤めが決まった暁には、祝言を上げたい——。


 僅かな時ではあるものの、旧交を温めた時分、友人は別れ際にそう言っていた。


 だが、何故か嫌な予感がする。杞憂に終われば良いのだが——。


 虫の知らせとでも言うのだろうか。ジュウベエは胸の内に妙な胸騒ぎを覚える。


 やはり、あの町に滞在中、一度友人を尋ねてみるとしよう——。


 いつの間にか、遠くにその街並と、城の天守が見えてきた道の上、ジュウベエは、そう思うのであった。

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