第3章 武士たち、化け物たち、そしてお姫様たち

第1話  『タコ……』

「タコ……」


 ミトは、がっくりと肩を落とし、とぼとぼと歩いていた。

 ジュウベエとハンゾウは、そんな彼女を見守り、後ろからゆっくりとついてゆく。


「タコーっ!」


 突然立ち止まったかと思うと、ミトは空に向かって叫んだ。


「昨日まで大きなあやかし跋扈ばっこしていたのだ。すぐに漁などできる訳なかろう」


「そうだぜ、嬢ちゃん。地元の漁師さんだって困ってたんだ。ここは譲っときな」


 ふたりがかりで説得されて、磯のたこ釣りを泣く泣く諦めたミトである。

 ジュウベエとハンゾウとて、初夏の穏やかな海辺の磯遊びには、心惹かれるものがないわけではない。

 しかし、ここは妖騒動で困窮していた人々を、優先させるのが大人というものであろう。


 それに、一行が先を急ぐには理由があった。

 先だっての、大量の妖石ようせきである。


 早いうちにしかるべき場所に持ち込んで、しかるべき対処をしないと後々厄介なことになる。

 瘴気の結晶とも呼べる妖石を、長い間放置しておくのは害にしかならない。

 妖に耐性のない普通の人なら、妖石を手にしただけで、その瘴気に蝕まれてしまうのだ。

 またうっかり餌と間違えた獣が、体内に入れてしまった場合は、即妖獣ようじゅう化である。


 よって冒険者たちにとっては、妖石の回収は任務の一環であり、あやかし討伐の折りには必須事項となっている。

 しかし、もともと冒険者ではないジュウベエは、妖討伐に慣れてはいても、妖石の後始末には無頓着である。

 ミトに至っては、お金になるなら、放っておくのはもったいない。というくらいの認識であった。


 だが、そのおかげで後始末が、だいぶ楽になったんで助かったぜ——。


 ハンゾウは、ふたりには特に何も告げてはいないが、皆が寝静まった昨晩未明のうちに、あの山へと向かっていたのだ。



  ○ ● ○ ● ○



 暗い山道を、用心深く一歩一歩登ってゆくハンゾウ。

 道の両脇には、背の高い広葉樹が鬱蒼と茂っており、頂の方角への視界は遮られていた。

 しかし空を見上げると、道に沿って空いている木々の合間から、月明かりが差し込み、足下をほの明るく照らしている。


 山の奥からは、獣の息づかいや、虫の声も聞こえ、辺りからは、すっかり妖の気配が消え去ったことが感じられた。

 妖石の取り零しもないようだ。瘴気が漂ってくる気配すらもない。それでもハンゾウは五感を研ぎすませ、慎重に頂へと歩を進める。


 見て見て、ひとつ残らず拾ってきたよ——。


 ミトは得意気に、大きく膨らんだ革袋を、ハンゾウに振ってみせた。


 このむすめは、あっちから臭いがする、などと言って森の中に飛び込んでゆくのだ——。


 ジュウベエは、やれやれといった面持ちで彼女を見る。

 ミトが、その可愛らしい小鼻をひくひくとさせて、妖石の回収に向かう姿を思い浮かべたハンゾウは、ひとり微笑ましい心持ちとなった。


 この分じゃ、ジュウベエたちが言う通り、妖石は残ってないようだな——。


 心の弱い人は、見ただけでも心が奪われてしまうと言われている妖石。

 ジュウベエはともかく、ミトまでもが、平気な顔をして妖石を扱っていたことに、ハンゾウは内心驚いていた。


 さすがは森の民エルフの姫。或いは、それが嬢ちゃんだったからなのか——。


 見当もつかないが、森の民エルフとしては珍しい、お転婆で跳ねっ返りな、あのお姫様は、案外未来の大器なのかもしれない。




 ここか——。


 山の頂にあるという、広場に続く丸太の階段を下から見上げるハンゾウ。

 辺りに注意を払い、一歩ずつ登ってゆくも、やはり妖の気配も瘴気が残っている様子もない。

 頂に登り詰め、広場を見渡したハンゾウは、思ったよりも酷い、その惨状に目を見張る。


 こいつは——。


 広場は広い範囲に渡って陥没しており、その底にはまるで敷き詰められたかのように真っ白な塩らしきものが広がっていた。

 陥没した穴の淵にしゃがみ込み、ハンゾウは地面に掌を置き、大地の気を探る。


 この広場全体に、陣が敷かれていたってことらしいな——。


 ハンゾウは穴に飛び降りると、その中心と思しき場所に歩いてゆく。

 塩の敷物は、まるで降り積もった新雪のように、彼の足を取る。が、よろける程でもなかった。

 穴の中心部に立て膝で座ったハンゾウは、塩をひとさし指につけ、ひと嘗めしてみる。


 ジュウベエたちが言ってたように、きっちり塩と化して浄化されてるようだな——。


 次にハンゾウは、手刀を塩の中に突き刺していく。塩の敷物は、ずぶずぶと彼の肘の辺りまで飲み込んだ。


 結構深いんだな。ウツホラキリでも持って来りゃ良かったぜ——。


 ハンゾウがぼやいていると、程なく指先は固い地面に突き当たった。


 よし、この辺りか——。


 彼は、腕を引き抜きながら、塩をひと掴み掬い取る。

 懐から取り出した小さな袋に塩をしまい、先から入っていた浜より持ち帰った塩の袋と共に、腰の雑嚢へ放り込んだ。


 これで良しっと——。


 立ち上がりながら、腕に残る塩を、ぱんぱんと払い落とす。

 周り一面をぐるりと見回し、足下の塩へと視線を流したハンゾウは、独り言ちた。


「しっかし、こんなことヤラカしてくれたのは、いったいドコのどいつだよ」


 これだけ大掛かりな陣を組んだやつは、何をやりたかったんだ。

 この大きさだ、埋め込んだ妖石の数だってかなりのものだろう。

 陣に流し込む力だって、ハンパねぇ量が必要だったはずだ。


 ハンゾウは、ひとりぶつぶつと呟きながら、陥没によって出来た穴から這い上がる。


 大ウツボの件といい、やはりヤツらが組織だって動き始めたのは間違いねぇ。

 これ以上俺に、厄介な仕事を増やして貰いたくはねぇもんだよ。


「何にしても、この塩は何とかしないとな……」


 頂が塩まみれの山じゃ、樹木どころか草花の一本も育たない。

 大ウツボの時のように、浄化を兼ねて吹っ飛ばす訳にはいかないだろう。


 大きな町ならば、冒険者組合ギルドの規模も大きく、あやかし討伐専門の冒険者も多い。

 今回のような、大妖おおあやかし討伐の、事後処理を専門とする者を抱えている場合もある。


 あの町の規模では、それは無理な話だった。そうでなくても妖の犠牲になった者も少なくはないのだ。

 長には申し訳ないが、あの辺り一帯の冒険者たちに回収してもらおうか。


 昨日の今日だが、近隣の町の冒険者たちに協力して貰えば大事ないだろう。

 一番厄介な、山道を中心に森の中へ散蒔ばらまかれた妖石の回収と、土地の浄化は、既に全て済んでいるのだ。


 広場からの階段を、一気に飛びおりるハンゾウ。そのままの勢いで、山道を駆けくだる。

 月明かりに照らされた山道を下りながら、ふと屋敷で寝ているであろう、ふたりの顔を思い出す。

 あのふたりのおかげで、この山は無事に平穏を取り戻すことができた。


 もう半日も討伐が遅れていたら、山から溢れた妖どもに近隣の町は占拠されていただろう。

 一匹一匹は弱かろうが、あの数だ。浜の大ウツボの件以上に犠牲者も増えていたに違いない。


 やはり嬢ちゃんには、天然で『力』を扱う才が備わってるのかもな。できれば巻き込みたくはなかったが——。


 山の頂での有り様を見たハンゾウは、何かを予感する。


 嬢ちゃんを守るもんが必要だな。次の町で、ちょっと相談してみるか——。


 彼は腰で揺れる雑嚢を片手で抑えると、帰りの足を早めるのだった。



  ○ ● ○ ● ○



 今まで燦々と差していた日差しがふいに曇り、ジュウベエとハンゾウは、前を歩いているミトの様子がおかしいことに気がつく。

 先ほどまでの、明るい日差しとは対照的に、しょんぼりとしていた後姿には、ふたりはかける言葉も見当たらなかった。


 しかし今は、少し前屈みになり、何かをぶつぶつと呟きながら、次第に歩く早さが上がっているのだ。

 もうあと少しで駆け出す寸前、という速度になった頃、ミトはぴたりと立ち止まった。

 ふたりの方へくるりと振り向く彼女が、両手で抱いているのは、兄様の旅の手帖だ。


 ジュウベエとハンゾウのふたりに、ミトは、にっこりと笑顔を向ける。


「今夜はアンコウ鍋をいただきましょう」

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