第19話 『幕間 其の弐』

 ここ一日二日は、まるで、あの山の古寺で過ごした日々のようだった——。


 床についたジュウベエは、本日の出来事と共に、山中の古寺の毎日を思い返す。


 日々の暮らしの仔細なところまで、修練の一環と見なし、食事の折りも正座にて背筋を伸ばし、優雅に戴く。

 いつ如何いかなる時であっても、周囲に神経を張り巡らせ、気を抜かずに過ごすということを旨とするジュウベエ。

 事実、道場で初めて剣を握った日より、免許皆伝を受けたその日を含め、それは今日こんにちでも変わらない。


 周りの者に、己の弱みを見せまいと、日々の暮らしの出来得る限りは、己ひとりで過ごしてきた。

 決して同門の門下生たちとは、互いに心を開いていない訳ではないが、それ故に距離を感じてしまう性分たちであった。


 しかし、師に命ぜられ、山寺で奇妙な坊主と過ごした毎日を経て、それらに対しての受け止め方が、少しではあるが確実に変わったのだ。

 坊主と寝食を共に過ごし始めた当初、過去の自分が見たならば、なんと自堕落な、と当時の自分を責めたであろう。


 日常の細やかな所作に気を使い、時間があれば木刀を振るう。

 それだけが修行ではないと、山で過ごした日々は、そうジュウベエに告げていた。


 始めは何か違和感を感じていたものであったが、山を降りる頃には、これが自分にとっての自然体なのだと思えるようになった。

 これまで行っていたのが、技を磨く鍛錬だとすれば、山籠もり以降、今は心と身体を磨く修練の最中であるとでも言えようか。


 それにしても、妙な連中と旅をすることになったものだ——。


 ミトという、あのむすめの冒険心は本物だ。更なる広い世界を求めて旅に出たのは、自分と何ら変わるところはない。

 修行の旅というのならば、僭越ながら、自分の知る剣術の手解きをしても良いとさえ思える。


 だが、今日のように危険を伴う、戦場いくさばに連れてゆくのは、正直に言って戸惑いを隠せない。

 確かに、あやかしの恐怖を乗り越え、自身を取り戻したのは、彼女の成長と呼べるものであるのだが。


 野生の獣のような身のこなし。最初に見せた警戒心。次いで見せる裏表のない瞳。

 あの娘が我々のような者に寄せてくれる、信頼や信用を、決して裏切りたくはない。


 いつの間にか、昨日今日知り合ったばかりのハンゾウのことも、己と共に『我々』と考えていることに可笑しくなる。


 ハンゾウと名乗る、あの男は胡散臭いこと甚だしい。しかしながら、あの身のこなし、妖討伐の手管は徒者ではない。

 剣術はおろか、刀にも疎いようだが、何か別の武術を修めていることは間違いない。しかもかなりの使い手に見える。

 下級の冒険者と自らを称しているが、昨日今日の振る舞いは、どう見ても公儀の役人のそれだ。お上直属の隠密の一員と告げられても不思議はない。


 ジュウベエは、僅かばかりだが見知っている、必要とあらば人が相手であっても、手にかけることを迷わない隠密内でも裏仕事を生業とする一派のことを思い起こす。


 しかし、ハンゾウの目は、彼らとは違っていた。そう簡単に人を殺めるなど、到底できそうもない目をしている。

 わたしには迷わず刀を抜いて斬れ、と言っておきながら、自分は、己の命を狙う男を、生かしたまま捕縛してきたのだ。


 ハンゾウの放つ独特の臭いは、あの時の坊主とも似ていた。

 ジュウベエは再び、あの坊主のことを思い出す。

 山中に籠もり、気がつけば、季節が一巡りしていたある日。


 これでもう暫くは、妖もやってこんじゃろう——。


 妖退治はすっかり、わたしに任せ、土を捻っていた坊主が、山の向こうをざっと眺めると、そう言った。


 今回の御役目も、お主のお陰で、無事に果たせたようじゃな——。


 坊主のその一言で、師から受けた、あの奇妙な坊主と共に過ごした奇妙な日々、即ち山籠もりの修行は終わりを告げた。


 ワシは、もともとは刀工じゃよ——。


 先の大戦おおいくさ以来、もと砦のあった地の側の山中で、戦乱の中、亡くなった仲間を弔い続けていた坊主。


 ジュウベエも薄々は気付いていたが、坊主は、森の民ドワーフの里の出の者であった。


 森の民エルフほどでないにしろ、山の民ドワーフもまた、人と比べれば、随分と長命な種族である。


 坊主曰く、つい先頃までは、戦乱の中、仲間の武器を打つのに忙殺されていたそうであるが、最近は焼き物などを手がけながら、悠々自適な毎日であるという。

 森の民エルフ同様に、山の民ドワーフの言う最近が、どの位の時を経ているのかは、想像も及ばないが。


 近頃は、武器を打たんでもうなったで、もっぱらこればかりじゃ——。


 最近の自信作とやらを見せびらかす坊主。

 無骨だが、どことなく味のある造形と色合い。

 それは、まるでこの坊主そのものを彷彿とさせる器の数々。


 今では都で、ちょっとばかり名のある陶工なのじゃ——。




 山を降りる道行きで、その坊主は、更に驚くべきことを、わたしに告げた。

 この修行のため、師匠から賜った、この刀を打ったのは自分だと言ったのだ。

 木刀にしては立派過ぎる、しかしやはり、一本の木刀にしか見えないその刀。


 刀身のみならず、柄から鞘から全部拵えるのがワシのやり方じゃ。これはその中でも会心の出来じゃ——。


 得意気に語る坊主に、刀であるならばと抜いて見せようとしたものの、わたしにはその場では抜くことはできなかった。


 まあ、そのうちお主にも抜けるじゃろう。次に来た時には、お主のために久しぶりに腕を振るってやっても良いぞ——。


 刀が抜けなかったわたしを、あの坊主は、それを然程さほど気にする風でもなく、気楽な様子で山の麓まで見送ってくれたのだ。




 ジュウベエがその刀の抜き身を目にしたのは、道場に戻って来てからであった。


 修行達成の証として、持ち帰った妖石の詰まった大きな革袋、そして預かった刀が、道場上座に座する師匠の前に置かれる。


 一礼して、場を辞そうとするわたしを、そこに座るよう促すと、師匠は革袋を一瞥すると、その刀を取って腰に差した。


 すらりと抜き放たれた、初めて目にする刀身は、しっとりと朝露に濡れたかのような質感を湛え、美しく煌めいている。


 師匠は、その無骨な身体と面構えからは想像もつかない、握る刀に負けず劣らず美しい、まるで一差しの舞のような演武を見せた。

 演武の最後に、革袋に向けて、大上段から刀を振り下ろす。刀は確かに袋を真っ二つにしたかに見えたのだが、袋には傷ひとつなかった。


 師匠が、刀を一振りして鞘に戻すと、まるで妖石が輝いているかのように、袋の内側から煌々こうこうとした光りを放ち始める。

 自らの家名のように、春先の青々とした柳の葉のような、鮮やかな緑色の光は、暫くの間、師匠とわたしを照らし続けた。


 袋を開けてみろ——。


 言われるがままに、袋の口を開け中を覗くと、あのどす黒かった妖石は、一つ残らず透明な輝きを放っている。


 そのうち、お前にもできるようになるだろう——。


 そう言うと師匠は、再度わたしに刀を差し出し、にやりと笑った。


 刀を受け取ったわたしは、師匠にその場で免許皆伝を告げられたのだが、どうにも腑に落ちないものが残る。

 数日間考えた後、師匠に免許皆伝を受けるのは保留とし、修行の旅に出る旨を伝えた。


 わたしの師匠であり、また父親でもある彼は、朝早くから門下生を集め、盛大に見送ってくれる。


 こういうところが苦手なのだ——。


 わたしの呟きは、ついぞ師匠には届くことはなかった。




 ジュウベエは、ふと起き上がり、枕元の刀を取ると、片膝立ちで刀を抜こうと試みる。

 しかし刀は、人智を越える力を以て、封印されているかのように、抜けることはなかったのであった。



  ○ ● ○ ● ○



 その夜、草木も眠ると言われる、誰もが寝静まった時間。

 その部屋から、音もなく出てきたひとつの人影があった。

 その人影は、庭に降り立つと、ふらりと庭の小さな泉に向かう。

 その泉に、月明かりを頼りに我が身を写し出し、ひとしきり、それをじっと見つめていた。

 その人影は、やがて何かに得心がいったように、来た時と同じく、ふらりと部屋へ戻っていくのだった。

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