第13話 『ええーっ、もったいないじゃない!』

 ざわざわと、ハンゾウの背中を冷たい風が吹き抜けていく。


 燃え盛る炎に包まれ、ぴくりとも動かない大ウツボは息絶えたようにも見える。

 しかし、ハンゾウの髪も瞳も、くれないに染まりかけたまま、元の色には戻ってはいない。


 何より、この妖気はなんだ。転がってるだけのヤツから、どんどん溢れ出てきやがる——。


 ハンゾウは、最後の一発を宿した拳銃を油断なく構え、一歩また一歩と、再び妖に近づいていった。

 折しも、ぱらついていた雨が、本格的に降り出し始め、彼とあやかしを、びっしょりと濡らしてゆく。


 ああ、炎が消えちまう————。


 背後では、冒険者の誰かが洩らした、不安に染まりかけた声が聞こえてくるのであった。



  ○ ● ○ ● ○



 崩れ去って消えてゆくヌエを見つめるミトの目には、最早恐怖の色はなく、代わりに恐ろしいほどの好奇心で満ちていた。

 滅せられたヌエの跡に残された妖石。さっそく、そこへ駆け寄ろうとする彼女の手を、ジュウベエ握りとめ、自身の方へと引き寄せる。


「何をしようと言うのだ。まだヌエが、我々を狙っているではないか」


 ミトは、目を輝かせ、大きな石を叩いて砕いたかのように散らばっている妖石を指差した。


「あれっ! あれは何なの? あれが、もしかして妖石ってやつ?」


 ああ——。興味がなさそうな顔のジュウベエ。


「あれは確かに妖石というものだ。金と換えられるらしいが、今は捨ておけ」


 そういうジュウベエとて、この修行の旅に出るに際し、大した額の路銀を持ち合わせていた訳ではない。

 道々、現れた賊を捕らえるなり、出会したあやかしを倒すなりして、路銀を稼ぎながら旅をすれば良い、という心積もりであった。


 昔、聞いた話によって、この妖石とやらは、金子きんすに替えられるということも知ってはいるのだ。


 実際、昨日ミトたちに出会うまでの道のりで、何匹かの小物の妖を斬ってきたのだが、今はそのような場合ではない。

 買い取り金目当てに妖石を拾って回るより、ミトを守りながら、この妖どもの群れを殲滅する方が先なのである。


「ええーっ、もったいないじゃない!」


 鼻息を荒くするミトを軽く往なし、ジュウベエは妖どもを睨む。


「後で拾って帰れば良かろう。今は君自身の安全を考えたまえ」


 表情をころりと変え、首をすくめるミトの目は、しかし未だ妖石を追っていた。

 そう話している合間にも、ヌエの一体が、ジュウベエたちを目掛けて舞い降りてくる。


 人の身体より、一回りは大きかろう肉食獣の体躯に、鋭い爪を備えたあやかしの一撃が、正に今、ふたりに襲い掛かからんとする瞬間であった。



  ○ ● ○ ● ○



 消えかけた炎の中、黒焦げになった大ウツボの虚ろな赤い目は、未だじっとりと、己に近づいて来るハンゾウを見つめていた。


 やっぱり、コイツはくたばっちゃいねぇ——。


 その不気味な目は、未だハンゾウを捕らえて放さない。

 ハンゾウの、くれないに染まりかけた瞳もまた、妖の目を見返す。

 暫く睨み合っていたが、ハンゾウは構えていた拳銃を降ろし、ふっと視線を外すと、踵を返した。


 雨を呼びやがった。この辺りが潮時か——。


 再び満ち始めた潮が、足下の岩礁に、波を打ち付けていることばかりを言っているのではない。

 ざあざあと降り続く雨の中、ハンゾウは、己と妖を遠巻きに見守る冒険者たちの元へと戻ってゆくのであった。



  ○ ● ○ ● ○



 妖の鋭い爪が間近に迫り、ジュウベエを切り裂く寸前、横薙ぎにした刀は妖の四肢を斬り飛ばした。

 どうっ、と地面に転がって仰向けで暴れる妖。

 ジュウベエは、つかつかと妖に近寄り、人に良く似た胸の辺りに刀を突き立てる。


「見れば見るほど、このヌエってヤツは、なんかこう、気に入らないわね」


 息絶えた妖を睨みつけ、ミトは心底嫌そうな顔でぼそりと呟いた。


「妖のくせに、そんなケシカランモノを、見せつけてくれちゃってんじゃないわよっ!」


 最後は、心からの叫びとも思えるミトの言葉。その表情は、既に恐怖から脱している。

 それを聞いたジュウベエは、眉間に皺を寄せた。しかし、その顔には心なしか、安堵の色もまた伺えるのであった。



  ○ ● ○ ● ○



「今日は皆良くやってくれた。見事、この妖の討伐は成された」


 ハンゾウの号令を聞いた冒険者たちは、一斉に歓声を上げる。


 矢も油も尽き果て、爆裂筒も使い果たし、犠牲になった者も少なくはないが、この大物の妖を討伐したのだ。


 お互いの健闘を称え合い、帰って祝杯を上げても罰は当たらない。冒険者たちの誰もが、疲れた中に笑顔を見せる。


 彼らは、今日の経験をもとに、この先、もしの大ウツボや大ダコの妖が現れたとしても、無事に討伐を果たすことだろう。


 後始末なら我々も————。居残ろうとする数名の冒険者たち。


 ハンゾウが雨が上がったら、大掛かりな陣を、浜に描いて海を浄化する旨を伝える。

 冒険者たちは何度も頭を下げ、そして何度もハンゾウを振り返りながら、町へと帰っていった。




 冒険者たちが浜から姿を消すのを見届けると、ハンゾウは大ウツボの元へと戻る。


「俺が本気になって妖とやりあってるのは、あんまし人には見せたくないんだ」


 誰に聞かせるでもなく呟いたハンゾウの瞳と髪の色は、一歩、また一歩と大ウツボに向かって、歩みを進める度にくれないに染まってゆく。


 かつては、その瞳と髪の色のせいで、化け物呼ばわりされることも多かった。それ故人前では、できる限り気を鎮め、平静を保つように心掛けた。

 彼は妖の討伐などを始めとした多岐にわたる依頼も、そのほとんどを単独で請け負う。しかも必ずそれを成功させて依頼者の元へ戻ってくるのだ。


 次第に、単独活動を続けていたハンゾウの元に、噂を聞いた依頼者たちが、彼を指名して依頼を申し込んでくることが多くなった。

 遂には、小国を動かしているような立場の者から、表沙汰にできないような仕事を組合ギルドを通さずに、彼に直接依頼をしてくる者たちも出始める。


 彼にとって、唯一と言って良い存在の上役は、事後であっても必ず自分に報告をすることを条件に、違法となるもの以外は依頼を直に受けることを認めた。


 もっとも何故だか理由は判らないが、その時以来ぱったりと直の依頼をしてくる者たちは途絶え、代わりに、その上役からの依頼が大半を占めるようになってゆく。


 都に置かれた冒険者組合ギルド本部が認定した階級も上がり、その地位を確固たるものにした今も、それは変わらない。

 表向きは本部所属の特級冒険者だが、事実上自由な立場で依頼を引き受け、またしばしば断りながら活動していた。


 今回のように大きな依頼の合間に起こる、行きずりとも言える討伐依頼では、地元の冒険者たちと共同でなすこともある。

 しかし、大概は策を授け、指揮を執り、実働は冒険者たちに任せることで、任務の遂行を成功させることができた。


 この大ウツボは、そういった、行きずりの仕事としては破格の相手である。


 おそらくヤツは、何者に力を与えられて、強化された大妖おおあやかし——。


 これ以上の犠牲者を出さないためには、ハンゾウがひとりで立ち向かう必要があったのだ。


 すっかり炎も治まり、雨のそぼ降る中、彼は倒れた大ウツボの眼前に立つ。


「さあ、二回戦だ。今度は本気出そうぜ。俺も本気でいくからよ」




 ハンゾウの言葉が妖に届いたとも思えないが、途端に大ウツボの包する妖気が膨れ上がる。


 真っ黒に焼け焦げた鱗がばりばりと音を立てて剥がれ落ち、その下からからは新しく無傷な鱗が姿を見せた。

 全身を覆う粘液も取り戻され、ぬめぬめとその身を光らせる。赤々とした目は虚ろさを増し、大きな顎門あぎとからは無数とも思える牙が垣間見える。


 足下を流れる潮もハンゾウの足首付近にまで達し、彼の動きを鈍らせ、頻りに降り注ぐ雨粒は、小粒ながらも彼の視界を奪っていった。

 先ほどより格段に鋭くなった大ウツボの攻撃を、ひらりひらりと交わし続けるハンゾウの目の片隅に、妖の目と目の間に刻まれた呪印が映る。


 赤黒く浮き上がったその呪印の意味を、ハンゾウは瞬時に理解した。


 あれがコイツの持つ力の源。つまりは弱点だ——。




 ハンゾウは、あの町の冒険者組合ギルドの長に話を聞いた時点で予感はしていた。


 コイツは、何者かが悪意を以て、ここに送り込んだ存在ではないかと——。


 冒険者の間では、人外のものや、その正体が不明なものまでを含め、人に害をなすものを妖と呼んでいる。

 妖の多くは、瘴気に毒された獣が狂気に駆られ、破壊衝動のままに暴れまくる、害獣との境界線が曖昧な存在だ。


 少々厄介なのは、業の深い彷徨える人の魂が、瘴気を媒介に獣の身体とひとつになり、化け物と化した場合だ。


 ただ国中が乱れた戦乱の世ならまだしも、そんな形で妖が出没するなど、年に何件か数えるほどしか起こりはしない。

 今日のように一つの町を挟んだ、海と山という複数の場に、第一級災害指定となり得るような妖が、自然発生することなど有り得ないのだ。


 術士の中には、妖を使役する術を使う流派の者も、僅かながら存在する。彼らは、何らかの方法で妖を呼び出す、或いは作り出すことも可能だと言われている。


 この前片付けた、都近くで起こった妖の騒動。先頃より頻繁に起こる大小の妖絡みの事件。偶然なのか、それとも以前から危惧していた事態になったのか。


「まったくもって、厄介なことに巻き込まれたもんだぜ」


 頭の中を去来する様々な思いを振り払い、ハンゾウは大ウツボの鼻先へと飛び込む。


 そして、この大妖を葬るべく呪印を目掛け、破壊の術式を込めた拳銃による、渾身にして、最後の一撃を放つのであった。

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