第14話 『わたしに斬れぬ妖などおらん』

 ハンゾウの放った拳銃、最後の一発は、光の矢となって、呪印に向かって一直線に飛んでゆく。

 見事に呪印を貫いたと思われた、その瞬間、ハンゾウは信じられないものを見た。


 大ウツボに当たったかのように見えた矢は、そのあやかしの上を滑るように逸れていき、そのまま、あらぬ方向へ消えていったのだ。

 ちょうどうなぎ泥鰌どじょうを掴もうとするものの、ぬるりと滑り、掴みきれなかった時の指先の動きとでも言えば良いのだろうか。


「何だったんだ、今のは」


 ヤツを覆う鱗や粘膜は、俺の術式まで滑り飛ばすっていうのか——。


 一度、大きく後方へ飛んで、あやかしとの距離を取るハンゾウ。




 ハンゾウは、その数奇な生まれと、その後に起こった事件、そしてそれにまつわる身体のせいで、所謂いわゆる『術』は使うことができない。

 ただ、どこの流派でも教えるであろう、初心者向けの術。例えば札に術式を記し、それを発動させるくらいのことはできた。


 しかし、その生まれ持った身体と、後の修行のおかげで、ハンゾウの身体の内には『力』が満ち溢れて、それは尽きることがない。


 高位の妖ともなると、自分の周囲にこちらからの攻撃を防ぐ結界を張っていることが度々ある。


 刀のやいばが届かない——。


 火攻め、水攻めが通用しない——。


 或いは、それら全てを兼ね備えた妖すら、この世には存在する。


 それらの妖に対抗するため、術士は研究し、研鑽し、そして『力』を高める。だが、ハンゾウには『術』は使えない。


 故に彼は妖に対し、結界という目には見えない鎧をブチ破り、敵の本体に直接『力』をブチ込む『技』を使うのだ。


 即ちそれは、『今から、オマエを力一杯、ぶん殴るっ!』という単純にして明快、そして最凶にして最強の拳なのであった。



 ハンゾウは腰を落とし、深く息を吸い込む。

 貯めた『力』を、腹の中で『気』として練り上げ、それを全身に送り込んでゆくのだ。

 その瞳も髪も、そしてその魂までもが急激に深紅に染まってゆく。


「俺には、ジュウベエみてえな斬撃は飛ばせねぇが……」


 この拳は、必ずオマエを捉えるだろうぜ——。


 拳に『力』を集め、渾身の一撃を放たんとした瞬間のことだった。


「そろそろ儂の出番かのう」


 のんびりとした声が、ハンゾウの頭の中に響いた。



「待てよ。今いいとこなんだから」


 『力』の結集を削がれ、惚けたような声を出すハンゾウ


「あんなにでかい魚を捌けるのは、どこを探しても儂くらいしかおらんじゃろう」


 声の主は、尚もハンゾウに呼びかける。


「あやつを開いて、おろすことができるのは、儂の他に誰ができるだろうか。いやできない」



「うおっと、あぶねぇ」


 ハンゾウは、再び後方に大きく飛び退く。

 ハンゾウと何者かが話をしている間も、大ウツボは彼らを狙っているのだ。


「ちょっと、お前は黙ってろ。ウツホラキリ」


 声の主は、短い刀にして、長い包丁のツクモガミ、ウツホラキリであった。



 ハンゾウの腰にあるのは、今朝方差したまま、その存在を忘れられていたウツホラキリ。


「お前には、封印を施したと思ったんだが」


 大ウツボの動きからは、目を離さずハンゾウは、腰のウツホラキリを握りしめる。


其方そなたの術などなんぼのもんじゃ。あれは其方のために、儂が頑張って封印されたふりをしたんじゃ」


 ウツホラキリは、澄ました顔で答える。いや刀に顔などはないが、ハンゾウにはそう聞こえた。


「其方のことじゃ。後の始末のことまで考えず、力に任せるつもりじゃろう」


「おおっ。その通りよ。あの大きさだ。ぶん殴りがいもあるってもんさ」


「其方、思ったよりも愚かよのう」


「ああっ。何だって。文句あんのか」


「あの大きさの妖を木っ端みじんにしたら、この磯どころか、近隣の浜までが瘴気に侵されるんじゃぞ」


「そりゃ、まぁ、そうだけどよ。他にやりようねぇだろうが」


「だから儂に任せれば、巧いこと捌いてやると言うとるんじゃ」


「お前は、本当にあの大ウツボを捌けるのか」


「当たり前じゃろう。儂を何だと思っておるんじゃ」


「口をきく、刀だか包丁だか、とにかく気味の悪いものだ」


「何じゃ、そりゃあ。其方は儂のことを、そんな風に思っとったんか」


 ウツホラキリは腹を立てたのか、それきり声は聞こえてはこない。



 大ウツボの攻撃を交わし続け、戦場も潮の満ち始めた岩礁から、濡れた砂の広がる浜辺へと移った。

 降り続けていた初夏の通り雨も止み、雲の切れ目からは太陽が顔を覗かせる。


たこなんかを食う前には、塩をまぶしてから、そのぬめりを擦り取るっていうぜ」


 完全に海の中から全身を浜に上げた、大ウツボに向かって、ハンゾウは挑発する。


「塩じゃねえが、この砂でオマエのネトネトも、大分取れちまったんじゃねぇのか」


 彼の企み通り、全身が砂に塗れた大ウツボの動きは、先ほどより明らかに鈍っていた。


 ハンゾウは、腰のウツホラキリを取り出し、柄と鞘の境目辺りに貼ってある封印の札を剥がす。

 鞘から真っすぐな刀身と、美しい刃文を持つウツホラキリを、するりと抜き放つと、その刀身に語りかけた。


「さっきのは冗談だ、機嫌を直せよ。ひと働きしてもらうぜ、ウツホラキリ」


 抜いた刀身に自分の顔が映り込み、ハンゾウの頭に、ふとミトとジュウベエの顔がよぎる。


 嬢ちゃんは、山へ向かったかな——。


 ジュウベエが、ついてりゃ安心だろう——。


 わたしに斬れぬものなどない……とか、言ってたりしてな——。



  ○ ● ○ ● ○



「わたしに斬れぬ妖などおらん」


 次から次へ、どこからか湧き出るように迫りくるヌエの群れ。

 ジュウベエは、それらを現れる端から、一刀両断の下に切り伏せてゆく。


「うわー、容赦ないねー」


 ジュウベエの後について歩くミトは、登りながら来た道を振り返って眺める。

 ふたりが登ってきた、うねうねとした山中の道には、妖の亡骸が累々と転がっていた。

 登るに連れて、最初に遭遇したヌエの群れよりも、その規模は大きくなっていく。


 当初は、ぽつりぽつりと出現していただけであったが、今やその数も、また頻度も、段違いに量を増していた。


 ジュウベエは、未だ迷っていた。登る足一歩ごとに強まる妖気、増える妖。


 このまま、ミトを妖だらけの山の頂きまで、連れていって良いものか——。


 さりとて、彼女ひとりを逃したところで、無事に帰ることができる保証もない——。


 断続的なヌエの襲来が途絶えたその時、ジュウベエは歩みを止め、後ろを歩いていたミトを振り返った。


「ふむ、やはり君を目の届かない、後ろを歩かせるのは心配だ」


「ええっ、ワタシが前を行ってもいいの?」


「そうではない。横に並ぶのだ」


 この山道、普段は山向こうの町との行き来に使われている。

 ある程度は歩きやすく整備されているものの、さしたる広さはない。


「うむ、少し歩きにくいが、これなら大丈夫だろう。わたしと離れるでないぞ」


「ちょっと、歩きにくなー。もうちょっと、そっちへ寄ってよー」


「だがこれで、振り向いたら君がいなくなっていた、ということも起こらんだろう」


 ミトとふたり、肩を並べて登り始めたジュウベエは、懐から再び拳銃を取り出す。


「やはりこれは、君が持っているのが良かろう」


「おおっ、やったーっ」


 手にした拳銃を、しゃっしゃっと右へ左へと構え、はしゃぐミト。


「振り回すのはやめなさい。危ないだろう」


 やれやれと首を振るジュウベエは、浮かれているミトをたしなめる。


「それは、君自身を守るために使いなさい」




 その日、何度目かのヌエの群れとの遭遇。

 先ほどにも増して、群れの規模は大きい。

 四方八方から迫りくるヌエの攻撃は、その獅子の如く大きな体躯故、緩慢に見えるが、その実かなりの速さがあった。


 ジュウベエは、ひらりひらりと風に吹かれる柳の如くヌエの鋭い爪を躱し、力強い踏み込みで渾身の一撃を繰り出す。

 妖の隙を突く、その鋭い斬撃は襲い来る妖のみならず、宙を旋回し、ふたりを狙っている妖までをも切り裂いていった。


 ヌエ退治をジュウベエに任せているのか、ミトは彼の傍らで、返してもらった拳銃を、威勢だけは良い掛け声と共に振り回している。

 折しも、その群れの最後の一体を地に叩き落としたジュウベエの背中と、ミトの腕とが丁度ぶつかってしまった。


「ふにゃ〜っ!」


 妙な声と共に、ぶつかった反動で、もんどりうって転びそうになる彼女の手を、はっしと取って、助け起こすジュウベエ。


「大丈夫か。どこか痛むところはないか」


「ワタシは平気よ。けど、この銃ってやつは、案外難しいのね。なかなか狙いが定まらないわ」


 ミトは遊んでいた訳ではない。ほんの鼻先の距離まで迫り来る妖の爪を搔い潜り、引き金を引く機会を伺っていたのだ。


「ワタシと違って兄様は、さっと狙って、ぱんっと撃って、それでも百発百中だったのよ」


 自分のことのように、ミトは兄様の腕の良さを自慢げに語る。

 確かに、歴戦の勇者と思わしき兄様と比べるべくもないが、彼女には、その体躯故の非力さを差し引いても充分な身体能力を備えていた。


 例えその大部分が、ミトに近づく前にジュウベエに切り捨てられていたとしても、この数のヌエに襲われていながら、今の彼女は全くの無傷なのだ。

 逃げるだけであれば妖どもを振り切って、山を下って逃げおおすこともできたであろう。しかし彼女は、この山を登ることを選んだのである。


 ジュウベエは、ミトの頭をぽんぽんと、軽く撫でるように叩くと、頂へと続く道を視線も鋭く見上げた。


「妖気が強まっている。妖の拠点が近いのかもしれん。わたしの側を離れるなよ」


 撫でられた頭を嬉し気にさするミトは、こんな時だというのに、いや、こんな時だからこそか、にっこりと花の咲いたような笑顔で頷くのであった。

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