第12話 『これはなに? こわくないの?』

 足場の悪い岩礁の上、するするとハンゾウは、大ウツボの潜む洞穴に向かって、苦もなく進んでいった。


 洞穴の底知れぬ暗闇の奥から、近付いてきた得物を狙う、大ウツボの赤く光っている目が見えている。


 ハンゾウを狙っているのは、あやかし特有の不気味な赤い瞳。

 虚ろに、しかし、人には見えざるものまで見つめているかのような、その瞳。


「何匹狩っても、妖のあの目は好きになれねぇな」


 独り言ちるジュウベエの瞳もまた燃えるようにくれないに染まる。いや瞳だけではない。その髪もまた、徐々にあかみを増していた。


 彼の髪も瞳も、彼がこの世に生まれた時より紅色べにいろを帯びている。彼の故郷では、あかい髪や瞳は吉兆とされおり、里の者は歓んだ。


 彼が成長するにつれ、生まれついての鮮やかな紅色は影を潜め、普段は紅色がかった鳶の羽根のような色に落ち着いていくこととなる。


 ただ、彼が深い悲しみや、怒りを感じた時、その感情に呼応するかのように、髪も瞳も紅色に変わることがあったとは、後から聞いた話だ。


 都に出てきたばかりの頃は、そのせいで周りの者に怖がられたり、気味悪がられたりと、まるで妖のような扱いをされたもんだが——。


「今じゃ、気に入ってるんだ。俺は、てめえら妖とは違うんだよ」


 大ウツボが洞穴から姿を現し、ハンゾウを喰い千切らんと、大きな顎門あぎとを広げて襲いかかる。

 その鋭い牙が、ハンゾウを捉えたと思われた瞬間、彼は後ろに大きく飛び退きながら、銃から二発目の光の矢を放つ。

 ぽっかりと開けられた、恐ろしいほどの闇を湛える、その口中に光の矢は吸い込まれるように消えていった。


 同時に、後方より火矢が雨あられと、妖に振り注ぐ。大半は狙い通り、妖の腹の中へお見舞いしてやったようだ。

 僅かに後から投げ込まれたであろう、火を点けた油瓶が功を奏し、外れた火矢も、妖の粘膜を削ぎ、鱗を焼いている。

 妖の喉元辺りから上がった炎は、じわじわと勢いを増し、今や、その全身までもが炎に包まれ、辺り一帯は火の海と化していた。


 同じようなをしてはいても、ウツボは蛇と違って鎌首をもたげたりすることはできない。

 岩礁の上で、その焼けた身体では洞穴に戻ることも叶わず、大きな身体をくねらせるばかりだ。


 だが炎の中から、ハンゾウを狙う虚ろな赤い目は、獲物である彼を噛み砕くことを諦めてはいない。

 再度大きく顎門を広げ、燃え盛る炎、そのぎりぎりの所まで攻め込んでいるハンゾウを襲う。


 自身が炎に焼かれそうなりながら、ハンゾウは三発目を撃ち込むと、冒険者たちを振り返って大声で叫ぶ。


「俺のことは気にするなっ! ガンガンやれっ! 今が好機だっ!」


 その声を合図に、炎に包まれ、ずるずるとのたうち回る妖に、再度一斉に火矢の雨が降り注ぐ。


 ハンゾウをも巻き込まんとする火矢と眼前の炎、そして大ウツボの牙を搔い潜り、銃を構え四発目を放つ。


「次は爆裂筒だっ! 全弾撃ち尽くすつもりでいけっ!」


 ハンゾウの言葉に、冒険者たちはときの声を上げ、大ウツボの開け放された顎門から体内目がけ、爆裂筒もろとも次々と矢を撃ち込む。


 妖の腹が、何度もぼこぼこと膨れ上がり、微かな破裂音とともに萎んでいく。

 のたうつ妖の動きも、少しづつだが鈍くなっていった。


 ハンゾウが冒険者たちの元へと戻りながら、振り返って、五発目となる光の矢を撃ち込むと、ついに妖は、その虚ろな赤い目を見開いたまま、動かなくなった。


 やったか————? 


 冒険者の誰かが呟き、折りしも降り出した雨粒が、ジュウベエたちの額に落ちてきたのであった。



  ○ ● ○ ● ○



 山の頂に近づくに連れ、あやかし独特の尋常ならざる気配、即ち妖気が強まってゆく。そして、それに伴って、恐ろしい程の静けさだけが、ふたりを包み込む。


「ふむ。妖どもの縄張りに、本格的に足を踏み入れた、ということであろう」


「許せないわね。山も森も、ワタシたちのものよ」


「いや、君のものでもないだろう」


「ちーがーうーっ、鳥や獣や虫や花や草や木や……、とにかく、みんなのものって言いたいのっ」


 両手を握りしめ、鼻息を荒くするミトに、ジュウベエは、いつもと変わらない落ち着いた表情で応える。


「ふむ。ならば、この山に居座る妖どもを滅して、山を守ろう」


 そう決意を新たにした途端、ジュウベエの背中を、ぞわりと悪寒のようなものが走り抜け、邪悪な気配に、思わず空を見上げる。


 いつか山中の古寺で見た光景そのままに、周辺の空気がぶれ始め、ぐにゃりと歪んだ視線の先には何体もの妖が現れた。


「あれは……ヌエか」


 例によって、刀を鞘ごと腰から引き抜きざまに、疾風迅雷の一閃を放つ。


 ジュウベエの飛ばした斬撃によって、見事に切り落とされた妖の首、次いで胴が、どさどさと重い音を立てて地面に落ちて来る。


 突然濃くなった妖気に怯えていたミトの目の前に、突然現れて、空から降ってきたのは大きな妖の首。


 美しい女性の形をとっていながら、不気味に無表情なそれは、目だけは虚ろに赤く光り、彼女を見つめている。


 思わずその場を飛び退いたミトは、ジュウベエに抱きつかんばかりに寄り添い、彼の顔を不安気な表情で見上げた。


「君には、あのヌエの姿が見えていないのか」


「そんなもん見えないよ。急に目の前に、妖の首が出てきてビックリだよ」


 ジュウベエの背中に隠れるようにして、恐る恐る落ちた妖の首を覗く。

 人のように見えて、人ではない。形が人に見えるだけの虚ろな存在。


 半眼で、ミトを見つめるその瞳は、しかしミトではないものを見ている。


 怖い——。


 それなのに妖に近づいて、もっと良く見てみたいという相反あいはんする不思議な感情。


 これが、妖に取り憑かれるということなのかな——。


 ミトまでもが、目を虚ろに曇らせ、その瞳からは光が消えていく。


 突然ミトが見つめ、ミトを見つめていた、妖の生首がごろりと転がる。


 驚いて顔を上げると、ジュウベエがごろごろと生首を蹴り転がしていた。


「妖ごときが、人の道を塞ぐなど、不届き千万な」


 ジュウベエは普段通りの真面目くさった表情で、力一杯生首を道端に蹴り飛ばす。

 しかし、その眉が、少しだけ上がっているところをみると、腹を立てているらしいことが伺えた。


「ジュウベエは、それ……怖くないの……?」


 森の民エルフの城下町で生まれ、都で育ったミトが、これだけの大きな妖を見たのは初めてのことだった。

 兄様の夕餉ゆうげのひとときに聞いた武勇伝。その中で何度となく出てきた数々の妖。

 兄様は、狩りの話でもするように、妖討伐の話を語って聞かせてくれたものだ。


「怖い? こんなものが? 田畑を荒らす害虫どもと、さして変わらんではないか」


 命ある獣や、虫とあっては、そうそう斬って捨てることも躊躇われる。彼らもまた懸命に、この世を生きているのだ——。


 そもそも生きているのか、死んでいるのかも良く判らん連中だぞ。わたしの行く道を邪魔立てするものは斬る——。


 この妖気に満ちた山の中であっても、ジュウベエが、いつものジュウベエであることに、ミトの心も次第に落ち着きを取り戻していく。


 ミトの心の中で、恐れおののく気持ちに勝った好奇心が、少しずつ頭をもたげ始めたのを、彼女自身も感じていた。


「これは何……? 人の顔してるけど……」


 巨大な人の女性のように見える上半身に、屈強そうな獅子の下半身。背中には鷹を思わせる大きな翼。

 初めて見る妖は正体不明の、いや正体が不明であるが故、地に伏して尚、それは異様な恐ろしさを放っている。


此奴こやつらはヌエだ」


 ジュウベエの、あっさりとした応えようにミトは驚く。


「ヌエ? 兄様に聞いた話と違ってるけど、これがヌエなの?」


 ミトの問いに、片方の眉を上げつつ答えるジュウベエ。


「ああ、間違いない。昔、嫌という程斬ったことがある」


 その言葉を聞いた途端、ミトは目の前の紗が、取り払われたかのように明るくなるのを感じた。


「妖も名前を付けて、正体を掴んでさえしまえば、さしたる恐ろしさもない」


 光を取り戻した目で、空を見上げたミトには、ふたりを狙うかのように宙を旋回するヌエの姿が見えている。


「名前が付いていて、姿形のあるものならば、斬れぬものなどないのだ」


 ヌエの群れ目掛けて、新たに斬撃を放ったジュウベエの両脇に、真っ二つに斬り裂かれた妖が落ちていった。


 それが合図であったかのように、撃ち落とした妖の生首も胴も、たった今切り裂いた妖も、その身をどす黒く染め上げていく。


 そして、ぼろぼろの朽ちた消し炭の固まりのようになったそれらは、やがて風に吹かれ、塵のように崩れては消えてゆくのであった。

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