第11話 『反撃開始といこうじゃないか!』

 獣どころか、鬱蒼と生い茂る木々までもが、魂の抜け殻となってしまったかのように静まり返る山の中。

 ジュウベエの背後より迫っていた怪しい気配は、彼にあと数十歩という辺りで忽然と掻き消えた。


 かさり、と頭上の木の葉が微かな音を立てる。

 と同時に彼の目の前に、すっと降り立つ者があった。


「じゃーーーん! 森の戦士、ミト参上っ!」


 奇妙な掛け声、珍妙な仕草で、ミトがジュウベエの前に姿を現す。


「やはり君だったか」


 驚きもせず、出掛ける前と、なんら変わることのない鹿爪しかつめらしい表情のジュウベエに、憤慨するミト。


「何でそんな冷静な顔してんのよ。何だキミか。じゃないわよ」


 この何もかもが死んでしまったような山の中、かなりあった筈の距離を瞬時に詰めてきた気配。

 だがしかし、それは決してよこしまなるものではなかった。生命力に溢れたその気配は、ミトのものでしか有り得ない。


 気配を察した瞬間こそ、ジュウベエは警戒したものの、徐々に近づいてくるそれには、妙な安堵感さえ覚えていたのだ。


「置いてくなんて、ひどいじゃないのー。昨日といい、今日といい、何かワタシの扱い、間違ってると思うんだけどー」


 膨れっ面で文句を言い続けるミトを無視して、ジュウベエは懐から一挺の拳銃を取り出す。


「これをハンゾウから預かった」


「なになに? ワタシになんかくれるの?」


「君に渡しておこう。これで身を守りなさい」


 拳銃を見た途端、笑顔になったミトは、引っ手繰るようにそれを手に取ると、あれこれと触り始めた。


「これは……こうかな? それとも、こう?」


 ミトは、銃身を握ると、台座を宙に打ち付けるような仕草をする。


「ちょっと待て。そうではないだろう」


 ジュウベエは、慌ててミトから拳銃を取り上げた。


「知ってるよー、拳銃っくらい。今のは笑うトコでしょ」


 再び、口を尖らせるミトに、ジュウベエは眉を上げる。


「これは玩具おもちゃではない。真面目に使わんのなら没収だ」


 むうっと唸り、仏頂面のミトは、それでも頷いた。


「わかってるわよ。ワタシだってふたりの力になりたいんだから……」


 初めての山中、それでも森の中には慣れているせいか、先行したがるミトを抑え、ジュウベエは山道を先頭に立って登る。


「拳銃はね、ちょっと前に兄様が凝ってたのよ」


 いつだったか、新し物好きの兄様は、型の違う拳銃を、何挺か仕入れてきた。

 山の民ドワーフより仕入れてきたという、それの修練にミトは連れて行ってもらったことがあった。


 山の民ドワーフって、ああいうおかしなモノを造るのは得意なのよね——。


 呟くミトの山の民ドワーフ感は、少しだけ偏っている。


 危険だからと触らせては貰えなかったが、かちゃりと撃鉄を引き起こし、片手で的を狙う兄様の姿は格好良かった。

 暫くは、御役目の折りも、その懐に拳銃を携えていた兄様だったが、結局は弓の方が扱いやすいということになったらしい。

 その後、銃はどこかへと厳重に片付けられ、以来兄様が拳銃を持っている姿は、ぱったりと見なくなってしまったのだった。


 拳銃にまつわる、兄様との想い出を語っていたミトが、突然その整った形の小さな鼻をつまみながら、辺りをきょろきょろと見回す。


「なんにしても、この山は臭いわ。さっきから何の臭いかしら、これ」


「ふむ。それはあやかしの臭いだろう。わたしには臭いまでは判らぬが、気配だけは感じている」


「きっと、この臭いのせいね。獣たちも隠れてじっとしてる。鳥なんかみんな逃げちゃったみたいね。木々も息を止めてる」


 麓から登り始めた時には広がっていた青空は翳り、木々の合間から見えるそれは、紗が掛かったようにどんよりとしている。

 視界を遮る多くの木々が生い茂る風景から何から、霧が出ているかのように全てがぼやけて見えていた。


 思わず辺りを見渡せば、見覚えのあるはずの山の景色が広がる。

 しかしそれは、いつの間にか、同じに見えて、どこかしら違ったものへと変わっていたのであった。



  ○ ● ○ ● ○



 やっぱり、これを使うことになったか。ハンゾウは手許の拳銃を握り締める。


 あの用心棒の若旦那から取り上げた拳銃は全部で三挺。いずれも、近頃都で出回ってる携帯式拳銃ってやつだ。

 だが、その内二挺は、かなり型式の古いものだった。

 拳銃が、市井の冒険者にも使われるようになったのは最近のことだが、先の大戦おおいくさの折りにも、使ってた者はいたと聞く。


 古い二挺は、いつの時代に造られたかは判らないが、巡り巡ってあの男の手に渡ったんだろう。偶然か意図的にかは別にして。

 二つとも、元はどこぞの術士が、火薬を使って撃つ拳銃を、何らかの術式を込めた弾丸を放つために改良した節があった。

 それ故、術の使えない自分でも手を加えることができたのだ。


 残りの一挺は、見た目が同じようでも最新式だ。最近になって作られものだろう。刀の銘のようなものが掘り込まれていた。

 ここに来る前に、都に送るように依頼しておいたから、いずれ、あれを手掛けた職人など、その出所も判るかもしれない。




 ハンゾウは傷ついた者たちが、無事に還ってきたのを見届けると、次々と冒険者たちに指示を飛ばした。


「まずは怪我を負った者の治療だ。弓と爆裂筒は持ってきているな。油の用意はどうだ」


 ウツボというのは、虚ろな洞に棲むモノ。即ちウツホラというのが古い呼び名だ。その名の通り、岩の間の狭い穴から獲物を狙っている。


 そして、目の前を獲物が横切った瞬間、素早く喰いついて、その恐ろしい程の力で穴に引きずり込んで喰っちまうって話だ。


 タコなんかが相手だと、その脚に喰いついて、水中で回転しながら引き千切っちまうとも聞く。油断のならない相手だ。


 ハンゾウの話に、自身の腕を喰いちぎられるところでも想像したのだろうか。冒険者の何人かが腕を抑えて、ひっと低く悲鳴を上げる。


「だがヤツは、あの大きさだ。腕や足の一本や二本じゃ済まねぇだろう」


 しかもだ——。


 ハンゾウは説明を続けた。


「あの全身を覆っている尋常じゃない粘液が厄介だ。ヤツがでけぇ図体の割に、狭い洞の中から地上に出て、自在に動けるのもその粘液のせいだ」


 あの粘液の下の鱗も固くて厚いんだぜ。普通の刀や弓じゃ、あの化け物には通じねぇ——。


 ハンゾウは、妖の厄介さを、敢えて付け加える。


 それじゃあ、どうすれば——。


 不安におののく冒険者たちを勇気づけるように、ハンゾウは考えていた戦術を伝えた。


「まずは、ヤツを穴から引っ張り出す」


 あの大ウツボは、大蛇のように見えて魚の仲間だ。海中なら狭い岩の隙間から信じられない速さで獲物を襲う。

 魚にしちゃあ、海から出てきて、岩場の上を這いずり回って獲物を追うらしいが、海の中みてぇに早くは動けねぇ。


「そこへ、その火矢だ。そいつをヤツの大きな口の中、腹一杯喰わせてやれ」


 通常、火矢というのは、砦や城の攻略時に、燃えやすいよう油に浸した布を矢の先端に巻きつけ、そこに火を付けた矢を放つ。

 どちらかというと、建物を炎上させて、敵の戦力を奪うというのが目的となる。それを、妖の口の中に放り込もうというのだ。


 もうひとつあるぞ——。


 ハンゾウは、油をなみなみと注ぎ込み、口に布を詰めて栓をした陶器の瓶を掲げる。


「これで火を付けた油をぶっかけて、外側からも焼いちまおうって寸法だ」


 本来、浜や磯に大量に油を撒いて火を放つなど考えられない。その後暫くの間、その海で漁ができなくなるからだ。

 上役からの指令で、これらを何に使うのか判らずに、油や瓶、火矢の準備をした冒険者たちは、成る程と頷いている。


 しかし、海辺の育ちであろう一部の者は、掟破りのその戦術に困惑の表情を隠せずに、不安そうな顔をしていた。

 ひとりひとりの顔を見回しながら、ハンゾウは噛んで含めるように彼らに言い聞かせる。


「後のことは気にするな。今はまず、あの大ウツボをたおすことだけ考えろ。仲間の仇を討って、平和な浜を取り戻すんだ」


 そして、これが一番重要なことなんだが——。


 ハンゾウは、再び彼ら冒険者たちの顔を見回す。


「お前らは、必ず生きて戻るんだ」


 そして、これが最後の策だ——。


 彼らの足下に大量に置かれた爆裂筒を指し示す。


 爆裂筒も、この辺りの冒険者たちは余り使う機会はない。古い砦や城の探索時に、邪魔になる壁や岩を吹き飛ばすのに使うくらいだ。

 どの町の冒険者組合ギルドも持ち合わせは、そうは多くはなかったが、近隣の町を巡って、あるだけ掻き集めた貰った貴重なものだ。


「これを矢の先に括り付けて、ヤツの口を目掛けて射る」


 投擲に自信のある者は、直接投げ込んでもいいぞ。合図をしたら遠慮なく使え——。


 ハンゾウは冒険者たちを鼓舞する。


 ジュウベエは、手にした拳銃を頭上高く上げ、冒険者たちに向かって叫んだ。


「見てのとおりヤツの口の中に、こいつを撃ち込んだら、あの効き目だ」


 妖の腹の中は、獣とは全く別モノだが、きっと俺たちにたおせるぜ——。


 ハンゾウの言葉は、冒険者たちを活気付ける。


「最初の囮役と、最後のトドメは俺がやる。反撃開始といこうじゃないか!」

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