第10話 『ふたりとも、ドコいっちゃったのかしら』
「はっ!」
二階の窓から飛び降りたミトは、きれいに着地を決める。
そのまま冒険者
酒保に向かってみたが、ふたりの姿はない。詰所の中をうろうろと探し回るものの、どこを探してもふたりの姿は見当たらない。
「ふたりとも、ドコいっちゃったのかしら」
途方に暮れて、出入り口から表の通りを眺める。通りは、いつもの賑わい。行き交う人々の声も姿も絶えない、ありふれた光景。
はっと、何かに気づいて振り返る。詰所がやけに静かなのだ。いつであれば少なくても数人の冒険者たちが
「ああーっ、何よー、聞いてないよー。ふたりして、先にいっちゃたんだ。ずるーい」
どこぞの姫様にしては腕白過ぎる思考のミトは、ここへきて
ずんずんずんずん。
「アタクシと一緒だった二人組を、この辺りで見かけなかったかしら」
内心の腹立ちを隠し、精一杯の愛想と、お姫様らしさを込めた笑顔と声を振りまくミトである。
「おお、あんたは、さっきの食いしん坊さんか」
食いしん坊呼ばわりに、がっくりと肩を落とすミトに、親父は人の良さそうな笑顔で応える。
「ああ、あのふたりなら、だいぶ前に店の前通ったよ。あっちの方へ」
通りを指差し、教えてくれた親父の足下の箱に何か異様なモノが入っているのを、ミトは目ざとく見つけた。
赤黒い大きな頭だか胴体だかから長い脚が生えているそれを、座り込んだ彼女は、おそるおそる指先で突っついてみる。
「それはタコだな。近場が不漁なんで、ちょっと離れた浜から干したやつを仕入れてきたんだよ」
「それは干してあっから、縮んじまってるが、本当はもっとでっかいんだ。で、ぬるぬるした八本の脚を……」
手をくねくねと動かして、タコのような仕草をする親父と、足下の干しダコを見比べて恐怖におののく。
ミトは、ぬるぬるしたものも苦手だった。やはり森で
すっくと立ち上がると、挨拶もそこそこに、その場を後にする。
食べると美味いんだよ——。
背中に掛けられた親父の言葉も、ミトには届かなかったのであった。
○ ● ○ ● ○
「ふむ、そういうものか」
先ほどの坊主の話に、妙に納得するジュウベエだったが、あのヌエが己にとって、弱いかと問われると
あのヌエどもが町中に大挙して現れたら、かなり危険な事態になるだろうという事だけは想像に難くはないのだが。
要するに自分の力が足らぬ、ということか——。
向かいの山を睨み、考え込むジュウベエであった。
「まあまあ、そう気に病むでない。あいつとて最初から強かった訳ではない」
そんなジュウベエを慰めるように、坊主が声を掛ける。
「先ほどから、気に掛かっていたのだが、あいつ、というのは、わたしの師のことか」
「おお、そうじゃとも。あいつとは長い付き合いじゃ。この勝負も、以前はあいつが来とったもんよ」
ジュウベエは、自分の師匠が、こんな辺鄙な山奥に定期的に妖退治に通っていたことに驚きを禁じ得ない。
彼の師匠は、各所からの妖討伐の依頼に際しては、いつの頃からか自らは出ず、彼を筆頭とした一門の者に任せていたからだ。
あの程度の
そう言っては、自分や彼らを送り出す、師の呑気そうな顔が思い出され、少々腹が立つ。
「勝負、というより、あいつが一人でやっちまうんでな。ワシはたまに来る友人を、もてなしていただけじゃったが」
坊主曰く、ちまちまやるのは性に合わんちゅうて、日に何百匹かづつ送り込ませて、二日三日で全部斬っていきおる。とのことだった。
ジュウベエには、何百匹もの妖の屍の上に仁王立ちとなり、高笑いをする師の姿が目に浮かぶようであった。
お役目で登城する時と、指導で道場にいる時以外は、不真面目で、不謹慎で、不心得な彼の師は、しかし剣の腕だけは本物だ。
師
まず、己の息を整えろ。そして相手の息を見定めよ。吸って吐いて吸って吐いて……、息を吐くときは、誰しも緩むもの。
そこをガッといって、スパーンとやれば良いのだ。
ジュウベエは、そんな師が苦手だった。嫌いなのではない。苦手としか言いようがなかった。
またジュウベエには、師の言っていることが良く判らないことがある。ジュウベエだけでなく門下生も多くも、正確に理解している者は少ないであろう。
しかし、師の美しい剣捌きを真似て、一心不乱に剣を振っているうちに、ほんの一瞬なれど、師と同じ境地に立てたと思えることがある。
共に剣を振るう他の門下生も同じなのだろう。ジュウベエを始め、道場を巣立っていった者たちの中には、達人との呼び声の高い者も多くいた。
今いちど、師匠の教えと演武を思い起こし、心に刻み直すジュウベエ。
さりとて、次の日からのジュウベエの振るう剣捌きが変わった訳ではない。
変わったことと言えば、寝食を坊主と共にすることにしたことくらいだろうか。
山中の古寺に来て以来、ジュウベエは頑として、坊主の申し出を断り、妖退治の後は山で狩りをして腹を満たし、本堂の軒下で眠る生活を送っていた。
しかし、今は坊主と共に風呂を沸かし、質素だが美味い飯を食べ、屋根のある庵で床に着く。
逢魔が時にやって来る妖ども以外には、この山の澄んだ空気を汚すものはない。
たまに、坊主の代わりに山を降り、米や酒を、麓から
初めて山に足を踏み入れた時に襲ってきた獣たちも、彼を山の主のひとりと認めたのか、遭遇した際には道を空け、傍らにかしずくようになった。
ジュウベエにとっては、それは修行とは思えないような、修行の毎日。
その日は、いつになく、やって来る妖の数が多かった。ジュウベエを狙う妖の群なす数も、一度に十数匹にも上った。その群れが、幾つも襲ってくるのだ。
自らの息を整え、妖のしているかどうかも判らぬ息を読み、刀を振るう。吸った気を腹で練り、瞬時に高めた力を刀と共に振り下ろす。
一心に刀を振り続けていると、妖どもの様子がおかしいことに気がついた。眼前の妖だけでなく、頭上を舞っていた妖までもが地に伏していたのだ。
傍らでいつものように手斧を振るっていた筈の坊主は、いつの間にか庵の縁側で茶などすすっている。
ふと見渡すと、辺りには多くの妖石が散らばり、朽ちかけた妖の亡骸も山積みとなっていた。
ふむ——。
ジュウベエは自らの刀と、それを握る拳を見つめる。
あれだけいた妖も残りの僅かな数が、未だ彼を狙うように飛び回っているだけとなっていた。
その内の一匹を見定めた彼は、いつもの基本の構えを取り、いつもの素振りのように自然に刀を振り下ろす。
空を舞っていた妖は、真っ二つとなって地面にどさりと落ちた。
ジュウベエの振るう刀から、常人には見えざる力。即ち『斬撃』が放たれて、妖を切り裂いたのであった。
○ ● ○ ● ○
昔のことに、思いを巡らせていたジュウベエは、ふいに山中を登る足を止め、四方八方の気配を、その研ぎすまされた感覚で探る。
考え事をしながら登っていたのがまずかったか——。
ジュウベエは己の不用意さを悔やんだ。
しかし決して、彼が、それに気づくのが遅かったという訳ではない。
彼の探知能力を、ほんの一瞬上回るほどの、恐ろしい速さのナニモノかが、彼の後を追い掛けてきたのであった。
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