第8話 『さてさて、どうしたものかしら』
ジュウベエは、渡された妖石を、ぽいっと地面へ投げ捨てた。
「こんな気味の悪いもの、受け取れるか」
坊主は、慌てて地面に転がったそれを拾い上げる。
「なんと、もったいない。これは
「この石から、瘴気を抜くことができるのか」
「祈祷したり、神聖な地に埋めたり、人それぞれじゃ。ワシは火に
瘴気が抜ける時間は、
「だから、それはお主が持ってゆけ。この石は勝負の証じゃ。たくさん持って帰らんとあいつにバカにされんとも限らん」
それは、こいつにでも入れておけ——。
何かの術の陣が刻まれている、革袋を渡される。
「それには、妖石の瘴気を抑える働きがある。長いこと入れておけば、瘴気も抜くこともできるぞ」
妖石は、それそのものが、強い瘴気を放っているという。坊主やジュウベエのような者なら何ともないが、常人では触れた途端、気が
「妖石の瘴気にやられるような奴は、もともと
坊主は、怖いことを、さらりと豪快に笑い飛ばす。
結局、その日ジュウベエが倒したヌエは、その一匹だけであった。
次の朝は、道場で修練する時と同様に、早くから起き出し、素振りと演武に励むジュウベエ。
ジュウベエの流派の極意は自然体だ。相手と対峙した際は、両手をだらりと下げ、相手の気を読み、気が熟したら、刀を抜き、そして振るう。
開祖と言われている人物は、木刀を手にふらりと立ち、縦に振り下ろせば海を割り、横に薙ぎ払えば山をも崩すと伝えられていた。
しかし、その境地に至るまでは、どこの道場でもやっているような、構えからの素振り。習得した技を使った演武を限りなく繰り返す。
とうにその境地に辿りついているであろう彼の師匠、そしてそこに辿り着かんとする門下生たちであっても、基礎というべき素振りを怠らない。
故に、その段階まであと僅かと言われているジュウベエもまた、朝に夕に熱心に木刀を振るう。昨日のような、訳の判らないものが相手であれば尚更だ。
その日は、そのまま夕刻となり件のヌエどもが現れるまでの間、ジュウベエは木刀を振り続ける。
昨日よりも若干、数を増してはいたが、襲い来るヌエを片っ端から叩き落とした。だが撃墜したヌエの数は、圧倒的に坊主の方が多かった。
敵は空より現れる。地に立つジュウベエの刀が届かない、頭上を舞うヌエどもには手の出しようがないのだ。
一方、坊主は手斧、鉈、果ては薪として割る前の丸太などを軽々と投げつけ、ヌエの集団を葬り去る。
日に日に増えるヌエの数。
だが、ジュウベエの倒す数は伸び悩んでいた。
しかしながら、こんな時ほど基本に立ち返れ——。
それが師の教えであった。
くる日もくる日も、朝から晩まで片時も木刀を手放さないジュウベエに、酒の入った樽を抱えた坊主が声を掛ける。
「おう、たまにはワシに付き合え」
手を止めたジュウベエは、酒樽を見て訝しげな表情を浮かべた。
「酒ならば、付き合わんぞ」
再び素振りに戻ろうとするジュウベエに、坊主は言った。
「これはワシらが吞むんじゃない。古い仲間の墓参りにいくんじゃ」
そう告げられたジュウベエは、腰に木刀を納め、額の汗を拭うと、坊主に導かれるまま古寺の裏手へと赴く。
そこには切り拓かれた土地が広がり、そのあちこちに、少し盛られた土の上、まるで墓標のように、何本もの刀が突き立てられていた。
「これは……、墓か」
よく見ると、刀ばかりではない、弓、槍、そして本来は武器ではない斧、大鎚など様々なものが小山に突き刺さっている。
「まあ、墓の代わりかのう。必ずしも亡骸を葬ってやることができたやつばかりではないんでのう。愛用の得物だけしか残さんかったやつも多くおるで」
坊主は、抱えた酒樽を地面に置き、木槌で上面を割ると、柄杓で打ち水をするように酒を撒き始めた。
「お主も、黙って見とらんで手伝え」
ジュウベエは、坊主とふたり、黙々と墓標に見立てた刀へと酒を撒いていくのであった。
○ ● ○ ● ○
「さてさて、どうしたものかしらね」
扉の前に立ち、腕組みをして、鍵穴を見つめているミト。
先ほど鍵穴を覗いてみたところ、扉の内側からも、外側からでも同じ鍵を使って開け閉めするようだ。
しかし、部屋の中に鍵は残されていなかった。せめて細長い棒状のものでもあれば、と部屋のあちこちを探ってみるが、何も出てこない。
部屋の中をぐるぐると歩きまわりながら、ミトは考える。考える、考える、考える……。
しかし、何も思い浮かばない。
諦めて、膳の乗った長机の前の椅子に座り、目の前の空になった茶碗や皿をぼんやり見つめるばかり。
「やったーっ。コレがあるじゃないっ」
やにわに膳の上の箸を掴み、扉へと向かい、慎重に鍵穴に箸を差し込んだ。音と指先に感じる微妙な触感を頼りに箸を動かす。
先だって、兄様が教えてくれた鍵開けの
森の中の探索。それは探索そのものが、
やがて、カチリという小さな音と共に、鍵開けの
と同時にパキっという音が、やけに大きくミトの耳に届いたのであった。
○ ● ○ ● ○
ハンゾウは、浜の村に続く道をその手前で大きく逸れ、
海岸線に沿って植られている松林を横切り、林から既に始まっている浜を駆け抜け、波打ち際へと辿り着いた。
暖かい初夏の日差しに照らされ、静かな波が寄せては返すこの風景は、日頃妖が暴れまわっているとは信じられないくらいの穏やかさを湛えている。
辺りを伺うと、遠くの岩礁に何人かの冒険者らしき者たちの姿が見えた。浜を走り、彼らの元に駆けつける。
あの町所属の冒険者に混じって、隣の宿場町の冒険者であろう者たちも見える。彼らの羽織に着いている紋章が、あの町のものとは違っていた。
ハンゾウの姿に気がついた、この混成討伐隊の
男は手短に、追っている妖の動向、これまでの被害と現状を説明する。しかし、先行して妖に挑んだ、この町の冒険者の大半は戻ってはいない。
隣町の冒険者、何とか無事に戻ることのできた探索隊や、先発隊の報告をまとめると、ハンゾウの考えていた通り、ただ大きなだけの妖ではないようだ。
「で、あれがヤツのねぐらか」
ハンゾウが指し示した先は、自分たちの立つ岩場から海を隔てた場所で波に打ち付けられる、大きな岩山だった。
「もう少し経つと潮が引きますんで、歩いて渡れるようになると思いますぜ」
答える冒険者に頷き、よく見れば、成る程岩山中央の波打ち際辺りには、小さな洞穴のような穴が、半分ほど見え隠れしている。
「この辺りは、急に潮の流れが変わるせいか波が荒い。足下もゴツゴツした岩の上だ。突入は、潮が引き切ってからだ」
ハンゾウの言葉に、皆いっせいに応え、岩山の洞窟を睨みつける。
その時、晴れていた空が一天にわかにかき曇り、生暖かい風が吹き始めた。
こりゃあ、一雨くるかもしれんな——。
待機していた冒険者の誰かが、そう呟いた。
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