第6話 『どうしてだろう。出られない』
町中の十字路。
北へ向かえば少しだけ遠くに見える山へ、南に下れば海へと辿り着く街道の分岐点。
立ち止まったハンゾウは懐から、一挺の拳銃を取り出した。
「念のため、これも持ってけ」
「わたしは、刀以外は使わぬぞ」
「いや、お前さんのためじゃねぇ。嬢ちゃんのためだ」
ミトのためと聞いて、更に訝し気な表情を深めるジュウベエに、ハンゾウは続けた。
「あの嬢ちゃんは、
ジュウベエも溜息まじりに頷く。
「うむ。さもありなん」
「だからな、もしお前さんの元に追っかけてきたら、そいつを渡してやってほしいんだ」
「だが、却って危ないのではないか。突然爆発したりはしないものか」
「ああ、そいつから飛び出すのは鉛の弾じゃない。昨日の閃光弾みてぇなもんだ」
まだ何事かを案じているジュウベエの手に、拳銃を握らせるハンゾウ。
「そいつは、昨日の銃に俺が手を加えた、術式の発動装置みたいなものさ。扱いも簡単だ。狙って、ただ引き金を引けば良い」
「昨日のように自分が昏倒する、ということはないだろうな」
「それも安心だ。今朝がた早くに、試し撃ちしてみたが調子いいぜ」
「うむ。……ならば、預かろう」
そう言うとジュウベエは、拳銃を懐に仕舞い、山へと向かう道を歩き出す。
ゆったりと見えて、素早い移動、剣士特有の歩法で歩み去る彼の背中にハンゾウは呟く。
「頼んだぞ、ジュウベエ」
その呟きは、ジュウベエに対してなのか、ミトのことなのか、あるいは双方なのか。
ハンゾウが呟いた頃には、彼の姿は既に遠ざかりつつある。
その言葉は届いてはいない筈だが、ハンゾウには呟いた瞬間、ジュウベエが僅かに振り返り、微かに頷いたように見えたのであった。
○ ● ○ ● ○
ミトは、空になった御膳とおひつを背に、扉の前に立ち、なにか不思議な気持ちで一杯だった。
「どうしてだろう。部屋から、出られない……」
○ ● ○ ● ○
ハンゾウは、沿岸部へと続く道を南に下っていく。
この辺りの沿岸部には、豊富な海の恵みとともに、古くから多くの漁村が点在している。
浜に近い浅いところでも、沖の深いところでも魚がよく捕れる。磯の岩場では、貝や
その中でも、漁村の一つに程近い岩礁の一帯が、件の
付近の漁村のあちこちで被害が出ており、また数多くの討伐隊が
「海ってのは広いからな。ヤツのいそうなところを、一つ一つ当たってたんじゃきりがねぇ」
しかし、ハンゾウには、ジュウベエには敢えて話はしなかったが、心に引っ掛かるものがあった。
ミトのことである。
あの嬢ちゃんのことだ、俺の張った結界の時間切れを見破って、部屋を出てくるかもしれない。
扉に掛けた鍵も、仕組みは単純だ。
まだ鍵開けの技術を知らなくても、あの細っこい身体で、扉を何とか抉じ開けて出てくるかもしれない。
杞憂だと判ってはいても、悪い予感は止まることがない。十中八九、嬢ちゃんは部屋を出てくる。
結界が効いてるうちに、諦めて昼寝でもしててくれりゃ良いんだが。そうは、なんねぇんだろうな。
ハンゾウの杞憂。それは考えれば考える程、確信に変わっていくのであった。
○ ● ○ ● ○
ジュウベエは、北に見える小高い山々を目指し、道を上っていく。
大した高さの山ではない。商人たちは、あの山を越えたところにある町から、この宿場の間を行き来しているのだ。
しかし、今はその山を覆う木々の緑が黒々としたものに染まり、麓から続く付近の森と相まって、どこかしら不気味な雰囲気を漂わせていた。
山といえば——。
ジュウベエが思い出すのは、師匠に命ぜられて赴いた、山中にあった古寺での修行の日々だ。
麓の竹林で襲ってきた虎を始めとした猛獣どもを、何日か掛けて調伏して、辿り着いた山寺で、彼を待っていたのは一人の坊主だった。
坊主か——。
とは言え、彼の知る町にいる僧侶とは、随分と趣が違っていた。
年も老人なのか、もっと若いのか判然としない。袈裟などは纏っておらず、寺の坊主が掃除などする時に身に付けるであろう、簡素な着物を着ている。
頭は剃り上げたのか、元からなのか、文字通りの見事な坊主頭であったが、自身のヘソまで届こうかという位の、立派な白髭を生やしていた。
背はそう高くはなく、ずんぐりとした体躯ながら、着ている物の上からでも判る、日頃からの鍛錬を思わせる見事な身体。
健康そうに日に焼けた肌と、快活な笑顔がジュウベエを迎える。
「わたしは師匠の命により、この寺の主と勝負しにきた者。
「いかにも、ワシはこの寺の主じゃ。とはいっても、僧侶の真似事をしとるだけじゃが。昔の仲間を弔っとることには違いない」
「では、わたしと仕合っていただこう。勝負の開始は、今すぐでも構わぬ」
「そう急くでない。お主も今着いたばかりじゃろう。茶でも入れよう。一息つけ」
戦意も、殺気も全く感じさせない飄々とした物腰に、勇んでやってきたジュウベエは、毒気を抜かれたように頷くしかなかった。
寺の本堂と思しき建物から渡り廊下で繋がる、庵の濡れ縁に腰掛け、坊主とふたり並んで茶をすすっている奇妙な光景。
腰を落ち着けて辺りを伺うと、古寺に見えて何かが違う。もともと朽ちかけていたものを、別の技法を使って修繕しているとでも言えば良いのか。
境内も奇麗に整えられ、それを囲む塀も丁寧に修復されていた。目の前には小さいながら畑があり、何か野菜の苗が植えられている。
水も山のより高い方にあるであろう沢からでも引いているようだ。境内中央付近の泉にに太い竹製の筒を通して清水が流れ込んでいた。
あれは炭焼き小屋に、あちらの窯は何だ。陶器でも焼くのか。更にもう一つ小屋があるな。あれは何のためだ——。
あまり広いとは言えない境内の、山裾側の塀の一部は取り壊され、敷地を広げる形で、寺ではあまり見かけない施設が並んでいる。
「ワシは、もともと僧侶ではないと言っとるじゃろ。仲間の供養をするために、この古寺を譲り受け、以来ここに留まっているだけじゃ」
思い起こせば、登ってきた山道にも、人の手が入っていた。この坊主は、この猛獣だらけの山中で、ひとり毎日を過ごしているのだろうか。
勝負の場には似つかわしくない相手と、この場所を眺めながら、ジュウベエはつらつらとあれこれ物思いに耽る。
ふと気がつくと、山寺に足を踏み入れたのは、まだ陽が高かった筈だが、いつの間にか辺りはすっかりと夕暮れ色に包まれていた。
「さて、そろそろ
そう言って立ち上がった坊主は、庵の横手に
ついに勝負の始まりかと立ち上がり、腰から木刀を抜き払うジュウベエを押しとどめ、坊主は空の一点を睨んでいる。
「来るぞっ!」
叫ぶと同時に、まさに逢魔が時と呼ぶにふさわしい、その空を指差す坊主。
ジュウベエもまた木刀を構え、空を見上げるが、そこには何ものも見えない。
いや、正確には、邪悪な気配はひしひしと感じるものの、目で認めることができないのだ。
突然、薄暗い空の何カ所かが、ぶれるように歪んだかと思うと、そのうちの一つがジュウベエ目がけて舞い降りてきた。
とっさに、気配目がけて木刀を振り下ろしたものの、手応えはまるで感じない。
鳥なのか、獣なのか、正体不明なそれは、ただ
「まずはひとつ、いただきじゃあっ!」
坊主が、
手斧は、くるくると回転しながら、空の歪みに向かって飛んでいく。とその瞬間、人の泣き声とも獣の叫び声ともつかない不気味な音が響き渡った。
同時に、どさりっと何かが地面に落ちてくる。それは、鷹のような猛禽類の頭と翼に、虎のような肉食獣の手足と胴体を持つ巨大な
坊主の投げた手斧は、見事に妖の眉間を打ち砕き、頭部の奥深くまで届いていた。坊主は落ちた妖にすたすたと近づくと、頭に足を掛け、よっこらせと手斧を引き抜く。
二、三度軽く振って、手斧の状態を確かめると、そうれ二匹目じゃあ! とばかりに斧を宙に向かって投擲する。またも眉間に手斧を打ち込まれ、地に落ちていく妖。
手斧を妖から引き抜きながら、坊主は後ろを振り返り、木刀を構え目を閉じて、全方向に向かって意識を研ぎすましているジュウベエに声を掛ける。
「なんじゃ、お主。あいつに話は何も聞いておらぬのか」
何の話だ、と返しながら、カッと目を見開き、渾身の突き技を繰り出すジュウベエ。
だが眼前の妖の姿は、空気が歪んだようにぶれており、彼の切っ先は届かない。
「この勝負の話よ。この勝負はな、ワシとお主、どちらが多くの妖を落とせるのか。そういう勝負じゃよ」
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