第4話 『なにか良い匂いが……?』

 一行は、合宿の町中を通り抜け、街道に入った。


「海なんてドコにあるのよ〜」


 街道に出た途端、ミトが騒ぎ出す。


「街道に入ったって、すぐ海には出ねぇよ。もうしばらく行かねぇと」


 すかさず、ハンゾウがたしなめた。


「ええっ、そうなの。……でも……」


 目を閉じ、鼻をクンクンとひくつかせるミト。


「何か嗅いだことのない臭いがするよ。コレが潮の香りってやつかしら」


 そんなミトの様子に、ふたりは苦笑いする。


「そんな訳ねぇだろ。海は、まだまだずうっと先だ」


「ふむ。森の民エルフは、我々にはない感覚を持ち合わせているのかもしれん」


 ともかく先を急ごう——。一行は、再び歩き始めた。




 次の宿場が近づいてくるに連れ、次第に鼻をひくつかせるミト。


 くんくん、くんくんくんくん……。


「海っぽい香りが強くなってきてる。後は、なにか良いにほひが……」


 彼女は、匂いに釣られるように、ふらふらと歩き出す。


「ああ、なんか悪い予感しかしねぇ」


「うむ、同感だ」


 ふたりは、ミトが街道を外れ、匂いのする方へ、駆け出して行ってしまうのを心配している。

 しかし、意外にも彼女は道なりに歩み、無事宿場に到着した。匂いは宿場の中から漂い出していたのだ。


 ほっとしたのも束の間。ミトは宿場に入るなり、どこかへ走り出す。

 慌ててふたりが追いかけると、ミトは良い匂いの出所、即ちサザエが焼かれている幾つもの七輪の前に立っていた。


 しばしの間じっと、網の上でサザエが焼かれる様を見つめていたミトであったが、やにわに懐に手を突っ込むと、兄様から預かったという『大切な旅の手帖』を取り出し、勢いも凄く頁を捲り始める。

 そしてある頁で手を止めたかと思うと、その頁とサザエとを順繰りに見比べた。


 じゅわりじゅわりと、美味しそうな貝の汁が、貝蓋の周りから吹き出し始める。

 遂に少しだけ持ち上がった貝蓋の隙間に、醤油がたらりと垂らされた瞬間。

 ミトだけでなく、ハンゾウまでもが、その店の暖簾をくぐっていた。


 その様子を眺めていたジュウベエは、軽い溜息と共にふたりに続く。

 しかし、その目元にはうっすらとした微笑みを浮かべていたのを、見た者は誰もいないのであった。




「しかし、嬢ちゃんも良く食うねぇ。さすが育ち盛り」


 いつの間にか、ミトの足下にはサザエの殻を入れる桶がいくつも置かれている。そのどれもが殻で、てんこ盛りだ。


「そういうハンゾウだって、昼間っからお酒なんか吞んでるじゃん」


 これまたいつの間にか、ハンゾウの前には、何本ものお銚子と、ひとつの杯が置かれている。


「こういうのは、ちょいと摘んで、酒をぐいっといくのが、美味しい食べ方なんだよ」


 ジュウベエは、鯵の干物をおかずに、飯と汁物。焼いたサザエは一皿だけ。至って普通の昼飯を食べ終えて、〆に香の物に箸を伸ばす。


「うむ、これからもまだ歩くのだ。食べ過ぎや、吞み過ぎは良くなかろう」


 ハンゾウは、お銚子から最後の一杯を注ぎ、それを飲み干す。


「これくらいじゃ酔わねぇよ。それより森の民エルフってのはナマグサモノは喰わねぇって聞くが、嬢ちゃんは平気なのかい」


 ミトは、サザエの身を器用に殻から外しながら答えた。


「うーん、なぜだか、ワタシは大丈夫。都でも良く食べてたし。好き嫌いなんて、ほとんどないよ」


 と言う訳で、おかわり——。


 しかし店の親父は、申し訳なさそうに頭を下げるばかり。


「今日はもう、それが最後でして……」


 ほら見ろ。嬢ちゃんが喰い過ぎたんだ——。


 ミトをからかうハンゾウ。


「いえいえ、そうではございません。近頃、海の物も山の物も、手に入りにくいんですよ」


 店主が言うには、仕入れ先の海辺や山裾の村に行っても、産物が少ないのだそうだ。

 不漁といっても、磯で穫れる貝の類いなら、と聞いてみても、村の人たちの口は重い。


「ここだけの話、どうやら海にも山にも、化け物が出るんだそうで」


 山裾の村には足を運んではいないそうだが、やはり仕入れに赴いた町の同業の者が、似たような話を聞いてきたという。


「うむ。馳走になったな」


 ジュウベエを先頭に、店を出る一行。三人とも一様に無口で、何かを考え込んでいる。

 やがて、ミトがふたりの様子を伺うように口を開く。


「調べに行ってみない……。何が起こってるのか」


 ややあって、いつもの鹿爪しかつめらしい顔をしたジュウベエが答える。


「うむ。わたしもそう考えていた」


 慌ててハンゾウがふたりを押し留めた。


「待て待て。ほんとにあやかしが出てきたらどうする。危ねぇじゃねぇか」


 ミトは、ハンゾウに向かって不敵な笑みを向ける。


「そんなの討伐しちゃえば良いじゃない。アンタだって冒険者の端くれでしょ」


 妖相手は久しぶりか——。


 ジュウベエは、すっかりやる気のようだ。


「取り敢えず、まずは冒険者の詰所に行ってみようぜ」


 ハンゾウは溜息混じりにそう言うと、この町の冒険者組合ギルドへ向けてふたりを促すのだった。




 冒険者組合ギルド詰所に着いた一行。

 ミトはキラキラと瞳を輝かせて、辺りを見回している。

 冒険者組合ギルドの詰所。と言っても冒険者が常駐しているだけの、番所のような施設ではない。


 特に街道沿いの宿場に設けられている詰所は、町の両端二ヶ所に見附台と共に置かれていることが多い。

 いくつか脇街道と交わっており、いわば街道の分岐点である、東西に長いこの町を例にとれば、その二ヶ所の見附に詰所も併設されていた。


 東西のうち、東側の詰所には冒険者のための受付や、食堂、武器・防具・備品の斡旋所、宿泊できる部屋などの施設があり、かなりの広さを持つ。

 一方の西側は、文字通りの詰所であり、決して広くはない建物に、見附に勤める公儀の警護役と共に、常に複数の冒険者たちが駐留している。


 ミトたち3人が行ったのは、当然、東側の大きな詰所の方だ。こちらには、低級な妖の討伐依頼などが貼り出してある掲示板もあり、情報を集めやすい。


「なんだ、嬢ちゃんは冒険者組合ギルドは初めてかい」


 ハンゾウは、何やら楽しげに、辺りを見回しているミトに声を掛ける。


「うん。昨日は町に入った途端、いろいろあったからね」


「おとなしくしていてくれよ。俺はちょっと、ここの者と話がある」


 はーい。と返事をしながらも、各種の依頼が貼り出された掲示板を、目ざとく見つけたミトは、早くもそれに向かって走りだした。

 ミトを追って、ゆっくりと歩き出したジュウベエの背中を見送り、ハンゾウは詰所の奥へと向かっていくのであった。




「怪しい依頼はないみたいだね、ジュウベエ」


「うむ。そのようだな」


 そこにあるのは、薬草の採集であるとか、山の力を得て凶暴化しているものの、妖と化してはいない獣の駆除であるとか、地方には良くある依頼ばかりだ。

 もっとも冒険者に対する依頼は、大抵は朝早く貼り出されるので、陽が真上に来ているこの時間では、大半の依頼は処理済みなのであろうことが察せられる。


 勢いを削がれて肩を落とすミトに、ジュウベエは、昨今よりの疑問を口にする。


「君はよく見ると、不思議な出で立ちだな」


 彼女は、山葵のような色の胴着の裾を、栗色をした旅袴の中に入れ、その袴の裾も、膝まである同じような色をした脚絆の中に、きゅっと捻じ込むようにして入れていた。

 しかも、脚絆は彼女の履く履物と一体化しており、爪先までも覆っている。どうやら良くなめした、何かの革で作られているらしいそれは、彼女の脚を守っているようだ。


 そこに、彼女が菜の花色と称する、あの合羽にしては短く、羽織にしては長い、奇妙な丈で、布のように見えるが、何の糸で織られたのか判らない、丈夫そうなものを羽織っている。

 袖口から見え隠れしている、彼女の拳全体を覆い守っている、指先だけ出した手甲、それもまた、脚絆と同じく丈夫そうな革で拵えてありそうだ。


 これで、肌着の上に鎖帷子くさりかたびらなどを着込んでいたら、まるで合戦の支度のようではないか——。


 などと考えているジュウベエに、ミトにっこりと答えた。


「いいでしょう。これはねー、兄様が揃えてくれたのよ。都の家から、故郷の里に帰る旅の時に着てたの」


 朝の出来事以来、森の民エルフであることを隠すことのなくなった彼女は、都や、その周辺の町ならばともかく、旅先の地ではやはり目立つ。


 昨晩泊まった宿は、上級武士御用達だ。慣れているのであろう。客の一人が、珍しいとされる森の民エルフであったとしても、礼を失することはなかった。

 この町に着くまでの間も、すれ違う者たちが、奇異の目で彼女を見ていたのを、ジュウベエはハンゾウと共に視線で牽制してきたのだ。


 丁度この辺りには、まだ少ないが、富士の山が、もう少し大きく見える土地までいけば、森の民エルフ山の民ドワーフの冒険者が多くなると聞く。

 

 そこまで無事に辿りつくことができるならば——。


 またも何ごとかに思いを巡らすジュウベエに、ミトが満面の笑みで自慢する。


「見て見て。コレも可愛いでしょ」


 粋でイナセな、都の若者たちの間で流行っているという、手ぬぐい。とは言っても羽織と同じく、謎の生地の布を頭巾のように頭に巻いているミト。


 うれし気なミトの笑顔に誘われて、珍しくジュウベエも微笑んだ。


「うむ。頭部の防御も完璧だな」

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