第2章 刀を抜けない剣士、術が使えない術士、そしてワンパクなお姫様

第1話 『おっはよう』

 天下泰平の世の下、この国の人々も、安全に旅を楽しむようになりました。


 旅人たちは、どこへゆくにも、歩いてゆきます。時に立ち止まり美しい風景を眺め、晴れ上がった空に感謝をし、ひたすら歩きます。


 旅人たちの朝は早く、夜が明ける前には宿を出て、一日に十里40km程は歩き、夕暮れ前には次の宿に入る、というのが定番の旅程です。


 馬車に使って旅をするのは、一部の成功した商人たちだけですし、ましてや馬に騎乗して旅をするなど限られた武士たちくらいのものです。


 しかし、道のゆく先々で名物を楽しみ、少し足を伸ばして名所を巡り、きれいな風景に目を奪われ……旅の楽しみは尽きることはないのです。


————閑話休題




 ミトが目を覚ましたのは、遥か東に見える山々から、朝日が顔を出し、さらに暫くたってからだ。

 障子越しに、少しだけ高くなった外からの陽が、彼女の顔を眩しく照らしている。

 ごそごそと起き出し、寝ぼけまなこを擦りながら、部屋を隔てている襖を少しだけ開けて、そっと伺うも、ふたりの姿はない。


 置いていかれた——。


 そう思った途端にぱちりと目が開き、寝間着の襟元を整えると、首だけ出して慌てて辺りを見回す。

 しかし、ふたりとも、とうに起き出しており、出立の準備こそ済んでいるものの、まだそこにいた。


 ジュウベエは、濡れ縁越しに見える庭に降り、日課であろう素振りを終えた後、演武を始める。

 それは一差しの舞のような優雅な動きで、攻防一体となった技の数々を凝縮した、ある種の美しさに溢れていた。


 武術の心得など皆無なミトをも魅了し、その動きに目を奪われている。

 最後に昇る陽に向かって一礼したジュウベエは、ミトの許にやってきた。


「やっと、起きたのか。何時いつまで寝ているのだ。早く顔を洗って来なさい」


 ジュウベエの言葉に、惚けていたミトは、弾けるようにパンッと襖を閉じる。次いでバタバタと部屋を出てゆく音がした。




 まったく、朝から何回、素振りと演武を繰り返したと思ってるんだ——。


 ジュウベエは呟く。


 修行に必要な木刀も見繕ってやらねば——。


 などと更に独り言ちる彼に、ハンゾウは声を掛ける。


 先ほどまでは、かの用心棒から取り上げた、銃のひとつを弄っていた彼だったが、今はあのウツホラキリを手にしていた。


「まぁまぁ、そう言うなって。嬢ちゃんも、昨日はよっぽど疲れたんだろう」


 ジュウベエはいつもの鹿爪しかつめらしい表情を崩し、ほんの一瞬だけ顔をしかめる。昨日のことを思い出したのだろう。


「それより、嬢ちゃんのお稽古用にこいつはどうだい。大きさといい重さといい丁度いいだろう」


 ハンゾウの差し出すウツホラキリを見て、首を横に振るジュウベエ。


「あのむすめに真剣はまだ早い。怪我の素になるだけだ」


「おっ、それなら問題ねぇ。勝手に抜き身になんねぇように、細工してあるのさ」


 見れば、確かに鯉口の部分には、ぐるりと護符が貼り付けられている。


「そのような札一枚で、はたして大丈夫なものか」


「心配だったら、お前さんが自分で振ってみりゃいい」


 うむ。とハンゾウから受け取ったウツホラキリを、左の腰に差すジュウベエ。

 片膝を立て、右手で柄を握り、いざ鯉口を切る……が、抜けなかった。

 立ち上がり、顔の位置で、握った両手にしっかりと力を込め抜く……が、それでも抜けなかった。


 ふむ——。ジュウベエはひとり頷き、もう一度ウツホラキリを改める。

 日頃自分がしているように刀身を鞘に納めたまま、薙ぎ、突き、切り下ろしと一頻り振ってみるも、鞘が外れる気配はない。


「うむ。これならば良かろう。稽古の折りにでも、あの娘に貸してやってくれ」


 ジュウベエには、まだウツホラキリがツクモガミにして、妖刀であるかもしれないということは話してはいない。

 今朝早く、皆の起き出す前に、ハンゾウがウツホラキリに、無闇に鞘から抜けないよう『話をつけた』ことなど知る由もなかった。

 仕上げとばかりに、封印の術を込めた札を貼ったのはその後、つい先ほど、ジュウベエに声を掛ける直前のことだったのである。




 ハンゾウが初めてウツホラキリを目にした時、それは鞘から抜かれ、手代の手に握られていた。直感的に、コイツは刀じゃねぇ、包丁だと感じたのも束の間。

 今では見れば見る程、刀にしか見えない。鍔のない合口拵あいくちこしらえ、黒々とした丈夫そうな柄と鞘。ジュウベエの持つ刀の通ずるところは山ほどある。

 ただジュウベエのアレは刀身に反りがあり、こちらは刀身が真っすぐだ。切るというよりは、突く方に特化したものであるかのように。


 だからこそ、大きな魚をひくのに便利な、包丁に見えたのかもしれん。実際、ツクモガミになるくらいの長い時を、こいつは包丁として扱われてきたのだ。

 そしてあの鞘も謎だ。後から術を施すために作られたにしちゃ、誂えたようにぴったり納まりやがる。術士はこの鞘をどこから持って来やがった……。


 ハンゾウはふと可笑しくなる。無手で戦う流派の自分が、仇であるとも言える刀のことを、こんなに真剣に考えていることに。


 これ以上は考えるのは、また今度にするか。何にしろ予め承知していたこととは言え、今回の旅は面倒だ。それだけは、はっきりしている。

 旅が進めば、自ずと見えてくるものもあるのだろう。事を起こす前に悩むような柄じゃない。昨日同様に思うジュウベエだった。




 それにしても——。ハンゾウはジュウベエの手にある得物に視線を移す。


「お前さんの刀も妙な仕様だな。あれだけ振り回しても抜けねぇとは」


「これは抜けないのではない。抜かないのだ」


「それに、普通サムライってのは、大小二本の刀を差してるもんじゃないのか」


「うむ、わたしも、都では御役目を果たす折りには、きちんと二本差していたのものだ。武士としての嗜み、というものだな」


 ジュウベエも、手許の愛刀に視線を落とす。その視線には複雑な心境が伺えた。


「今のわたしは、武者修行の旅の途中。と言えば聞こえは良いが、半ば出奔したも同然だからな」


 柄巻きを革で拵え、何の木で作られたものか頑丈そうな黒光りする鞘を備えた、しかし鍔は備えず、一見すると木刀のようにも見えるその刀。

 一般的なものよりは幾分長めではあるものの、大太刀ほどではなく、普通であれば対になる脇差し辺りと、二本差しで使われると思わしきその刀。

 しかし一度ジュウベエが腰にその刀が差せば、剣術に疎いハンゾウにさえ、それ以上の刀を、彼が持つ理由など何一つないのではないかと思えてくる。


「うむ、昔は大太刀というのは、騎乗にて振るうものだったと聞いている。わたしの流派は、力任せに刀を扱ってはならんのだ。長ければ良いということもない」


 それに——。そう続けるジュウベエは、刀を二本とも使う流派もあるが、自分の流派はそうではない、あくまで大切なのは、自然体、平常心なのだと述べた。


「はぁ、なるほど。だけど良いのか、俺みたいのに。そうべらべらと流派の秘密みたいなものを話しちまって」


「わたしも道場では師範代の身。門下生にも教えていることだ。話だけ聞いて簡単に実践できるものでもない」


 相変わらずの鹿爪しかつめらしい表情のジュウベエだが、ほんの僅かばかりの得意気な色を見てとったハンゾウは、何故か負けた気がした。




「そう言えば、嬢ちゃん戻ってこねぇな」


「うむ、顔を洗いにいったにしては長過ぎる」


 すわ、一大事とばかりに、ふたりが身を起こしかけた時、突然隣の部屋が、がさがさと騒がしくなった。

 何を言っているのかは判然としないが、ミトが独り言を言いながら、身支度をしているのだろう。

 やれやれ人騒がせな——。ほっと安堵の息を吐く、ふたりの前の襖が、突如スパーンと盛大に開かれる。


「おっはよう」

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