夢見る子供

夜凪 大虚鳥

夢見る子供

「私、二年前にね。すごく変な夢を見たの」

 彼女はストローをくるくると回す。コーヒーの中でマーブル模様を作っていたミルクが、グラスをベージュに染めた。中の氷が涼しく鳴る。

「ちょうどこんな日の夜に見た夢だった」

 彼女は思い出すように、視線を窓の外に移す。彼女の小さな庭の梔子には、蝶が舞っていた。彼女をみれば、眉間にシワが寄っている。僕は「あんまりいい夢じゃなかったんだろうなぁ」と思いクスリと笑う。

「夢の話聞きたい?」

「興味あるよ」

「じゃあ、今日二十になる君に教えてあげよう!」

 もったいぶるように言うと彼女は頬を薄く染め、僕と視線を合わせた。僕は彼女が好きだ。大人びた微笑が蕾を開くようにはらりと咲いて、あどけない表情を見せる。そんなところが好きだ。

「私ね、小さい頃夢の中ではお嬢様だったのよ」

 内緒話のように落とされた声のトーンからは、彼女の眩しい感情が見えている。




「小さい頃はいつも同じ夢を見ていたの。私は小さなお城に住んでいて、黒猫さんと、魔法使いの男の人と住んでいた。その夢は決まって、ドアをノックするシーンから始まる。扉を開けるとアンティーク調の部屋の中、小さな円卓の向こう側で、魔法使いが本を読みつつ私を待っているの。

「こんにちは」声をかければ、彼は本を閉じて。

「ようこそお嬢さん。今日も美しいね。」

って挨拶する。

 そのときにはもう、私はいつの間にか濃紺のドレスを着てる。ドレスのデザインは日によって違ったけれど、色だけはいつも夜空みたいな紺だった。円卓の向こうの彼も私と同じ色のローブを着ていた。彼に促されるまま椅子につくと、膝の上に黒猫さんが飛び乗った。背を撫でてやると丸くなる。背中のふわふわに手を埋めると温かい。机の上に、どこからともなく紅茶が現れた。この夢を見たのは中学生以来で、懐かしさを感じながら一口飲む。紅茶のことはよくわからないけど、とても美味しく感じた。

 いつもなら、このあとはお菓子を食べながら雑談したり、ゲームをして遊んだりするけれど、昨日の夢は違った。彼は私が椅子に着いて少しすると、

「レディにこんなことを聞くのは失礼だと思うが、どうか許してほしい。君はいくつになったんだい?」

と聞いてきた。

「十九歳になったわ」

彼はそうかとつぶやいて目を閉じる。

「どうりで見ないうちにこんなに身長が伸びているわけだ。でもお嬢さんはなにも変わっていないね、すぐにわかったよ」

彼と目が合う。すっと細められた目からは感情が読めなかった。

「君はもう一年もしないうちに二十になるんだね。感慨深いものがあるなぁ。君の誕生日は確か梅の咲く時期だったろう? 二十になったら大人の仲間入りだね。でも君はずっとお嬢さんのまま、何も変わっていないから心配だなぁ」

 なんだかバカにされているような気がして反論した。ちょっと子供っぽいなとも思ったけどね。

「私も学校に行って勉強したり、色んな人と関わったりして人生経験を積めていると思うけど。まあ、普通の十九歳程度にはなれているはずじゃない?」

静かな部屋に笑い声が響いた。膝の上の黒猫さんが煩わしそうにしっぽをふり、私の手に猫パンチをお見舞いした。笑いながら彼は言う。

「いやぁ、嫌がらせで言ったわけじゃないんだ。ただ、このままの君で大丈夫かなぁと思っただけだよ。現に君は今こんなメルヘンチックな夢を見ているし、僕の言葉の意味も取り違えている。僕は大人になる自分が想像できるかということが聞きたかったんだよ」

 聞き方がちょっと意地悪だったかな。と彼は肩を竦める。

 義務教育を終え、右に倣えで高校生になり、初めて大学受験で真剣に自分と向き合ったが受かったのは第三希望。十九年間の人生のうち後悔するようなことはなかったけれど、誇れるような実績も、誰もしたことのないような経験もたいしてしていないような気がする。改めてそう言われると、自信がない気がしてきた。

 大人の世界に出ても大した意味もない、ちっぽけな人間のような気がしてきて、弱気になってたな。あんなにさっきまで威勢が良かったのに。笑っちゃうでしょ。

 そうしたら彼は私の表情に気がついたのか微笑んで言ったの。

「不安にさせてしまったようだね、でも君は思ったより大人になれそうだ。今君は、今までの自分を省みただろう? 僕は自分を客観視して反省したり、深く考えられる人って自立していると思うんだ。君は大人になるための第一歩をクリアしていると思う。でも、君にはもう一つ足りない。君に足りないもう一つ、それは価値観だ。しっかりとした価値観がないと、さっきの君みたいに、問題が前にある時に判断が下せないから自信をもって意見を言えなくなってしまう。価値観はなにかに迷ったり、強い流れに負けそうになった時の道標になるからできるだけ早く確立したほうがいい。」

 彼は話を中断して、紅茶に口をつけた。私もそれに倣い一口飲んだけれど、何故か味がしなくてちょっとだけ不安になった。

「価値観を得るには、君はもっといろいろなことを経験しなくちゃならない。辛いこと、かなしいこと、嬉しいこと、幸福なこと……」

 彼は一度言葉を切り目を細め、机を人差し指でつつく。

「でも、これだけは忘れないで。どんなことがあっても、君は君だ。」

 彼がそこまで言うと黒猫さんが私の膝から飛び降りた。地面が歪み、家具がガタガタと鳴る。机がひっくり返り、ティーカップが割れる。最後に「さようならお嬢さん!」と魔法使いの声が聞こえたところで、布団の上で飛び起きたの」




「私は二十一、あなたは二十。年齢的には大人ね。でも、まだ私達は大人じゃない。そうでしょう?」

薄っすらと汗をかいたグラスをつつき、彼女は無邪気に笑う。

「大人になりきってないのよ。いつの間にか大人っていう名前をもらっただけの子供なの。私は、まだ。自分をいつも客観視できているかなんて自信ないし、価値観もすぐ揺らいじゃう。それに私も、こんな夢を忘れられないくらいにはまだ子供でいたいと思ってる。」

彼女は寂しく笑った。大人の顔をしていた。

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