「青春SF」

奇乃なかみ

 青春の正体が寄生虫だと発表されたとき、人々は奇妙な納得と共にそれを受け入れた。


 あの胸を焼く焦燥や、身を切るような恋の熱情が、正気などと呼べるものか――煩悩に満ちた時代を通過した大人たちは、みな心のどこかでそう思っていたのだ。


 puerchloridium――通称「青春虫」。

 2030年に観測された新分子によって構成された、不可視の生物だった。

 青春虫は、二次性徴前後の人間の脳に寄生して、成人を過ぎるころになると突如宿主の体内を離れる。

 この間、宿主は脳波に微弱な干渉を受けており、不安定な心のゆらぎと激しい感情の起伏を引きおこす。


 彼らの生態は未だはっきりしない。

 血液から微弱な栄養を吸い上げてはいるものの、共生と呼ぶにはあまりにも奇妙な同居人。

 宿主の体内から姿を消す際に、頭皮から這い出て空へ昇っていくとの報告例もあり、一部では宇宙人の遣いと噂された。


 稀に、宿主の成人後も体内に留まり続ける個体がいた。

 成人してなお青春虫を宿す人物は、ミュージシャンや役者として成功することが多かった。

 芸能界では、青春虫は「才能虫」と呼ばれ重宝された。


 巣立ちを迎えられず宿主の中で死亡する個体もいた。

 こちらのケースは社会問題となった。

 青春虫の死骸が脳波へよりネガティヴな影響を与え、不安障害を引き起こすことが分かったのだ。

 ある年に起きた大量殺人事件の犯人が青春虫の死骸保持者だと判明したことをきっかけに、青春虫を取り巻く論争は加熱した。

 翌年から、青少年の定期的な青春虫検診が義務づけられるようになった。


 数年後、青春虫摘出手術が実用化され認可された。

 やがて「青春虫に汚染されない、人間本来の知性を!」と主張する集団が現れた。

 彼らはナチュラリストと呼ばれた。

 ナチュラリストたちは、すすんで我が子の青春虫除去手術を行った。

 青春虫を除去されたナチュラリストの子どもたちは、冷静さと退屈さを手に入れ、同世代の子どもたちと軋轢を生んだ。

 「虫がついていようがいまいが、現代の子どもたちが持つ熱意などそんなものだ」と主張する社会学者が現れ、ふたたび論争になった。 

 

 青春虫をビジネスに利用しようとする者もいた。

 ナチュラリストが摘出した青春虫を買い取り、壮年の顧客へ移植する「回春」ビジネスが生まれた。

 青春虫を宿した熟年の顧客たちは、若き日の情熱で再び人生を謳歌した。

 しかし青春虫と彼らの持つ老いた肉体との相性が悪かった。

 青春虫が成人の肉体に留まり続けられる期間は長くて2週間だった。

 「回春」を受けたある富豪が、青春虫と二度目の別れを迎える際、拳銃でこめかみを撃ち抜いて自殺した。

 その後も顧客は次々に自殺した。

 二度の青春を経て、ふたたび醜い肉体、錆びた情動に戻ることは、それほどまでに耐え難かった。

 ただちに全世界で青春虫の二次利用が禁止された。

 騒動は、後にカート・コバーン症候群と呼ばれた。



 夕暮れ。

 中学校の教室に少年と少女がいた。

 少年は普通の少年で、少女はナチュラリストだった。


 「話ってなに」

 少女は読んでいた本を机に置いて、少年の方へ顔を上げた。

 本は『グレート・ギャツビー』だったが、少年はフィッツジェラルドを知らなかった。

 「その――君が好きなんだ」

 少年は単刀直入に言った。

 「俺と、付き合ってくれないかな」

 こういうことはシンプルな方がいいと信じていた。


 少女は心の中でため息をついた。

 男子生徒から告白を受けたのはこれで3回目だった。

 「少し落ち着いて。考え直したほうがいいよ」

 少女は、言葉を選んで言った。

 「私たちは進む高校も違う。趣味もきっと違うし、お互いのこともよく知らない」

 声色には、少年への労りが6割と自身の風評への気遣いが4割あった。

 少女は自分の美しさを自覚していた。

 「いきなり言われても困るよ」 


 「お互いのことは、これから知っていきたいと思う」

 少年は食い下がった。

 「俺、君のためならなんでもできると思うんだ」

 軽い気持ちで告白した連中とは違う。

 3年間野球に打ち込みながら、少年は少女をずっと目で追いかけていた。

 あまり話す機会はなかったけれど、少女のことを考えると辛い特訓にも耐えることが出来た。

 少年の中でだけ、少女は数年来の付き合いだった。


 「なんでもかあ」

 少女は思案した。

 眼前には口を真一文字に結んだ少年の顔。

 少女の醒めた思考に、不意に苛立ちが入り込んだ。

 他人の物語に巻き込まれているような気がした。

 だから、咄嗟に言ってしまった。


 「じゃあさ。青春虫をとって、まだ私のことが好きだったら付き合ってもいいよ」


 いまや青春虫除去手術は、ピアス穴を開けるより簡単だった。

 青春虫が嫌う振動を発する小型除去装置――リムーバーと呼ばれる機械を数分額に当てるだけで、青春虫は宿主の脳から退散した。

 ナチュラリストの少女は、10歳になる従姉妹へ貸すため偶然それを持っていた。

 

 「――わかった」

 少年は覚悟を決めて答えた。

 青春などというあやふやな概念より、少女が大切だった。

 愛し抜く自信があった。


 少年は勢いよくリムーバーを掴むと、額に当てた。

 運動部の彼は、向こう見ずで、思い切りがよかった。

 少年の額に振動が伝わり、頭皮から青春虫が不可視の姿を覗かせた。

 青春虫は、習性に従って少年の中から空へ還った。


 それが最後の一匹だった。



/

 次の瞬間、世界中すべての若者から一斉に青春虫が這い出して、天へ昇った。

 目には視えないが、流星群を逆再生しているようだった。

 若者たちの動きがつかの間硬直して、何件かの事故が起きた。

 マフィアが密輸した非合法青春虫を宿していた大人たちは、絶望ののち自殺した。

 世界からひとつの概念が消えた。


 青春虫は、星々を渡りながら情報を集めていた。

 彼らを放った主人は、すでに寿命も苦悩も超越していた。

 青春虫の主人はただひとつの価値観だけを欲していた。

 それは人間の言葉でいう「美」に極めて近いものだった。


 この星に、彼らの期待に答える価値観はひとつしかなかった。

 青春虫は主人のプログラムに従って青少年に寄生し、任意の情動を増幅した。

 人間の若者たちは主人の求める価値観を生み出した。

 少年の青春虫が帰投して、情報が揃い、地球は価値を失った。


 青春虫のいなくなった地球で、人々は変わらず生活を営み、子を生み、育て、死んでいった。

 文学と、漫画と、アイドルと、ロックと、いくつかの創作が消滅した。

 それ以外、表面的に変化はなかった。



 少年は、もう少女の顔も思い出せない。

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「青春SF」 奇乃なかみ @kino_nakami

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