金物屋

増田朋美

金物屋

金物屋

ある日、杉ちゃんが自宅内で、野菜炒めを作っていた時の事。野菜炒めをフライパンから出して、お皿に盛ったところまでは良かったのだが、フライパンを洗おうとしたちょうどその時、フライパンの根元から、ポロリと柄が取れてしまった。その時に、フライパンはけたたましい音を立てて落ちたので、食堂で待っていた蘭までがびっくりしてしまったほどであった。

「いやあ、大丈夫。怪我はしていないけどさ。まだ、数回しか使ってないのに、こんなに派手に壊れてしまうとは思わなかった。全く、欠陥品もいいところだなあ。」

杉ちゃんは、流し台に落ちたフライパンの残骸を拾いながら、カラカラと笑った。

「まあ、安いのだからね。最近は、国産というのはほとんどなく、人件費の安い国で作っているだけだからさ。すぐ壊れてしまうのもしょうがない。」

蘭が直ぐにそういうと、

「そうなんだけどね。フライパンが無いと料理が何もできなくなるので、新しいのを買ってこよう。通販では、待ってなきゃいけないから、ほかの手段で買おう。」

と、杉ちゃんは言った。

「まあ確かにそうだ。ホームセンターを調べてみるね。」

と蘭は言って、すぐにタブレットを出して、ホームセンターを調べてみたが、あいにくホームセンターは、定休日なのだった。こういう時に限って、定休日になってしまうのは、何とも皮肉なところだが、そうなってしまったら、仕方ない。

「よし、金物屋に行ってみよう。」

杉ちゃんがそういうが、果たして富士市に伝統的な金物屋はあっただろうかと思う。

「この辺りに、金物屋があるかどうか、調べてみてくれや。できれば、海外製のフライパンではない、ところがいい。」

「そうだねえ。」

と、蘭は、とりあえず、富士市金物店と、検索してみた。そんな専門的なフライパンを売っている

ような店なんて、富士にあるんだろうか。最近は、フライパンなんて、100円ショップでも入手できる位、安いものになっている。

「金物屋さんは、果たしてあるかなあ。ちょっとまってな。」

蘭自身も調理道具はホームセンターで買っている。金物屋さんなんて、いったことがない。どのあたりにあるのかもよく知らない。

「えーと、フライパンが売っている金物屋は、ああ、吉原の、安村金物店だ。」

なんでも、吉原本町通りにある、老舗の金物屋らしいのだが、ちょっと敷居が高そうなお店だと蘭はおもった。

「よし、お昼を食べたら行ってみようぜ。金物屋さんへ行ってみよう。」

杉ちゃんと蘭は、急いで野菜炒めを食べてしまうと、蘭が呼び出した障碍者ようのタクシーに乗り込んで、安村金物店に向ったのであった。

その安村金物店と表示されている建物は、金物屋というと、商品が所狭しと置かれている、倉庫みたいな店を想像するが、商品はしっかり陳列されているし、金属製の鍋とか、ざるとか、おたまのようなものが、棚の上に丁寧に置かれていた。昔の金物屋さんとは、雰囲気がちょっと処か、かなり違うようだ。二人は、店の入り口の前でタクシーから下ろしてもらい、金物屋さんの中へ入らせてもらった。

「すみません。この店、フライパンはありませんかね?」

と蘭がいうと、

「はい、ございますよ。フライパンと言っても、鉄製のものもありますし、テフロン加工のものもありますが、どれにいたしましょう?」

と、店員は、二人に言った。

「そうだなあ。昔から使い慣れているのは、鉄だけど?」

と、杉ちゃんがいうと、

「そうですか。鉄のフライパンですと、油慣らし等をしなければなりませんが、よろしいですか?」

店員に言われて杉ちゃんは、

「ああ、そんなこと、料理をする奴であれば、とっくに知っている。鉄のフライパンを一個ください。」

と、即答した。

「そうですか。そうなると、よほど料理になれてらっしゃる方のようですね。プロの料理人の方ですか?でも、車いすに乗ってらっしゃるから。」

「まあそう勿体ぶるな、料理すれば鉄のフライパンが一番良いって言うことは、誰でもわかるよ。それに、最近の安いものは、すぐ壊れちゃうから、やっぱり、昔ながらの奴が一番いいよ。フライパンも鍋も、ほかの道具も。それで、幾らに何の?」

杉ちゃんにそういわれて、店員は、売り棚から、鉄のフライパンを出してきた。

「うちで扱っている鉄のフライパンはこれです。これより小さいサイズは売れてしまいましてね。残念ながら今のところございません。なので、これを使用してください。」

「はあ、分かりました。じゃあ、幾らになるんだ?」

「はい。3500円です。」

杉ちゃんは、とりあえずSuicaカードは使えるか店員に聞くと、現金のみだと言われた。杉ちゃんの代わりに、蘭が、店員に3500円を渡す。

「すみませんね。僕、読み書きできないもんでさ。こいつに手伝って貰っているわけヨ。」

杉ちゃんがそういうと、

「そうですか。それは難儀ですね。でも、そうやって、明るく楽そうにいきてらっしゃるから、かえって嬉しいかもしれませんね。」

と、店員は、ちょっとうらやましそうに言った。

「そう思うのは、どうしてかな?」

杉ちゃんが聞く。

「ああ、すみません。杉ちゃん、答えを言って貰わないと、何度も質問してしまうものですから。いい加減な回答では決して容赦しないんです。すみません。」

蘭が急いで、店員に謝罪すると、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「別に悪いことを聞いているわけじゃない。ただ、お前さんのすることが楽になるわけでもない。でも、人に話すってことは、又以前とは違うと思うんだ。それが、人に何かするって事じゃないかな。」

「そういう見方もありますね。」

杉ちゃんに言われて、金物屋の店員のおじさんは、そうつぶやいたのであった。

「だからさ、お前さんも隠してないで話して見ればいいじゃないか。それで、何か変わるかもしれないぜ。」

「そうですね。お客さんに何か言ってしまうのも、ちょっと恥ずかしいというか、申しわけないように見えるけど、お話して見ようかな。」

と、金物屋のおじさんは、杉ちゃんを見てそういったのであった。

「そうですね。うちの娘の話しなんですが、ちょっと、不自由なところがありまして。なんというのでしょうか、やたら感じすぎてしまうんでしょうね。精神障害というものだと思いますが、もう、平穏な生活というものは、得られないのかな。」

「はい、得られません。」

そういうと、杉ちゃんはデカい声で言った。

「それは当たり前の事だ。お前さんは、一般的な幸せというものは二度と得られないだろう。しかし、又別の意味で幸せというものは、やってくるから。それは、誰でも一緒だ。娘さんの人生を、親がとめるということはしちゃだめだぜ。娘さんは、娘さんなりに生きる権利があるんだからな。それは、外しちゃいけないよ。」

杉ちゃんは、つづけていった。

「ええ、そうですね。それはわかりますが、もうあの子が回復する事もないんだったら、そうした方が良いのではないかと思うことだってあるんです。彼女だって、それを望んでいるんじゃないかって、思うときもありますよ。」

「うーん、そうかもしれないね。でも、それは、親が決めることではないよね。そこは、お前さん勘違いしちゃいけないよ。障害があったって、こうして能天気に生きている奴だっているんだから。僕たちは、このように車いすに乗っているけれど、不幸ではないよ。」

杉ちゃんは、デカい声でそう言って、話をつづけた。

「まあ、障害は不便ですが不幸ではないというとちょっと、大げさだけどさ。この世で生きられないんだったら、この世で生きられるように、仕向けてやることが、必要だ。まあ、確かに、感じ安いというか、そういう風に成っちまうことは、今の時代では、立派な障害と言えるのかもしれないね。だから、そうなったなりの対策を施してやることに、すぐに頭を切り替える事が一番大事だよ。障害年金の手続するとか、障碍者手帖を申請してやるとか。其れこそ、親御さんの究極の愛情だぜ。それができないで、いつかはどうのなんて、そのようなことは絶対ないんだからな。娘さんが、感じすぎて暴れるのは、車いすに乗っているのとおんなじなんだよ。だから、そうなるようにしてやることが、大切なんだよ。」

「そうですね。杉ちゃんのいう通り、そうしてやるしか逆にできることはないのかもしれません。僕も、そう思います。何かスキルを獲得させるよりも、そうやって、生かしてやれるようにしてやることのほうが、大事なのでは?」

蘭は、杉ちゃんについで、そういう事を言った。

「もし、彼女がそれで自信をなくしてしまうとか、そういうことがあったら、僕のところへ来てください。いずれは、彼女がそのような結論にいたらなければなりませんが、彼女に、昔の自分のことは忘れるように仕向けることはできますから。」

「そうなんですね。ありがとうございます。一体あなたは、障害を持っていながら、何をされている方なんですか?」

と、金物屋のおじさんは、そういうことを言った。

「ええ、大した職種ではありませんが。刺青師です。」

蘭は正直に言った。

「でも、こいつは、暴力団とか、やくざとか、そういうやつに彫ったことは一度もないの。リストカットとか、虐待のあととか、そういうのを消すために、入れてあげてるんだ。何も悪いやつでは無いから、何でも相談しな。それに治療が必要なら、医者を紹介してやる事もできるし、話を聞くための療術家を探すことだってできるから。そういう時は、家族で解決何てしないでさ。こういうのに精通している人間を直に頼って頂戴よ。」

杉ちゃんは、そういうことをいうと、蘭は、財布の中から、名刺を一枚取り出した。

「はい。この名刺の裏に、電話番号がありますから、何かありましたら、送ってください。」

蘭は金物屋のおじさんに、名刺を渡した。金物屋のおじさんは、彫たつさんというんですかと繰り返した。

「いえ、本名は伊能蘭です。本名でも、芸名でもどちらでも呼ばれていますので、好きなようによんでください。」

と、蘭は、にこやかに笑った。

「ありがとうございます。刺青師の先生がまさか力になってくれるとは、おもってもいなかったので、嬉しいです。」

金物屋のおじさんは静かにいった。

「じゃあ、これ、お品物です。大切になさってください。」

と、杉ちゃんたちにフライパンを渡した。フライパンは、丁寧に包装されて、何だか立派なプレゼントのように見えた。

「ありがとうな。おかげで、又今日の晩御飯から、料理を作れるよ。ほんと、衣食住の何かに関われるってことは、幸せなことだよな。仕事があるとかないとか、そういう事も大事だけど、なによりも、ご飯が食べらるってことも、大事な事でもあるんだぜ。」

杉ちゃんに言われて、金物屋のおじさんは、そうかと頷いた。

「それがあるうちに、早く障碍者サービスに触れることが、一番の近道なんだと思います。」

と、蘭は、杉ちゃんに付け加えた。

「じゃあ、又何かあったらくるからな。それでは、またよろしくお願いします。」

杉ちゃんは、蘭にそろそろ帰るかと促した。蘭がスマートフォンでタクシーを呼び出す電話をかけていると、杉ちゃんは、

「また、何か困ったことがあったら、気軽に電話かけて来いよ。」

と、金物屋のおじさんに言った。数分後に、障碍者ようのタクシーが安村金物店の前にやって来た。杉ちゃんたちは、また来るよ、と言いながら運転手に手伝って貰って、タクシーに乗った。

その数日後の事であった。蘭がお客さんに頼まれた下絵を整理していると、見慣れない番号で蘭のスマートフォンがなった。

「はい、もしもし、伊能ですが。」

「ああ、彫たつ先生でいらっしゃいますか?先日、うちの店に来てくださってありがとうございます。あの、金物屋の安村と申しますが。」

先日の、金物屋のおじさんであった。

「ああ、あの金物屋の安村さんですね。何かあったんでしょうか?」

と、蘭がすぐ聞くと、

「今日、娘が、自殺を図って、医療保護入院になりまして。もう、どうしたらいいのかわからなくなってしまって、先生のお宅に電話しました。」

ひどく落ち込んだ声であった。

「そうですか。自殺を図ったとは、何かで手首を切ったとか、そういったことですか?其れとも、毒を飲んだとかそう言うことでしょうか?」

「ええ。毒を飲んだというか、睡眠剤を大量に飲んだようです。」

「意識はありますか?」

「それが、意識は、鮮明ではなくて、何か訳のわからない事を、平気で口走ったりして、私たちもよくわからなくて。」

蘭は、とりあえず金物屋のおじさんの話を聞いた。事件の概要は、とりあえずつかめた。娘さんは、睡眠剤を大量に飲んで自殺を図った野だろう。現在意識はもうろうとしていて、わからない事を口走るのだ。

「私どもはこれからどうしたらいいのか。よくわからなくて。先生、これから、どうしたらいいのでしょうか?」

金物屋のおじさんは、そういうことを言った。

「いえ、大したことはありません。それは逆にチャンスだとおもってください。入院経験があった方が、障碍者手帖にたどり着ける可能性は高くなる。」

「そうですか?」

「ええ、大丈夫です。そのためのチャンス何だとおもってください。そして、できるだけはやく彼女が、福祉サービスにたどり着けるように、仕向けてやってください。」

「でも、本人の気持ちとか、そういうことをしなくてもいいのでしょうか?」

金物屋のおじさんはそういうことを言っている。

「いえ、それは聞かなくてけっこうです。それは無視して手続きしてあげた方がよほど早く進みます。いいですか?娘さんは、そうするしか、生きる道はないんですから、できる限り早く、障害があると認定されるように仕向けないと。」

「ああ、はい。分かりました。でもですが、娘が不幸になってしまうとなると、かわいそうというか、不憫というところがありまして。」

金物屋のおじさんは、悲しそうな声で言った。

「ええ。そんな事を、話してはいけません。彼女が辛い思いをするかどうかは、あなた方が判断するわけではないんです。其れより、この間、杉ちゃんが言っていたとおり、ご飯が食べられるということが何よりの幸せですよ。其れも、このままではできなくなりますよ。」

蘭は、きっぱりといった。こういう時は、しっかり必要な事を言っておく必要があるとおもったのだ。

「では、蘭先生、これから、私たちは、どうしたらいいのか教えてくださいませんか?」

と、金物屋のおじさんは、そういうことを聞く。

「ええ、答えは簡単です。まず初めに、精神障碍者福祉手帳を申請し、次に、障害年金の手続きをすることです。それはちょっと、複雑ですから、だれか専門家に頼むといいですね。それから、彼女が一人で暮らすための、アパートか何かを確保すること。金物屋さんを引き継ぐことは、先ずあきらめてください。わずかな可能性にかけることもいけない。其れよりも、できないことはできないとはっきりさせて、生活ができるように仕向けることが、肝要です。」

蘭は、しっかりと言った。

「もし、娘が泣きわめいたりしたらどうしたらいいでしょうか?」

と、金物屋のおじさんは、小さい声で聞いた。

「そうなったら、黙って抱きしめてやってください。年齢も何も関係ない。今の娘さんは、退化したとおもってもいい。それは、今の事実でそうなっているということを、認識してください。」

少し、電話口で沈黙が走ったが、金物屋のおじさんはわかってくれたようで、こう切り出したのである。

「はい、分かりました。それでは、そうすることにします。」

「ええ、そうしてあげてください。彼女が、すくなくとも、生きていけるように。」

「はい、私も、これからは、娘の事をちゃんと見るようにします。」

と、金物屋のおじさんは、わかってくれたようだった。そういう親で会ってくれてよかったと蘭は思う。それでもまだ治る可能性があるから、そっちを信じたいという親もいる。そういう親こそ一番綺麗なように見えて、一番厄介なものである。

「頑張って下さいね。」

「はい、先生、ありがとうございました。」

と、金物屋のおじさんの電話はそこで終わった。蘭は、電話アプリを閉じて、大きなため息をついた。

又何日か経って、杉ちゃんと蘭は、再び安村金物店を訪れた。杉ちゃんが、先日買ってきたフライパンは、小さすぎるので、もう一回り大きなフライパンを使いたいと、言いだした為だ。蘭と杉ちゃんが、障碍者ようのタクシーを降りて、安村金物店の敷地内に入ると、

「いらっしゃいませ!」

と、にこやかな顔で、元気の良い若い女性が出迎えた。彼女は、体重がおそらく100キロ近くあるのではないかと思われるほど太っていた。さほど体力はなさそうであったが、決して、悪い人であるような雰囲気ではない。其れなら、まだ大丈夫だと杉ちゃんも蘭も思った。

「えーと、鉄のフライパンで、もう少し大きなものを見せて貰えないだろうか?」

と、杉ちゃんがいうと彼女は、

「はい、分かりました。こちらにいらしてください。」

と、杉ちゃんの車いすを動かして、フライパンの売り場に連れていく。

「はあ、太っているのに、よく動く方ですね。物事によく気が付かれる方だ。」

と、蘭は、金物屋のおじさんに、そういった。

「そうなんです。それが役に立てれば良かったんですけど。」

金物屋のおじさんは、そういうのであるが、

「確かに、人間なんてそんなものですよ。子供のころは、大きな事ができるように教育されるけど、それはできなくて、結局できることは、ご飯を食べることだけです。そこに気が付いた時のショックが大きすぎて、日常生活が送れなくなったら、其れこそ大変ですよ。」

と、蘭はにこやかに言った。

「こないだはありがとうございました。おかげで助かりました。」

と、金物屋のおじさんは、蘭に頭を下げた。

「いいえ、僕はただ、やり方を教えただけですよ。それを、実行するのは、あなた方です。その情報が何もないのが少し困りますけど。」

蘭は、おじさんに、できるだけ軽くいうことにした。





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金物屋 増田朋美 @masubuchi4996

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