7
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泉の傍らで、水面に映りこんだ自身の影を眺めている少女がいる。その胸元には古びた詩集が抱えられている。いつからそうしているのか、彼女自身にも分からない。泉のなかで曖昧に揺らいだ輪郭が本当に自分のものなのかという確信さえ、彼女は得られずにいる。
大切な所有物であるはずの詩集も、どうにも自分の持ち物のような気がしない。長らく傍にありつづけた、何度となく頁を繰った――そのはずなのに、綴られた言葉が記憶として留まることはない。それがこの世界の在り方なのだと理解してはいても、言い知れぬ思いが彼女の胸を締め付けつづけている。
彼女はまた屈みこんで、水面にそっと触れる。向こう側の自分と指先を触れ合わせたいという夢想じみた願いが、彼女のなかにはある。向こう側に追いやられた、あるいは旅立った、もうひとりの自分。〈彼女〉とのゆいいつの接点がこの場所なのだという気がして、いつまでも離れられない。
彼女はようやくと立ち上がり、後方を振り返る。泉を囲う木々のなかに気配を察し、勇気を奮い起こして問いかける。――見ていたの。
***
ずいぶんと前から、と問われた側の少女は答える。淡々と、感情と名のつくものがすべて奪われてしまったかのような調子で。
――どのくらいかな。思い出せないくらいから前かも。
そう応じると、彼女は泉にいた少女のもとへと歩み寄る。胸元にある詩集が目に付く。なんと古い詩集だろう、と彼女は思う。幾度となく読み返されたに違いない。
ふたりはどちらともなく隣り合って、草のうえに腰掛ける。ここでは思い返せることのほうが少ないもんね、と〈詩集の少女〉が言う。
ふたりは触れ合わない。〈青の帳〉が訪れるまで、触れ合うことはないだろう。
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