5

 酷く物淋しい森を、〈詩人〉はひとり黙々と歩きつづける。木々は黒々と枯れ果てていて、まるで骨ばった掌が空を掴まんと伸べられているかに見える。景色はどこまでも変わらない。方角を見失わないようにするのも一苦労だ。

 左腕の痛みは失せない。傷口から滴っているのは血ではなく、〈死せる魂〉の断片だ。光の粒子が僅かずつ零れだして、蛍火のように揺れながら後方へと流れ去っていく。残存してくれれば道標にもなろうけれど、そう都合よく事は運ばない。〈詩人〉から離れるとすぐさま輝きを失って、森の静寂に包まれて見えなくなってしまう。

 それでも、と〈詩人〉は己を鼓舞する。痛みが続く限り、記憶もまた保持される。私は彼女の名を覚えていられる。少しでも薄れようものなら、傷口を指で抉ってやろう。鮮烈で甘美な苦痛だけが、私と彼女を結び付けてくれる。

〈詩人〉ははたと立ち止まり、かしらを巡らせる。視界の隅になにかが映りこんだ気がしたのだ。おそらくは蒼白い光。

 単なる幻影か、あるいは自身の腕から零れ落ちた欠片を見間違えただけか、と〈詩人〉が諦めかけたとき、またしても煌めきが生じる。今度は真正面だ。

〈詩人〉は必死に目を凝らす。奇妙な光は空に向かって弧を描くように踊っている。意思を宿しているかのようなその動きに、〈詩人〉は蠱惑される。

 不意に光が高く舞い上がり、前方に向かって飛びはじめる。これは導きに違いないと、〈詩人〉は彼女が詩人であるがゆえに確信する。その後に続くように、彼女もまた歩みを再開する。

 進むうち、徐々に景色が変じていくのを〈詩人〉は目の当たりにする。木々はいつの間にか葉を宿し、色を取り戻している。そのすべてが目の前の光と同じく、炎のように蒼い。

 木々が道の両側からせり出して、すっぽりと空を覆うような形になった場所に、やがて〈詩人〉は行き当たる。まるで洞穴だ。入口が近づくにつれ、〈詩人〉の胸の内には根源的な恐怖が込み上げる。

 導きの光は速度を緩めない。なんの迷いも躊躇いも見せることなく、木々の洞穴へと入り込んで進んでいく。蒼白い輝きが遠ざかり、〈詩人〉の視界から失せそうになる。

 ああもう、と〈詩人〉は口のなかだけで発する。それから左腕の傷口を、愛撫するかのようにそっと指先で撫で上げる。

 彼女は駆け出し、かろうじて導きの光に追い縋る。枝と葉の落とす影のなかで、光はいっそうのこと際立って見える。やはりこれは心強い相棒に違いないと、〈詩人〉は自分に言い聞かせる。

 風が起き、木々の葉が擦り合わされる音が響く。音は奇妙に反響し、まるで呼びかけのように聞こえはじめる。

 ――ここになにをしに来た。

 また別の方角からの声。

 ――なんのためにここを訪れたのだ。

 ざわめきは止まない。幾度となく繰り返される呼びかけに耐え兼ね、〈詩人〉はとうとう返事をする。

 ――薄れつつある〈死せる魂〉が消えずに済む方法を探しに来たの。

 なるほどそうか、と声が応じたかと思うと、途端に風が静まる。乱れた前髪を、〈詩人〉は手櫛で整える。導きの光がくるくると旋回しながら戻ってきて、〈詩人〉の目の前で停止する。

 目映い閃光が起きる。思わず細めた目を怖々と開いたとき、〈詩人〉の正面には長身の女が立っている。この一瞬で、どこからどのようにして現れたとも、〈詩人〉には分からない。

 ――おまえにはまだ猶予があるね。薄れてるってのは、いったい誰のこと?

 女が唇を幽かに湾曲させながら〈詩人〉に問う。相手が自分たちと同等の〈死せる魂〉ではないことを、〈詩人〉はすぐさま理解する。その蒼白い肌に、冷たい面立ちに、彼女は戦慄を覚える。

 ――私の友達。

 ――友達? ただの友達か?

〈詩人〉は短く息を吐きだす。なにもかもお見通しのようだ、と彼女は思う。

 ――大切な人。

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