とある一人の天才の話
物語が好きだ。
子供の頃から運動も、勉強も好きだったけれど。何よりもオレは物語が好きだった。
忙しかった両親が買ってくれた漫画やゲームは、大人になった今でも大切に保管している。弟と一緒に遊んでいられたあの時間は、オレにとってかけがえのない時間だった。
だからいつしか、自分でも物語を生み出してみたいと思い始めた。最初はノートに書き殴っているだけで満足していた。でも、次第に誰かに見てもらいたくなった。
弟はパソコンに詳しかったから、ホームページを作ってもらってそこで公開した。来訪者はそこまで多くなかったが、コメントを送ってもらえて嬉しかった。
それから小説投稿サイトの存在を知った。そこでため込んでいた作品を投稿してみた。思っていた以上の反響があった。
「雨楽さんの作品を、うちの出版社から書籍化させていただけませんか?」
そう声をかけて頂けるまで、時間はかからなかった。正直、舞い上がっていた。二十歳をとっくに超えたいい大人だったが、両親や友達に言いふらしまくった。
誰よりも、弟に言いたかった。子供の時みたいに、一緒に楽しんでくれると思ったからだ。
でも、これが悪かった。
「兄さんはいいよな、夢を叶えられて。僕は駄目だったよ、この目じゃパイロットなんかにはなれないって」
嬉しい知らせは、爆弾の起爆スイッチだった。
弟は生まれつき、色の見え方に障害がある。日常生活を送る上では特に問題はないのだが、彼の目標であったパイロットにはなれないと判断されたらしい。
弟は荒れた。どちらかと言えば大人しい性格の彼が、あんなにも暴れるとは信じられなかった。悪い夢でも見ているのかと、自分自身を疑ったくらいだ。
目に入るものを手当たり次第に壊して、引き裂いて。壁をバールで殴りつけた時に我に返って、慌てて力づくで押さえつけたが、おかげで肋骨が折れた。
でも、そんなことはどうでもよかった。オレにとって弟は……章太郎は、大事な家族だから。
章太郎を傷つける夢なんて、いらなかった。
「よし、やめよう」
「は?」
「章太郎が嫌なら、書籍化は断る。小説を書くのもやめる!」
「いや、待て。なんでそうなる?」
「次は何にしようかなぁ……あ、ゲームとかどうだ? 最近流行ってるじゃん、自作ゲーム。二人でゲームを作ろう。きっと楽しいぞ! 物語は楽しいものじゃないと駄目だもんな!」
そう、俺はそもそも小説ではなく、物語が作りたかったのだ。だから、小説にこだわりはなかったし、未練もなかった。
最初は弟にバカにされたし、出版社から何度も引き止められはしたが。何度も繰り返し説得して、なんとか体制を整えるのに半年かかった。
そうしてやっと、オレたちはゲームを作り始めた。章太郎に作ってもらったホームページを一新して、『夢乃咲製作所』を開設した。
章太郎は教師という職業柄か、ハンドルネームすら使うのを拒否したので、ホームページにはオレのハンドルネームしか載せられなかったものの、それ以外は順調だった。
オレがシナリオやキャラクターを作って、章太郎がシステムを組む。無料のソフトや素材を使って、どんどん発表していった。
あれから……何年経っただろう。章太郎と二人で立ち上げた、夢乃咲製作所。今ではキャラクターのデザインや声優などを手伝ってくれる仲間たちも増えた。
作ったゲームは今では大人気と言ってもいいものになってきている。しかし、その全てがフリーゲームなので、収入は心もとない。
いっそのこと、ゲーム会社を立ち上げようかとも考えたが、誰でも気軽に遊ぶことができて、どんな人でも制作に携わることが出来るフリーゲームというジャンルが魅力的で。
だから会社ではなく、居酒屋を始めることにした。元々料理は好きだったし、人と関わるのも好きだ。人はそれぞれ自分だけの物語を持っており、それを垣間見ることが出来るこの仕事は天職だと思えた。
オレの店、『止まり木』は雑居ビルのテナントを借りた、小さな店だ。これも最初は苦難の連続で、章太郎しか来ない日もあったが、今では常連さんが通ってくれるほどの店になった。
今日は梅雨も明けて、久しぶりの晴天だったせいか結構な賑わいだ。
「京之介さーん、ちょっと聞いてくださいよー」
「どうしたんですか、勝俊さん。今日はご機嫌じゃないですか」
「ふ、ふふふ……実は、ついに俺の小説が書籍化することになったんですよ!」
常連の一人、勝俊さんが真っ赤な顔でそう報告してくれた。
前々から話は聞いていたが、オレが利用していた小説投稿サイトでランキング一位をとり、ついに書籍化が決まったのだ。
「凄い、おめでとうございます。じゃあ、今日は一杯サービスさせていただきますよ!」
「まじですか⁉ ありがとうございます! いやあ、今日はいいこと尽くめだなぁ。これで少しは雨楽を少しは見返せたかなぁ」
よほど嬉しいのか、子供のような満面の笑顔を向けてくる勝俊さんに、なんとか笑顔を返す。多分、相当引きつってた筈だけど、勝俊さんは気づいていないようだ。
うーん……それにしても、なんでこの人はオレのことを、こんなにライバル視しているのだろう?
雨楽としての交流は、ほとんどなかった筈なんだけど。なんにせよ、気まずいことになることだけは確実なので、オレが雨楽であることは明かさないでおく方がいいだろう。
「そういえば、今日は弟さん来ないんですか?」
「章太郎なら、後で来ると思いますよ」
「よかった、じゃあそれまで待ってます」
勝俊さんも弟も、どちらかというと一人で静かに飲むタイプだったのだが。前に一度話をしてから、時間が合うと二人で飲むようになっていた。
章太郎は付き合い難いタイプだから、友達は少ない方なんだけど……こんなところで飲み仲間が出来てよかった。
オレが雨楽だとバレないか、それだけが問題ではあるが。
「えー? お兄さん、今聞こえちゃったんですけど。小説書いてるんですかぁ? カッコイイー」
「ちょ、あや! 初めて来たお店で絡み酒はやめて! すみません、この子酔っちゃったみたいで!」
「酔ってなーい! 奈々未もおいでよ、小説家の先生と飲めるなんて滅多にないチャンスよ?」
オレたちの会話が聞こえていたのだろう、これまた真っ赤な顔をした若い女性がグラスを片手に勝俊さんに絡みに来た。
もう一人の女性、奈々未さんが慌てて止めようとするが、あやさんは全く聞く気がないようだ。
ていうか、勝俊さんもまんざらじゃないみたいだ。そういえば、少し前に彼女と別れたと言っていたような。
「い、いや……格好いいだなんて、そんな大したものじゃないですよ」
「でも、これから本を出すんですよね? わたし、こう見えて結構読書好きなんですよ。レビューもたくさん書いてるし。お兄さんの作品、読んでみたいなぁー」
「やーめーなーさーいー! 本当にすみません! あやってば年上好きで、しかも酒癖悪くて!」
「ま、まあまあ。とりあえず落ち着いて。ヤバそうだったら、オレも止めるから」
ここは大衆酒場。酒がきっかけの出会いも醍醐味の一つだろう。
こういうところから思わぬ化学反応が起きて、創作のインスピレーションを得たりもするしね。
「うわ、今日は混んでるな」
「あ、いらっしゃい章太郎。あれ、今日はめずらしくお友達と一緒か?」
開いた扉から、嫌な顔を覗かせる章太郎。いつもだったらそのまま帰ってしまうのだが、どうやら誰かと一緒らしい。
章太郎と同い年くらいの男性。職場の同僚ではないと思ったのは、彼がとてもカジュアルな格好をしていたから。
「いや、友達っていうか……仲間?」
「仲間?」
「は、初めまして京之介さん。章太郎さんに無理を言って、突撃してしまいました! どうしても、夢乃咲製作所の次回作の音源について直接お話がしたくて、その――」
「びゃああああ!? かかか、海音様! 海音様が降臨なされたああぁ!!」
奇声を上げたのは、奈々未さんだった。いつの間にか席に戻って一人で飲んでいたのだが、海音くんの登場に驚いたのか椅子ごとひっくり返っているのが見えた。
いや、確かに今では海音くんもメジャーデビューを控えた新進気鋭の歌い手だけどね。だからこそ、なんでこんなタイミングでやってくるのかな。
「え、えっと……大丈夫、ですか?」
「あ、その子、海音さんの大ファンなんですよぉ。推しに笹団子を与えたいっていう狂ったアカウント名でコメントを送ったりしてるんですけど、知ってますぅ?」
「狂ったアカウント名って言わないで!」
「え、あなたが笹団子さんなんですか!? 信じられない……まさか、こんなところでお会いできるなんて。あなたにはずっとお礼が言いたかったんです」
まるで再会を喜ぶ、王子とシンデレラのような展開。そういえば海音くん、いつかの生放送の時にファンとアンチが言い争ってたと言っていたっけ。
まさか、自分の店でこんな物語が生まれるなんてね。事実は小説より奇なり、なんて言うけど。
これは、今後のためにネタとしてストックしておこう。
「……夢乃咲製作所?」
「あ! あー……えっと」
「京之介さん、俺に何か隠してない?」
それまで機嫌良く飲んでいた筈の勝俊さんが、ジトっとした目でこちらを見ている。酔いはすっかり覚めてしまったらしい。
……本当に、現実は物語を簡単に超えてくるから面白い。とりあえず、オレは今までの創作技術をフル稼働させて、この場を切り抜ける誤魔化しを考えることを最優先させたのだった。
蝶が羽ばたいた、その先で 風嵐むげん @m_kazarashi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます