踏み台になったアンチの話

「村主くんって、勉強もスポーツも出来るスーパーマンだよねえ」

「きみには期待しているよ、次期生徒会長くん!」

「あなたのような優秀な息子が居て、お母さんとお父さんは誇らしいわ」


 毎日のように浴びせられる賞賛には笑顔を返す。それだけでクラスの女子たちは黄色い声を上げて、大人たちは頼もしいと言ってくれる。

 とても充実した毎日。穏やかで輝かしい日々に、俺は自分の部屋に戻るなり、カバンを放り投げてベッドに寝転んだ。


「はあ……疲れる」


 人気者の殻を被るのは、疲れる。しばらく寝転んだあとで鉛のような重い体を引きずり、部屋着に着替えて、机に向かう。

 学校のやつらや塾の講師はもちろん、親ですら俺の演技を見破れていない。根っこからの優等生だと信じている。周りからの期待に応えるため、そして自分の立場を安泰なものにするために幼い頃から努力していた。

 その結果が今の実力であり、村主顕二のどす黒い中身を生み出していた。


「お、あの漫画、連載中止になってやんの。笑える、アニメ化も決まってたのに白紙撤回だって、カワイソー」


 スマホでSNSを眺めていると、そんなニュースで盛り上がっていた。連載中止になった経緯は、作者が前時代的な女性蔑視発言をしていたからだ。

 もちろん、作者はすぐに投稿を削除して謝罪文を出した。だが、SNSでの謝罪などなんの意味もない。

 削除されたはずの投稿はスクショを撮られて拡散され、昔のインタビュー記事や作品内での描写を切り取られ細かく問題視され、最終的にはあらゆる個人情報を晒されることになった。

 炎上。日に日に燃え上がる炎に薪をくべた者としては、これほど最高な結果はない!


「はは、あははは! バーカ、ざまあみろ。漫画なんて描いてラクして稼いでるから、すぐに足元すくわれるんだよ」


 何を隠そう、昔のインタビュー記事の発言に問題点を上げたのは俺だった。『結婚相手には専業主婦になってもらって、ずっと支えてもらいたい』程度のものだったが、今の時代、煽りようによっては立派な燃料になる。

 仕事、地位、信用。全て失った漫画家がどうなるかなんて知らない。ただ、一人の人気者を潰した。

 それが、何よりも快感だった。

 そして快感は、あっという間にクセになってしまった。


「次はどいつを蹴落としてやろうかなー」


 流石に炎上させることは難しいが、対象の心をへし折ることは意外と簡単だった。下手、気持ち悪い、無価値……そう言った言葉を投げつけてやればいい。

 とあるイラストレーターはもう一ヶ月以上無言になり、とあるゲーム実況者はすべての動画を消して、とあるバーチャルキャラクターは引退した。

 努力がどれだけ大変かを知っているからこそ、他人の努力を踏みにじることが楽しくて仕方がない。


「お、丁度生配信中の歌い手発見。こいつにしよう」


 適当にSNSを眺めていたら、休止明けの歌い手のアカウントを見つけた。生配信中かと思ったが、まだ準備中だったらしい。

 ま、いいやなんでも。どういう理由で休んでいたのかなんて興味はないが、こういう心機一転して頑張ろうってヤツの心は折りやすい。

 だから俺は荒らしてやった。でも、想定外のことが起こった。

 歌い手が、反撃してきたのだ。


「は? なんだよこれ……」


 俺のリクエストに答えて、完璧に歌い上げた歌い手の名前はSNSを大きく沸かせた。それだけなら、まだマシだった。腹立たしさは残るが、スマホを置いて風呂に入って忘れちまえばいいんだから。

 でも、それだけじゃなかった。


『海音さんの生放送を荒らしたクソアンチ、過去にも荒らし行為を繰り返していた愉快犯らしい』

『SNSのアカウントはこちら。通報お願いします』

「は? なんだよ……なんだよ、これ」


 次々に送られるDM。どれもこれもが罵詈雑言。わざわざ開いて見るのも面倒で、俺はSNSのアカウントをアプリごと消して、スマホの電源も落とした。

 どいつもこいつも暇人だな。その時はそれくらいの問題だとしか思えず、全部忘れて風呂に入ることにした。



 全てが変わり果てていたことに気がついたのは、月曜日になってからだった。いつも通り早めに学校に着いた俺を、山際が呼び止める。


「村主、ちょっと話があるから来てくれ」

「はい、もちろんです」


 山際は生徒との距離が近く、よく俺に声をかけてはプリントの配布だの教材運びだのを手伝わせてくる。面倒だが、これで評価が上がるなら安いものだ。

 今回もそれだと思って、山際の後をついて行く。でも、山際が連れてきたのは職員室ではなく、生徒指導室だった。

 不審に思いながらも、中に入る。すると、先客が居た。


「ああ、深浦先生。もう来てくれていたんですね」

「ええ。面倒事は早めに片付けてしまいたいので」


 深浦が相変わらずの不機嫌顔でこちらに顔を向けて、眼鏡を押し上げる。手元にはノートパソコンがあり、何か作業をしていたらしい。

 この人、無口で妙な迫力があるからなんとなく苦手なんだよな。


「村主、そこに座れ」

「は、はあ」


 山際に促され、向かい側の椅子に座る。山際は深浦の隣に座った。

 最初に口火を切ったのは、山際だ。


「村主、一昨日の夜……つまり、土曜日からお前あてに学校へ抗議の電話が何十件も入っているんだが、一体何をしたんだ?」

「はい? なんのことですか?」


 かろうじて敬語は保てたが、声色はかなり攻撃的なものになってしまった。

 マズいマズい、取り繕うために咳払いを一回してから、山際の目を見る。


「すみません、心当たりがないです。土曜日は塾が終わったのが夕方の六時だったので、すぐに家に帰ってから外出はしていません。日曜日も天気が悪かったので、ずっと家に居ました」


 これは全て本当だ。試験が近いので部活はなく、勉強に集中する毎日。学校の外でも、ずっと勉強漬けなのだ。

 問題を起こす暇などない。断言する俺に口をもごもごさせる山際を尻目に、ため息混じりに話し始めたのは深浦だ。


「そうか、知らないのか……では、これを見て欲しい。SNSのタイムラインをプリントアウトしたものだ。アカウント名やアイコンは伏せてあるが、これが抗議の原因だと思われる」

「SNS……え、これって」


 それは、俺がアカウントを削除した、あのSNSだった。あれから一度も気にかけたことはなかったが、見慣れたレイアウトと、そこに連なる投稿に思わず椅子を倒して立ち上がる。

 背筋が凍った。


『アンチの個人情報特定。本名は村主顕ニ、十七歳。●●市●●高等学校ニ年生……』

『努力している人の足を引っ張りたいだけのクズ。親もだけど、この高校どんな教育してるんだ』

『抗議の電話をしたら、何かの間違いですー、だって。生徒も生徒なら、学校も学校だな』


 俺の個人情報、学校や塾の名前、近所の写真まで載っている。拡散数は数万にも上り、これが原因であることは明らかだった。

 さらに、深浦は証拠を突きつけてきた。


「きみが迷惑行為を行った相手の数人に連絡をとり、投稿をプリントアウトさせてもらった。アカウントの乗っ取りとも考えられたが、活動期間を考えれば、その可能性は低い」

「はー、相変わらず深浦先生はインターネットに詳しいですねぇ? おれはスマホで電話をかけることすら覚束ないのに」

「山際先生、話を脱線させないでください。いいか村主くん、この拡散は少しずつ落ち着き始めているが……ここまで広がってしまっては、もう無視することは難しい。荒らし被害者の何人かは、法的手段に出るとまで言っている。もちろん、本当にきみが無関係ならば学校もそのように動くが……どうする?」


 アカウントを乗っ取られた、と訴える気力はなかった。深浦の声色は授業の時よりも穏やかで、口調も柔らかい。

 でも、眼鏡越しの目は……深裏は色弱なので、よく見るとレンズの色が特殊だ。そんな特殊なレンズ越しでも、俺の浅い誤魔化しなど全てお見通しだと言っているのが明白だった。

 その日は、それからどんな風に時間が過ぎていったのかを覚えていない。教員たちが慌ただしく動き、校長や教頭が苛立たしげに睨んできた。

 始業のチャイムが鳴っても、俺は教室に行くことが出来なくて。いつの間にか血相を抱えた母親と父親が来て、教員たちに何度も頭を下げていたことは鮮やかに脳みそへ刻まれた。

 そして、その日はそのまま帰宅。家に帰るなり父親に殴られ、母親は床に座り込んで泣いた。

 何もする気が起きず、俺は部屋に引きこもるようになった。学校には行けなくなり、退学となった。

 クラスで作っていたチャットアプリのグループを退会しようとしたら、


『村主、マジ迷惑。あいつのせいで学校の評判下がった。オレたちの受験に響くだろ、クソが』

『でも、清々したのもある。あいつ、調子に乗ってて目障りだったし』

『それな』


 見たくもない本音が、波のように押し寄せる。グループを退会して、そのままスマホを壁に投げつけた。画面が割れたのか、破片が飛び散ったがどうでもいい。

 どうして俺がこんな目に! 苛立ちと憂鬱がごちゃまぜになった感情に喚いて、目の前のもの全てを壊してやった。


 それから、どれくらいの時間が経っただろうか。


「顕ニ……深浦先生が来てくださったぞ」


 吐き捨てるような父の声が、ドア越しに聞こえた。それが山際だったのなら、無視してやったが。

 深裏は担任でも、副担任でもない。授業でしか付き合いのない関係なのに、わざわざ家にまで来たことが意外で、気がついたら部屋に入れてしまっていた。


「きみは大人しくて、行儀がいい子だな。僕は窓ガラスと電灯を粉々にしてやったぞ。兄が止めなかったら、壁もズタズタにしてやったところだ」


 第一声がこれだ。一体何の話かと思えば、深浦は自分の眼鏡を指さした。


「僕は昔、パイロットを目指していたことがある。でも、この目のせいで断念した。というより、するしかなかった。努力した結果で駄目なら、まだ納得出来ただろうけど。僕には努力する場所さえ与えられなかった」

「……なんのこと?」

「ただの昔話だ。退学すると聞いたから、一つだけ報告しようと思ってね」


 そう言って、深浦が前と同じようにプリントアウトした書類を手渡してくる。今度は何だと吐き気さえもよおしたが、今度はSNSのタイムラインではなかった。

 それは、歌手のネットニュースの記事だった。


「海音くん……きみが荒らした歌い手だ。覚えているか?」

「あー……そんな名前、だったっけ」

「彼がきみのことについて言及していた、読んでみるといい」


 正直、見たくもなかった。でも、目に入ってしまった。わざわざ黄色の蛍光ペンで強調されていた上に、それはたった一言だったから。


『ファンを傷つけたことは許せないけど、彼のおかげでメジャーデビュー出来たので、感謝しています』


 最初はイカれてるのかと思った。一体何が言いたいのかと睨むも、少しも動じた様子もなく深浦は言った。


「わからないか? 彼はきみの荒らし行為で有名になった。つまり、きみは踏み台となったわけだ」

「踏み、台」

「海音くんだけじゃない。何人かはアカウントを変えたりして、今も根気強く活動している。創作者というのは凄いぞ。どんなに辛いことがあろうと、むしろ自分の武器として利用するのだからな」


 そう言って、深浦が背を向けて部屋を出ていこうとした。反射的に呼び止めると、彼は一度だけ振り返る。


「なんだ、僕が退学を考え直すよう説得しに来たとでも思ったのか? 悪いが、僕はきみの担任ではない。きみが考えているほど教員は善人でも、盲目でもない」


 それでは。およそ教員とは思えない笑みを浮かべて、深浦は今度こそ帰って行った。俺は呆然としながら、渡された記事をもう一度見る。

 破り捨てる気力すらない。いや、これを破り捨てれば、自分がさらに小さな存在になっていくような気がして。

 結局、散らかったままの机に置いて。まずは壊れたスマホを拾い上げた。

 


 

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