負けず嫌いな小説家志望の話

 六月のとある週末。金曜日の夜だと言うのに、今朝から降り続いた雨のせいか、繁華街を行き交う人は多くない。

 中でも小路に入ったところにある『止り木』という居酒屋は、隠れ家系というコンセプトと相まって元から多くない客足がもはやゼロに近い。

 俺が来てから、もうすぐ一時間が経とうとしている。客は俺以外に、奥で静かに飲む眼鏡の若い男が一人だけ。新しい客は一人も来ていない。決して広くはないカウンターに六席しかない小さな店ではあるが、なんとも寂しい光景だ。

 いや、でも。今日は賑やかな空間で酒を飲むような気分じゃないから、むしろよかったと考えるべきか。


「勝俊さん、今日はずっとスマホを睨んでますけど、何か仕事で問題でもあったんですか?」


 俺の名前を呼ぶ声に顔を上げると、見慣れた人懐っこい笑顔があった。

 彼は京之介さん。客との距離感が近いタイプの店主で、客にも分け隔てなく気軽に話しかけてくるような人だ。

 同い年だということもあってか、俺もなんとなく友達のような感覚を抱いてしまっている。

 何より、この胸にある苛立ちを誰かにぶちまけたかった。俺はスマホをカウンター越しに京之介さんへ見せる。


「俺、前に小説書いてるって言ったじゃないですか。それで、前に応募した短編小説コンテストの結果が出たんですけどね。箸にも棒にも掛からなくて」

「それは……残念ですね」

「それはまだいいんだよ。問題は、最優秀賞を受賞したのが現役女子高生ってこと」


 俺が活動している小説投稿サイトでは、定期的に様々なコンテストを開催している。今回応募したのは、上限一万字までの短編コンテストだ。

 応募者は多かったが、俺の作品は自分でも感心するほどの出来だった。読者の目に止まれば、絶対に心を動かす自信があった。

 でも、駄目だった。

 俺が望んだ栄光を掴んだのは、俺の人生の半分しか生きていない女の子だった。


「さっき試しに読んだんだけどさ、なんか凄かった。文章は少しぎこちなかったけど、そんなの気にならなかった。なんていうか……才能? 凄く瑞々しくて、キラキラしていた」


 大人になって、薄汚れた感性しかない俺には絶対に書けない作品だった。自由で、純粋で、輝かしい才能。今回選ばれたのは、俺ではなく彼女だった。

 いや、今回だけじゃない。

 俺が選ばれたことなんて、この十年間で一度もなかった。


「昔、俺が小説を書き始めた頃にライバルだと思ってたヤツが居たんですよ。雨楽うらって言うんですけど、知ってます?」

「さ、さあ」

「今はフリーゲーム作ってるんですよ、あいつ。ゲーム好きの間ではめちゃくちゃ人気でね。グッズとかも売ってて、結構人気なんですって」


 最初は同じ場所に居たのに、どんどん置いて行かれてしまった。小説からフリーゲームに路線変更した時は絶対失敗すると思ってたのに、あっという間に距離は離れていた。

 俺だけだ。何も結果を残せないまま、ずっとうだうだしている。小説を優先していたせいで彼女にも愛想を尽かされ、仕事もずっと下っ端で。

 この十年間で、もっと他にやれたことがあったんじゃないかって考えてしまう。

 だから、


「もう、やめようかな。小説書くの……別に、小説なんてそこまで好きじゃないし。疲れるし、肩痛いし腰も痛いし。俺が書いたって、何にもならないし」


 すっかり温くなったビールを飲み干して、胸に溜まっていたものを全てぶちまける。言ったって何にもならないし、どうにもならないけど。

 ……って、この瞬間まで思っていたのだが。


「……あの」

「え?」


 知らない声に、俯きかけていた顔を上げる。いつの間にそこに居たのか、奥で飲んでいた眼鏡の男が隣にやってきていた。

 二十代後半だろうか、背が高くひょろっとした体躯。スーツ姿だがネクタイはしておらず、くたびれたサラリーマンそのものだった。


「お、珍しい。章太郎が喋った」

「章太郎?」

「僕の名前です。深浦章太郎、京之介の弟です」


 隣、いいですか。返事をする前に、章太郎さんは俺の隣に座った。結構飲んでいたようだが、その顔は全くそれを感じさせない。

 ザルなのか。


「僕も昔、叶えたい夢があったんですけど、色々あって諦めたことがあります。それを後悔なんてしてないし、むしろよかったとさえ思っています」

「そう、なんですか?」

「ええ。諦めないことは凄いし、続けられることはそれだけで才能です。でも、時には諦めることも大事だと思います。自分を守るために」

「自分を守るために……」

「ええ。だって、夢なんかのために自分が壊れちゃ意味ないでしょう」


 自分を守るために、諦める。章太郎さんの言葉が、心にじわりじわりと染み込んでいくのを感じた。


「言いたいことは、それだけです。しんどいですよね、自分が死にそうなくらいに悩んで頑張ってるのに、それを尻目にひょいひょいと階段を上がっていく人を見るの」

「……あのー、章太郎くん。なんでこっちを見るわけ?」


 話はそれで終わり。兄弟が何か話していたようだが、俺はよく覚えていない。飲みすぎたせいか、気が付いたら自分の家のベッドで朝を迎えていた。

 一瞬焦ったが、今日は土曜日だ。俺は二度寝を決め込み、怠惰な時間を貪った。十年間で初めて、小説を書かない日だった。



 それから二週間。小説を書かない日々はあっという間……というほどではないものの、とても穏やかに過ぎていった。

 今まで小説に費やしていた時間を、他のことにあてた。部屋の掃除をして、自炊をすればそれだけで生活水準が上がった気がした。外に出て散歩をし、仕事に役立ちそうな資格を調べて勉強することに決めた。

 充実し始める生活。たった少しのことで見違える景色に驚いた。

 同時に、ぽっかりと空いた穴の存在を持て余す。その穴は大して大きくも浅くもないくせに、どうやっても塞がらない。

 他の物をあてがっても塞がらないとは、我ながらドン引きだ。

 でも、それも今だけ。もっと時間が経てば、自然と塞がっていく。そう思っていたのだが。


「あ……」


 今日は金曜日だったが、またもや雨で、しかも雷まで鳴っていた。仕事を終えてから大人しく家に帰り、家事も終わらせたものの、時間はまだまだ余っていた。

 俺はなんとなくスマホを開き、SNSを眺めた。小説を諦めてから、見ないようにしていなのに、その時は意識せずに見てしまったのだ。

 あ、と思った時にはすでに遅く。しかも、タイミングも最悪で。


「『グローヴァー探偵事務所』がコミカライズ決定……」


 グローヴァー探偵事務所は、雨楽が作った最新作のフリーゲームだ。彼が立ち上げたサークル、夢乃咲製作所の最高傑作と言われており、ダウンロードサイトでも上位にランクインしている。

 俺もゲームは好きだが、パソコンのゲームはあまりやったことがない。加えて、俺は雨楽が小説を書いていた頃から彼の作品をまともに読んだことがない。

 暇だし、やってみようと思えたのは夢への渇望が無くなっていたからか。俺はパソコンを立ち上げて、ゲームをダウンロードした。

 シャーロックホームズを思わせる、破天荒な探偵と振り回される助手。舞い込んでくる依頼は奇妙で不気味な殺人事件で、凸凹コンビでありながら息の合ったかけあい。不覚にも雨楽が作り出した物語に夢中になっていた。

 気が付けばクリアまで一息もつかずに遊んでいた。時計を見ると、驚くことに四時間もの時間が経過していた。


「はあ……フリーゲームって言うわりには、よく出来てるんだな」


 今では制作ソフトや編集ソフトが充実し始めているが、それでもここまでのものを作ることが出来るとは思わなかった。無料で配っているのが不思議なくらいだった。


「……最初は同じスタート地点に居たのにな」


 俺はここから動けなかったのに、雨楽はもう姿が見えないくらいに遠くに居る。彼の周りには何人もの仲間が集まり、大勢の人に称賛されている。

 ぼんやりと、山のようにあるレビューを眺めていたら、見覚えのある名前が視界に入った。短編コンテストで受賞した、女子高生作家だ。


『グローヴァー探偵事務所のコミカライズ⁉ 凄く嬉しいです! 他の作品もそうですが、グロ探はわたしが小説を書き始めたきっかけの作品なので、本当に嬉しいです! 一番大好きです!!』


「…………」


 それがなぜか、本当になぜかはわからないがものすごく悔しくて。どうしようもなく、泣きたくなるくらいムカついて。

 気が付いたら、愛用のワープロソフトを立ち上げてキーボードが軋むほど叩いていた。


「ムカつく、ムカつくムカつくムカつく!!」


 章太郎さんは言っていた。自分を守るために、時には夢を諦めることも必要だ。それは思い知った。彼は正しい。

 でも、不思議なことに。俺は、どうしようもなく負けず嫌いだった。


「自分を蔑ろにしてでも、叶えたい夢というものもあるんだよ!」


 ストックしていたネタではなく、その時思いついたままに書き殴って。そのまま朝を迎えて、昼になって夜になって。また朝になって。

 やっと止まれたのは、日曜日の深夜。いや、早朝と呼んだ方が正しい時間だった。


「……出来た」


 何も食べずに、風呂にも入らずに書き上げた十万字の長編小説。いや、読み返す勇気もないが、多分小説としての形になっていない。

 プロットを作ったわけでもないし、キャラクターの作り込みだって半端だ。なにより、こんな暴走気味で書き続けた文章がまともなわけがない。

 それなのに、俺はそのまま小説投稿サイトで公開した。別にPVとか、レビューとかどうでもよかった。

 負けたくなかった。雨楽ではなく、自分の甘さに。

 才能がなくても、これだけやれることを自分自身に教えてやりたかった。

 あとは、そうだな。今まで書いていなかった不満が爆発した。ただ、それだけだった。


「……寝よ」


 パソコンの電源すら落とさないまま、俺はベッドにもぐりこんで寝た。二徹の後、しかも目覚まし時計をセットすることすらしなかったので、月曜日だというのに目を覚ましたのは夕方で。上司にこっぴどく怒られたのは言うまでもなく。

 元通りになった日常。うだつが上がらない日々。苦痛で、みじめで、しんどくて、嫌になる毎日だ。多分俺は、死ぬまでこうして同じ場所でもがいているのだろう。

 ……そう、思っていたのだが。


『この小説、凄いです。面白いとか、そういう次元ではなく。作者の鬼気迫るような思いがこれでもかって込められていて――』


 読み返すことすらしなかった、あの小説モドキに。夢を諦めきれなかった怒りとか焦りとか、そういう腹立たしさばかりを詰め込んだ筈の文章の塊を、見つけてしまう物好きが居た。

 そしてその物好きが書いたレビューが、俺の人生を変えたことを知るのは、すぐ先のことだった。

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