望月家

十和田 咲夜

第1話

俺の名は望月果甘もちづきかあま、というらしい。

つい先程、人間であった俺をこの一族の主である月様こと望月月光もちづきげっこう様が、望月家に招き入れてくださった。

果甘の名は「果実のように甘く、優しい吸血鬼ヴァンパイアになってほしい」という意味があるそうだ。

俺は人間だった。

それ以外、何も覚えていない。

なぜ俺は、吸血鬼に…?

「果甘」

「は、はい…?」

低く、優しく、けれどもはっきりとした声の持ち主は、間違いなく月様だ。

白銀の長い髪を風になびかせながら、俺の新しい名前を呼んだ。

「君に私の秘密を教えるね。」

「秘密…」

新入りの俺に秘密なんて話しても良いのだろうか?

「私はね、重い病気を持っているんだ。多分、一生治らない。」

「…」

唐突な告白に、俺は何も答えられない。

「だけどね、ある珍しい薬草がこの病気を治せることが分かったんだ。これだよ。」

月様は一枚の絵を取り出した。

そこには青色の光を放つ、自然界の物とは思えないような花が描かれていた。

「実際に見た人はいないんだけど、この花に含まれる成分が私の病を治すんだって。これを捜してほしいんだ。」

…俺で良いのだろうか。

「…何か思っていることがあるんだね?本当に自分に出来るか、って。」

俺は何も言っていない。

「心が読めるのですか…?」

月様は少し首を傾げただけで、何も答えてくださらなかった。

「とにかく、頑張って欲しい。いきなりこんなこと頼んで申し訳ないけど…」

「いえ、何か目的があれば、何倍も生きやすいですから。」

それが、俺が魔界ここに来た理由なら。

「ありがとう。君は本当にいい子だね。」

月様はにっこりと笑ったが、なぜか少し哀しげだった。

「あの、少しこの辺りを見てきてもいいですか?魔界のこと、もっと知りたいんで。」

「ああ、もちろん。君の部屋にも案内するね。」


俺の部屋へ向かう道中、月様は呟くようにこう言った。

「…実はね、君をここに連れてきたのは薬草を捜させる為だけじゃないんだ。」

え、なんだって?

「では何の為に…」

喋りかけた俺の口を、月様の手が塞いだ。

「そのうち、ちゃんと分かるから。…ごめん、忘れて。」

月様は一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐに元の笑顔に戻った。

忘れ…られないだろ…

「慣れないことの方が多いと思うけど、君ならきっと、大丈夫。」

月様はそっと俺の背中を撫でた。

柔らかく、暖かい、“月様の手”だ。

「今日はもう遅いから、ゆっくり眠るといい。おやすみ、果甘。」

「はい、おやすみなさい。」

「あ、一つ言い忘れてたけど、君の兄弟には気を付けてね。」

「きょ、兄弟…?」

月様はおやすみ、と手を振り、来た道を戻っていった。

俺の上にはただ、月一つ無い夜空が広がっていた。

…あれ、吸血鬼は朝に寝るんじゃなかったっけ?

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