エピローグ

連合政府、そして

 連合政府は“中州なかす”にあるカンベル山稜サンリョウの高台に構築された小さなとりでキョを構えることとなった。

 当面は帝国軍と王国軍が混在する。


 川の氾濫ハンラン期には兵を互いに相手方本土へと退避タイヒさせて治安を保つのだ。

 そうやって自国民に連合軍を受け入れやすくしていく。


 帝国樹立ジュリツ時に落とされた大橋を架け直す工事はすでに着手している。

 大橋が使えるようになるだけで、より短時間で両国を行き来できるようになるだろう。


 初春の氾濫ハンランにより初めての出向となる今季、連合軍の旧王国勢力は帝国領へと派遣されてきた。


 レブニス三世陛下は大喜びで出迎えてくれた。


 なにしろ首班シュハンの私を始め、ガリウス、カイら旧王国軍の主だった者はすべて自分と同年代である。

 話し相手には事欠かなかった。

 とくに私とは何事も分け隔てなく語り合えるほど打ち解けている。



 今も皇帝陛下とふたりで皇城のバルコニーの椅子に向かい合って座り、語らっている。


と貴公がこうしてともに茶を飲むなど、半年前には考えられなかったことだな」


「まったくです」


 春の訪れを告げる暖かな光に包まれて、ふたりは心をなごませていた。

 帝国の春を代表するルシオの黄色い花々が手すりに巻きついてほころんでいる。


「これも貴公の案による連合政府のおかげだ。感謝する」

 人前では決して頭を下げないレブニス三世陛下だが、人目がないときはよく頭を下げてくる。

 私に政略をたずねてくるときは、教師を慕う生徒のような熱心さだ。

 その姿勢が不世出フセイシュツ英傑エイケツショウされる所以ユエンであろう。


「ミゲル首班シュハンはどのようにして政略を学ばれたのか」


 レブニス三世陛下は祖父から帝王学を学んだ。

 しかし私の智謀チボウは座学よりも深く、両国の和平を実現させた手腕シュワン筆舌ヒツゼツくしがたいのだそうだ。


「私は幼い頃、物盗ものとりを生業なりわいとしていた卑賤ヒセンの身。裏街で私を拾い育ててくださったのがカートリンク軍務長官閣下カッカです。亡き閣下カッカから他者をそこねないこと、命のたいせつさを学びました」


 語りながらカートリンク閣下カッカおだやかな面と厳しい面を同時に思い浮かべる。

 私とガリウスの保護者としての顔、軍最高幹部の軍務長官としての顔。

 いずれもが想い出をさびしさでいろどる。


「ですので次第に人の命を最優先に考えるようになりました。いわば下々の民の目線で『このような政治が行なわれれば暮らしやすくなるのに』ということを第一に考えております」


 陛下は興味深く聞いていたが、ふと思い至る部分を見出みいだしたようだ。


は幼き日より祖父から帝王学を、長じてからはクレイドから軍政を学んだ。上から人々を従えるすべを身につけてきたのだ。しかし貴公は逆に人々を下から支えるすべを身につけたのか」


「国を治めるには上から人々を従えるすべが不可欠です。一方で統治者は独善ドクゼンに陥りやすく、諫言カンゲンする者をそばに置かなければ民心は離れていきます。この点において陛下は臣下の意見によく耳を傾けており、申し分のない統治者と申せましょう」

 さりげなく皇帝陛下の自尊心をくすぐる言い回しをした。


「それとは別に下々の民の意見を統治者に届ける役を設ける必要があると存じます。統治者は民衆の支持によって地位を与えられているにすぎません。それを忘れた統治者が無惨ムザンな結末を迎えていることは歴史が証明しております」


 戦史の研究は必然的に歴史の研究につながっている。

 私もレブニス三世陛下も高みにあってさえ謙虚ケンキョに勉学をおこたらなかった。


「ふむ、なかなか含蓄ガンチクのある意見に思うな」


 陛下とは同年代とあって双方が触媒ショクバイとなった。

 互いの熱心さが刺激しあい、ふたりでより深く学ぶようになっていた。



「今日は貴公に相談したいことがあるのだ。実はランドル陛下より、王孫の姫をめとらぬかと誘われておる。これがれば両国は血縁関係となり、統一も視野に入れればじゅうぶんすぎる条件だと思われるのだが……」


「あまり気乗りされないと?」


「姫が政略の道具に使われているのではないか、と感じてな」


 レブニス三世陛下は人の上に立つべき立場の際にはつねに冷徹でいられるのだが、私事となればつい他人の意見を尊重してしまうくせがある。


 英雄としては申し分のない性格なのだが、皇帝ともなれば国民のために私情をはさむことはひかえねばならない。


 懊悩オウノウする皇帝陛下を見かねて、ひとつの提案をしてみた。

「それでは、非公式に王孫の姫ソフィア殿下とお会いになってはいかがでしょうか。陛下とソフィア殿下がよき関係を結べるかいなかは、実際にお会いにならなくてはわかりません」


「直接会うのか?」


「さようでございます。そのうえで両者が同意なさればソフィア殿下をめとられればよろしいでしょう。いずれかが望まないのであれば、その理由をもって正式にお断りすれば、ランドル陛下に対しても王国に対しても角は立ちますまい」


「しかし、一目会っただけではわかるまいて」


「ですから非公式に複数回お会いになって、ランドル陛下へのご返答となさればよろしいでしょう」


 陛下は納得したような表情を浮かべたが、すぐに疑問が湧いてきたようだ。

「だが非公式とはいえ、いきなり押しかけても姫が心を開いてくれるとは思えんが……」


「それでしたら、ソフィア殿下には私の古い友人という形でご紹介いたしましょう。私とガリウス上将軍はソフィア殿下と親しくしておりますゆえ」


 これはレブニス三世陛下の心をおだやかにするための方便ホウベンだ。

 実際にソフィア様と対面させれば、彼女はまず間違いなく相手が皇帝陛下であると見抜くだろう。

 今まで口に出したこともない「古い友人」を対面させる話の流れ自体に無理があるのだ。


 陛下は安堵アンドの顔つきでこちらに向きなおった。

「貴公には私事まで世話を任せてしまっているな」


「いえ、両国の関係を保つのが私の職責ですから」

 含み笑いを込めながら屈託クッタクなく答えた。


「ソフィア殿下はすばらしいお方ですよ。料理や洗濯などもご自身でなされますし、誰に対してもお優しい。器量もよいですし、レブニス陛下であればすぐに気に入られると存じます」


「予が気に入ったとしても、先方が気に入ってくれるとは限らぬのだがな」

 いささか陛下は自嘲ジチョウぎみに述べた。


「以前お話をした際、ソフィア殿下は聡明ソウメイな方が好みだとおっしゃっておりました。お心変わりがなければ陛下なら間違いなく気に入られることと存じます」


「それではよりも貴公のほうが好かれるのではないか?」

 そんないやみを聞き流しながら、レブニス陛下とソフィア様の縁談エンダンがまとまることを強く願った。


 この縁談エンダンれば両国間で血の交わりが始まる。

 それを機に両国間での結婚も盛んになり血の交わりが進めば、レブニス陛下のおっしゃるとおり帝国と王国が真に統一される日も近づこう。


 自分の職にはいっさいこだわっていない。


 だからこそ、つね日頃ひごろから連合政府がなくなる日を願って職務に精励セイレイできるのだ。

 それは意外と間近に迫っているのかもしれない。


 明るく受け答えするさまを見た陛下は、意地の悪い質問をしてきた。

「時に、貴公は結婚せぬのか。貴公ほどの男であれば求婚も多かろうに」


 それを笑いながら一蹴イッシュウした。

「私は軍事と政治以外なんらのない男です。家族を養っていくだけの度量はございません。そもそも卑賤ヒセンから起こした身。結婚は関係者に苦難を背負わせるだけでしょう」


「それでは連合政府首班シュハンの座はどうなる。世継よつぎがいなければ連合政府も安泰アンタイではなかろう」


「連合政府の首班シュハン世襲セシュウではなく、両国民の総意に基づいて推薦されるべきものです。そうでなければどちらかの国にかたよった政治を行なうばかりか、連合政府自体が両国を圧制する恐れがあります。どちらも望ましい政態とは申せません」


 レブニス陛下も自分では家族を養っていくだけの度量はないと感じておられる。

 だが皇帝という立場上、世継よつぎは不可欠だ。

 いつかは否応いやオウなく妻をめとらなければならない。


 逆に私は災いの種が生まれないために子孫を残せないのだ。

 結婚というごく一般的なことが自らの意思とは関係なく決められてしまう。

 向きこそ異なるが、皇帝陛下と連合政府首班シュハンは同じ立場にあるといってよい。


 だが私が連合政府の首班シュハンの座を降りたときには自由に結婚して子孫を残すことも許されるかもしれない。

 今も両国を頻繁ヒンパンに往来するかなりの激務だ。

 大橋が完成するまで、この苦労は続くだろう。


「ところでミゲル首班シュハンは副官を必要としていないだろうか」

 皇帝はたたずまいを正して告げる。


「副官ですか。たしかに信頼のおける副官は幾人でも欲しいものです。ナラージャが護衛でついておりますが、副官としてはガリウス上将軍くらいです。彼も王国内の調整で手いっぱいのようです。帝国内での調整役がいれば、私も幾分イクブンらくができましょう」


 現状は連合政府首班シュハンでありながら、帝国に張りつく期間が長い。

 連合政府の制度構築コウチク尽力ジンリョクせねばならぬのにその余裕がないのだ。

 両国を同格まで引き上げるための政略に時間を割けない。


「そこで今日は貴公に、副官を一名推薦したいのだがな」

「帝国の組織を私なりに把握はしております。しかし全幅の信頼を寄せるに足る人材には巡り会えておりません。陛下のご推薦スイセンであれば面接する価値も高かろうと存じますが」


「能力については申し分なかろう。ただ副官とするにはいくつか困難な条件を飲んでもらわなければならないが」


 一抹イチマツの不安を覚える言い回しだが、陛下の意志は固いようだ。

「一つは首班シュハンかたきであることだ」

かたきと呼べるほどの方はいらっしゃらないと存じますが」


「実は貴公の養い手であったカートリンク元長官をち取った人物なのだ」

 その言葉に内心で激しく動揺した。


 カートリンク閣下カッカかたきといえば女性大隊長であった人物で、これまでに挙げた軍功はクレイドに次ぐ。


「さらにいえば皇女、つまり私の妹なのだ」

 やはり彼女か。


「カートリンク閣下カッカったのが皇女殿下だとは、存じておりました。カートリンク閣下カッカを倒したと女性の声が響きましたので」


 皇女を副官にえれば帝国内でにらみを利かせるにはじゅうぶんすぎるだろう。


 問題は彼女を養父のかたきや皇女としてでなく、副官として用いることができるかどうかだ。

 あの大敗において胸に期した復讐フクシュウシンを忘れ去らねばならない。


 それほど柔軟な思考を持ち合わせていなかったのだ。

 かたきと知ってなお公平にグウせるか自信がない。


「今すぐにとは言わないが、候補のひとりに挙げておこうと思ってな。男まさりな性格だが、と同様クレイド総大将から戦術を習い政略にもそれなりに通じておる。首班シュハン復讐フクシュウシンさえおさえられればこれ以上の適任者は帝国に存在しない」

 陛下はまたしても逃げ道をふさいできた。


 残された一本の選択肢を突きつけてくるのだ。

 こうなっては皇女を副官に就任させる以外判断の取りようがない。


 皇女を副官にえるという提案には裏もあるのだろう。

 首班シュハンの副官なら戦場に身を投じる心配がなくなる。

 そうなれば恋愛や結婚といった一般の女性としての生涯ショウガイを送れるとの目算があったはずだ。


「別の提案もある。周辺の異民族を連合政府に参画サンカクさせたいのだが」


「それは私も考えておりました。異民族だからといって人間でないわけではありません。ただ現時点では帝国と王国の政策一致だけでも手いっぱいです。双方が打ち解けて融和ユウワがなされたら、積極的に異民族も取り込んでいくべきでしょう」


 レブニス三世陛下の考えは理にかなっている。

 だがそれは時期が早いと感じていた。


 西方諸国と対等にわたりあうためにも、異民族を含めた大きな連合政府の樹立ジュリツは不可欠だろう。

 周辺異民族がすべて連合政府入りを果たせば、レイティス・ボッサム両国は軍事費を削減し最低限の軍隊を有するだけで済む。外敵が攻め寄せてくれば異民族に援軍エングンとして連合軍を送り込むことでいくさを優位に運ばせられるはずだ。



 私と陛下は、遠大エンダイな未来図を思い描いていた。


 その実現に向けて課題は山積サンセキしている。

 早期の実現のためにも皇女を副官として連合政府に参画サンカクさせるのは必然となろう。

 政治的な目的のためには一個人の感情など押し通す必要はない。


 そもそも彼女は講和成立後に退役してもいた。

 能力がいかほどのものか不明ではある。

 とりあえず副官に登用して能力を見極めるほかなかろう。


 恒久コウキュウの平和を求めている私たちは別々の思惑おもワクめつつ、大枠おおわくで差はない。

 だからこそ親友のように接しながら、互いを師とあおいでいるのだ。




 以後連合政府は封建制が基本となり、ボッサム帝国の直轄領は数を減らしていった。


 連合政府が大陸東南部の覇者となる。

 周辺国に異民族を封じていけば朝貢チョウコウ外交により連合政府は大きな財政基盤を得ることとなるだろう。


 連合政府の発足以後、プレシア大陸東南部の平和は長きにわたって保たれることとなる。


 それを成しえたひとりの男の名は、いつしか神話としてのちのちの世まで語り継がれていった。




  了

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