第八章 平和を導くもの

第45話 和平・茨の帝国領

 レイティス王国の軍務長官として初めて帝国領に踏み込んだ。


 一万強もの遺体イタイせた五百もの兵車の大群。

 ゆっくりと街道を進んでいく様子を、帝国民は近くの建物に隠れ、何名かがこちらをうかがっている。


「いつ飛び出してりつけてくるか。神経がたかぶってきますな」


「やりたいようにやらせればよい。われわれの任務はあくまでも遺骸イガイを引き渡すことにある。それに——」

「まぁ、急使キュウシが戻ってこないということは、受け入れられたと思いたいですな。すでにり殺されていて俺たちを待ち構えているやもしれませんが」


 入国自体を阻止ソシされる可能性もあったが、それは杞憂キユウに終わった。

 だが、帝都に兵をせられ、深く誘い込まれて殺害されるおそれは残る。


 受け入れられたのなら、急使キュウシが戻ってきて伝えてもよさそうなものだ。

 しかし帰ってこなかったのだから、逆上させた可能性もある。

 その場合は皇帝陛下と顔を合わせる前、もしくは会談中に実力行使に出られるかもしれない。


 だが連れているのが王国軍で最も精強なナラージャ筆頭中隊である。

 数が多いだけなら全員返り討ちにできるだろう。



 帝都へ続くと思われる街道を進んでいると、前方に老人と武装した若者が立ちふさがっていた。

 彼らの手前で兵車隊を止める。


「あんたら、王国軍だな。なぜこんなところにいる!」

 武器を携えた若者が威勢を張った。


 ナラージャが矛槍ほこやりを構えようとするのを制する。


「昨日のいくさで命を落とした帝国兵のご遺体イタイをお引き渡しいたしたくて参りました」

遺体イタイとな? 中をあらためさせてもらってかまわないかな、お若いの」

是非ゼヒに」

 背の通った老人が若者と一緒に近づいてきて、兵車の中をのぞき込んだ。


「確かに遺体イタイじゃな。この中に兵をせている、なんてないじゃろうな」

「ございません。お気のむまでご確認くださいませ」

 老人の目を見つめながら真摯シンシに回答した。


 若者は血気にはやって俺の胸ぐらをつかもうと手を伸ばすと、

「ハシ、無礼はやめんか。この方の目は真実を語っておるからの」

「しかし、こいつらが兄さんを殺したんだぞ!」

 ハシと呼ばれた武装した若者が答えた。


「そもそも、こちらのお方はレイティス王国の軍務長官閣下カッカじゃぞ。マントを見ればわかるだろう」


「なぜ軍務長官がこんなところにいるんだ!」

「だから戦死者の遺体イタイを返しに来たに決まっとろうが」

 老人は冷静だった。


 親類シンルイ縁者エンジャが王国軍に殺されたハシとやらが激昂ゲッコウするのもわかるが、あまりにも冷静な老人を見ていると不思議な気持ちがいてくる。


「たしか今の軍務長官の名はミゲル……とか言ったか。赤い髪と橙色の瞳を持つ青年だと聞いている」


「はい、確かに私はレイティス王国で軍務長官を務めておりますミゲル、と申します」


 ウンウンとうなずきながら老人は俺たちに近づいてきた。

「あなた様は、これから帝都へおもむいて皇帝陛下とお会いになるのではございませんか?」


「その予定ではおりますが、先に発した使者が戻ってこないのです。皇帝陛下にお会いしたいのはやまやまなのですが、返事もなく帝都に踏み入るのはいささか無礼ブレイかと」


「それならまず、兵たちの遺体イタイをここで下ろしてはもらえんだろうか。この町にも此度こたびいくさで知人をくした者が多い。今回三倍の兵力で挑んだものの、見事に返りちにったからの」


「申し訳ございません……」


「なに、あなた様が気に病む必要はございません。帝国軍の一員として王国軍と戦い、たまたま帝国軍の被害が甚大ジンダイだっただけのこと。勝負は時の運じゃ。今回はたまたま負けはしたが、次はそううまくいかぬかもしれんぞ」


「そうですね。私に次があれば、の話ですが」


「それは保証してやってもよい。あなた様方がここで遺体イタイせた兵車を降りて、私たちに引き渡してくれさえすれば、この老人が道案内してやってもよい」


 申し出に多少逡巡シュンジュンした。

「恐れ入ります」


 横目でナラージャの顔を見た。

 警戒心をあらわにしている。

 帝国領にいて兵車を降ろされては、逃げる手段を失うに等しい。

 この老人に従うべきか拒絶するべきか。


 迷った末に決断した。

かしこまりました。それでは兵車はここでお渡し致します。ナラージャ、部下たちに命令してくれ。ここで兵車を渡すと」

閣下カッカ!」


「これでいいのだ、ナラージャ。なんならお前は帝都へついてこなくてもよいのだが」

「いくらなんでも閣下カッカおひとりで帝都へ向かわせるなどできません!」


 兵車の中をあらためていた若者が、急に飛び出してきた。

「あ、あんた……“無敵”のナラージャ、なのか?」

「いかにも。王国軍にその人ありとうたわれるナラージャだ」


「お、俺を殺したら……あんたら生、きて帰れないぞ……」

「なに、帝国民へ危害を加えにきたわけじゃないんだ。ただミゲル軍務長官閣下カッカが皇帝陛下とお会いになるまで護衛を、と思いましてな」

「ほっほっほっ。このご時世ジセイに帝都まで侵入して皇帝陛下をガイそうとでもいうのかな?」


「違います、ご老人」

「わかっておる。だがあまり随員ズイインが多いと皇帝陛下を警戒させるだけじゃ。陛下とお会いになるのはミゲル軍務長官閣下カッカとナラージャ殿の二名でじゅうぶんじゃろう」


「おっしゃるとおりです。ナラージャ、部下たちに早く先ほどの命令を伝えるのだ。そしてナラージャ以外の者はここで兵車を止めて、遺体イタイの引き渡しを進めさせるように」

「また死地シチ深くへ侵入してしまいますが、本当によろしいんですね?」

「皇帝陛下はたいへん聡明ソウメイなお方だと聞き及んでおります。たったふたりで帝都に乗り込んだ者を殺害するような真似はしないはず。それにもし私たちが殺されたら、ボッサム帝国はレイティス王国にいくさの口実を作ってしまうだけ。現状、帝国軍と王国軍の兵力は拮抗している。今戦って勝てるかどうかは、クレイド軍務大臣を通じてご存じのはず」


「ミゲル軍務長官閣下カッカはお若いですな。じゃがその心意気は見上げたものじゃ。ハシにもこのくらいの気概キガイが欲しいものです。では、帝都までは私がご案内いたしましょう」

「ご老人、助かります。なにぶん私たちには土地勘がございません。どこをどうたどれば帝都へたどり着くのか。そこまで考えておりませんでした」


「うむうむ、素直でよろしい。では交換条件成立じゃな。私はタンパという。短い道中じゃが、まぁ任せなさい」


 タンパと名乗った老人を見ていて、なにかが引っかかった。

 記憶のどこかで聞いた名前だったからだ。

 しかしどこで知ったのかがよく思い出せない。


 だが、俺とナラージャは兵車をいてきた愛馬をほどいてそれぞれに騎乗した。タンパ老人は私のくらに同乗させる。

 そしてナラージャは馬を走らせて部下を集めてまわり、全員この町へ滞在するよう指示を出した。



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