第35話 雌伏・ある晴れた秋の月夜

 晴れわたった夜空に月が浮かんでいる。

 冬が近いためだろうか、月も星々の光もくっきりと冴えている。


 士官学校の生徒が暮らす官舎のバルコニーの床に腰を据えつけて、夜空を見上げていた。

 結局軍務長官専用の屋敷は使っていない。

 どうせ短い期間しか住まないのだから、変に愛着を持ってしまうのもよくないだろう。

 そんなこだわりを持っていた。


 もちろんカートリンク軍務長官閣下カッカが暮らしていた名残なごりを目にするのがつらい、という一面もある。

 郷愁キョウシュウさそわれて子どもだった頃に思いをせるいとまはない。

 今は三倍の帝国軍といかに戦うか。前を向き続けるしかないのである。


 昼間の演習でカイに言われたことを思い出していた。


 終戦するには、王国・帝国にかかわらず将兵官民、誰もが納得のいく戦いをするしかない。そうでなければ平和は長続きしない。


 流血を止めるために求められる流血。最小限の犠牲ギセイ

 それはいたかたないものなのだろうか。

 一滴イッテキたりとも血を流さないで済む手立てはないものか。

 王国を打倒しようとする帝国の意志を打ちくだく方法がほかにもあるはずだ。


 だが今はなにも思いつかない。


 三倍近い兵力を有する帝国が、高まる戦意をしずめて交渉に出てくるとは考えづらいのだから。


 そんなことを考えているとバルコニーの扉が開いた。


「またここにいたね、ミゲル」

 ガリウスが足を踏み入れた。


「悩み事があると、いつも空を見に来るよね」


 にこやかに話しかけてくるガリウスの態度で心を救われた気がする。


 帝国軍と戦った日から寝つけない日々が続いている。

 そんな私を気遣きづかって、ガリウスは自らが疲れていても毎晩顔を見せにきた。

 控えめな性格のせいか、世間の評価は私より低いが、私などよりよほど器の大きな人物だと感じている。


 戦いながらも投降トウコウを呼びかけ、応じた兵をおのれの部隊へれる。

 先ほどまで敵として戦っていた者同士を同等に遇し、統制を確立する手腕シュワン尋常ジンジョウではない。

 英雄の素質としては私より格段に上だと後世の歴史家はヒョウするだろう。


 軍務長官になってもいまだ覚悟の定まらない私より、寛容カンヨウさを第一とするガリウスの求心力が高まっているのも確かだ。

 だがそれは私という攻勢に定評テイヒョウのある将軍が並び立つからこそ可能な用兵でもあった。

 もしガリウスが軍務長官となっていれば、全軍の指揮と投降トウコウさせてのれを並行しては行なえないはずだ。


 戦場では役割分担のしっかりしている軍が強い。


 クレイドが各兵種で部隊を機動的に運用してカートリンク軍務長官閣下カッカを倒した。

 私たちもそれにならい、カンベル山稜サンリョウでヒューイット大将とマシャード大将の連合軍を打ち破った。


 それとともに攻勢コウセイつとめる者と守勢シュセイを受け持つ者でも部隊はしっかりと分かれているほうが望ましい。

 幸い前戦での王国軍は攻勢コウセイの私と守勢シュセイのガリウスしか将軍がいなかったのだから、役割分担も明確だった。

 兵の数こそそれほど増えなかったものの、将軍も新たに二名加わって、さらに明確な役割分担も可能となった。


 それも“軍師”カイがたくみにあやつって用兵する演習を繰り返しているのだ。

 今度は三倍の兵を率いるクレイドと戦わなくてはならない。

 率いるのはすべて軽装だけの歩兵である。


 もちろん部隊長は馬に乗ってはいるが、配下は軽装歩兵なのだ。

 この編成の強みと弱みも、演習を繰り返してある程度飲み込めている。


 本来なら全員騎馬兵とするべきなのだが、全員が騎乗する技能を有しているとはかぎらない。

 将軍ごとに歩兵と騎馬兵を組み合わせる方法もあるが、全軍の移動速度が等しくないので、カイ軍師としてはあつかいづらいのだそうだ。


 それに陣形ジンケイや位置どりの細かな切り替えに対応するなら、騎馬兵より歩兵のほうが断然都合がよい。


 ただ“無敵”のナラージャ筆頭中隊は全員乗馬しての出陣シュツジンとなる。これには深い意味合いがあるはずなのだが、カイ軍師は明言しなかった。


 カイが全軍をたくみにあやつれるようになるまで、演習は繰り返されるのだ。

 しかも要求される練度レンドがきわめて高い。

 比喩ではなく“一糸イッシ乱れぬ”行動が求められる。演習にもかかわらず負傷者が続出するほど、過酷カコク練兵レンペイを行なっている。


 私も軍務長官として、カイの戦術を理解しなければならない。

 あまり想定はしたくないのだが、大軍同士がぶつかりあう場合、いつ誰が死ぬかわからない。

 仮にカイ軍師が死んでしまったら、そこで王国軍は敗北する可能性すらある。

 だからカイから今回の用兵を学び、カイの戦死後にその役目を引き継げるようにしているのだ。


 過酷カコクな毎日を過ごした兵たちは毎日気絶するように眠っているだろう。

 馬に乗っている指揮官も、細かな指示にしたがえるようかなり気を配らなければならない。

 それこそ神経がすり減るほどの集中力を求められていた。



 そこまで考えていたら、不意に寒けを感じた。

 神経がたかぶっていたので、薄着のままここに来ている。

 このごろ、日が落ちるといっそうの肌寒さを感じてしまう。もうすぐ冬もやってくるだろう。


「今日は冷えるな」

 私服のえりをすぼめるとわざと息を吐いてみた。


 白い吐息が立ちのぼる。


「人の死の重さに、私はいつまでえればいいのだろうか」

 膝を抱えてみたが、こんなときガリウスはいつも無言だった。


 何も言わずただそばにいてくれる。

 それだけで心が楽になり、本音を話せるようになる。


「未来の人たちは私たちのことをどうヒョウするだろうか。帝国を打倒すればさしずめ救国の英雄。だが、王国がほろべば亡国の愚将グショウといったところか」


 蒼白あおじろい顔の片頬かたほほに引きつったみを浮かべる。


「私は英雄になんてなりたくない。英雄なんて突きつめればどれだけ大量虐殺ギャクサツしたヤツかだ」

 夜空に浮かぶ月を見続けていた視線は、いつしかガリウスに向かっていた。


くなった人のたましいが重いんだよ。胸にまって苦しい」


「殺人の罪は、私が背負いましょうか」

 物陰ものかげからおもむろにカイが現れて目の前を通り抜ける。


 意表を突かれた私たちは月明かりに浮かぶカイの背中を眺めている。


「私だって人の死に際ほど嫌なものはありませんよ。この世で同属ドウゾクごろしをやっているのは人間くらいです。野獣ですら仲間を襲いません。そんなくだらないことを職業にしているのだから、私は軍人というやつが大嫌いになったんだ。こんなことなら競馬師のほうがはるかにましだ」

 カイの愚痴グチが聞こえてくる。


 バルコニーの手りまで歩いたカイが振り返る。

「だが、俺はあなたを一目見たときから他の軍人にはないものを感じた。高級軍人で俺と共感できるやつがいるとは正直思わなかったがな。助けてくれと言ったあなたの瞳を見たとき、この人なら俺の理想をかなえてくれる人だと感じた。だから、俺はあなたの期待にできるかぎり応えるつもりだ。人のたましいが重いのなら俺が背負ってやってもいい。今度の戦場での指揮シキケンは私にゆだねられていますからね」


 カイはそばまで近寄ってきて、私たちの肩に手を置いた。


「ミゲル長官閣下カッカ。あなたには私やガリウス将軍がついています。一人で重荷おもに背負せおう必要なんてありません。みんなで分け合っていこうじゃないですか」


 言い終えるとカイは右手で漆黒シッコクの頭をいた。ちょっと照れくさかったのだろう。


 ガリウスと目線が合った。おだやかな表情を浮かべている。

「私やカイ軍師だけではありません。ラフェル将軍もユーレム将軍もあなたのために働いています。決してひとりではないのですよ」


 うつむいて声を震わせながら、ただありがとうを繰り返した。


 ガリウスとカイはさりげなく視線を外した。


「ところで、軍師殿の理想とはなんですか」

 ガリウスは先ほどカイが言った言葉を思い出した。


「一日も早く戦争を終わらせたいだけさ。大好きな競馬を心置きなく楽しむためにな」

 そういってカイは右目をつむった。

「はははっ。軍師らしいですね」

 屈託なく笑うガリウスを見ていると心が晴れていくのを感じた。


 今をなやんでも始まらない。

 明日の殺戮サツリクに尻込みしてはならない。

 理想の未来をつかむために戦わなければならないときもある。

 そのための非難は甘んじて受けよう。


 そう心に決めた。


「それにしても今日の演習もかなりコクでしたね」

 いつも風来坊フウライボウのように振る舞っているカイだが、今回の演習はあきれるほど真剣な態度でのぞんでいた。

 それほどクレイドの存在と三倍の兵力差が脅威キョウイなのだろうか。


「クレイド大将は相手にとって不足ありませんよ。次のいくさに勝てば戦力は互角以上になるでしょう。そうなればきっと戦火も遠のくはず。あとは政治的にどうするかですが……」


 そう聞いて私はすっくと立ち上がると、鋭い視線をガリウスとカイに投げかける。

 それに気づいたふたりは態度を改めて私と向きなおった。


「政治的なことは軍務長官である私が直接国王陛下に具申グシンするほかなかろう」

 ふたりが深くうなずくのを見て柔和ニュウワな顔をとった。

「明日以降も演習は続くんだ。今日はもう休むとしよう」


 いくぶん晴れやかな様子を感じたふたりは、並んでバルコニーを出ていった。

 私もそのあとに続く。



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