第26話 疾風・夜明け前、朝霧の中

 カンベル山稜サンリョウはまだ薄暗く、朝霧あさぎりに包まれていた。

 “軍師”カイは戦場へ先着した直後に斥候セッコウを放っている。そして昨夜のうちに帝国軍が四分割して四十里先に布陣したことを報告してきた。

 カイが想定していたとおりの展開だ。これで勝利に確信を持った。


 王国軍はこの朝霧あさぎりを利用して素早くかつ気づかれずに合流しなければならない。


 東からふたつ目の部隊を率いながらとなりに控える“軍師”カイに目を向ける。


「うまい具合にきりが出てくれたな」


「土地カンのある者から、秋口あきぐちになるとこの“中洲なかす”には朝霧あさぎりが立ち込めるとの情報はつかんでいました」


 なるほどな。

 あまり知識のない土地の気象は、ここで日頃ひごろから働いている者に聞くのが一番である。


 軍務長官であれ“軍師”であれ、世のすべてを知っている必要などないのだ。

 詳しい者を味方につけて、その者を有効に活用していく。


 政治でもそうだろう。

 ランドル国王陛下が高齢のムジャカ宰相サイショウ殿下に国事を任せているのも、俺が軍略に明るい“軍師”へ全面的な信頼を置くようなものだ。


 組織のトップに立つ人間は、まるところ部下の才能が発揮ハッキできるよう人事を行なう役割を持っている。


 軍においても賞罰権ショウバツケンがあるから、部下は軍務長官の命令を遵守ジュンシュするのだ。

 命令違反はバッし、功績コウセキをあげれば賞を与える。

 軍律が正しく行なわれていれば、兵たちは自身がなにを行なうべきなのか。上司の指示を受けた段階で自ずと気づくものなのだ。


「ここまではすべて予測どおり。あとはガリウス将軍らの部隊が帝国軍に気づかれず速やかに合流してくれるのを待つばかりです」


 そのための伝令もすでにカイが発してある。


 このカイという男は戦場での細かな作業にも精通セイツウしている。

 ここまで軍務に明るいとは、やはり只者ただものではない。


 このように優秀な人物がまだもれているのだろうか。


 軍務長官として、適性の高い軍幹部を得るのは最も優先される職務である。

 つまらない人物が部隊長を務めれば王国軍は致命的な失策をおかしかねない。

 危機を未然に防ぐためにも、軍は優秀な人物を多数抱える必要があるのだ。


 そもそもタルカス将軍が台頭してきたときから、レイティス王国の悲劇は始まった。


 アマム将軍が彼を担いで「反カートリンク派」の象徴とし、他の将軍に賄賂を送って仲間に取り込んだ。

 その結果が将軍の質低下を招き、ついに王国は自滅の道へと突き進んでしまった。

 もしカートリンク軍務長官閣下カッカがその座を奪われなければ、これほどまでの質低下は阻止できたろうか。


 あまりにも優秀な軍務長官のもとで、それを超えるような人材が生まれるのは難しい。

 現実問題として「反カートリンク派」に連なる将軍も、元を正せばカートリンク軍務長官の時代に実績ジッセキを積んできているのだ。


 そう考えれば、有能な上司は有能な部下を生み出せず、無能な上司は無能な部下しか生み出さない、ということになってしまう。

 どちらにしても昇格した将軍は一流の上司にはほど遠いのだ。


 カートリンク軍務長官閣下カッカはランドル国王陛下とともに中興チュウコウとして名を挙げた。

 軍歴の最初から優秀だったのだ。

 その人物にきたえられたタリエリ将軍は間違いなく有能であり、カートリンク軍務長官閣下カッカの右腕として勇名ユウメイせていた。


 同じくカートリンク軍務長官閣下カッカきたえられたおれとガリウスは、長官閣下カッカほどの才はなくても、タリエリ将軍ほどの軍才を有しているのだろうか。

 せめて全軍を指揮する軍務長官となったおれは、アマム将軍ほどの無能ではないと祈るほかなかった。


 それに比べて“軍師”カイは非凡ヒボンな才能の持ち主である。


 このいくさに鬼才クレイド大将は出撃してこないと断言し、帝国軍がこの地で四分割して宿営するよう仕向けてみせた。

 先を読む眼力はおれよりはるかに上だ。


「不思議に思うのだが、カイ軍師はなぜここまで軍略や軍務にけているのだ?」

 カイはほほをかきながら前方を見据みすえている。


「実は、私も以前は士官学校におりまして。小隊長として前線で兵を率いたこともあります。ですがそのときの中隊長と折り合いが悪く、ぎぬを着せられて解任されました。ま、それが嫌で軍を辞めて競馬師になったんですけどね」


「そのときの中隊長は今どうしているのか」

今秋コンシュウ最初のいくさで亡くなったそうです」


 そうか、と言いながらそのいくさを回想してみた。


 王国軍優勢のまま推移していたとき、クレイドが騎馬中隊長として王国軍の右翼ウヨク側背ソクハイに現れて前面の重装歩兵大隊と挟撃キョウゲキしてきたのだ。

 それによる混乱で多くの将軍が戦死した。戦没者の中にその中隊長もいたのだろう。



「正面の敵はヒューイット大将の本隊だったな」

 未明に届けられた斥候セッコウからの情報を地図上で確認した。

「今こちらが先手をとって攻めれば、兵数でおとっている帝国軍は援軍エングンが到着するまで防御にまわらざるをえなくなるでしょう。しかしヒューイット大将もマシャード大将も力押しを好む性質なため防御戦はさほど得意ではないと想定できます。ですから大将のいる本隊を真っ先に倒しておくのが上策ジョウサクです」


「作戦を聞いたときから不思議だったのだが。まるでこの位置にどちらかの大将が来るのをわかっていたような口ぶりだな」


「こちらが四隊に分かれれば、向こうも四隊に分かれざるをえません。ふたりの大将が出撃してくる以上、中央二隊を両大将が直接率いるだろうことは想像がつきますからね」


 この論に合点ガテンがいかず「なぜだ?」とうた。


「戦局を見わたして各部隊に指示を出すには、中央にいたほうが効率的だからですよ。わが軍もそうでしょう」


 カイの発言になるほどなと得心トクシンした。


 戦場のすみはしにいたのでは、全体を把握ハアクするのが困難だ。

 また司令官が中央にいれば伝令が末端まで伝わる速度を等しくできる。

 機動的な行動を可能にするのなら、断然ダンゼン司令部を軍の中央に置いたほうがよい。


 前回の敗戦ではカートリンク軍務長官閣下カッカが後方に布陣していたため、前衛との連絡や救援キュウエンに手間取ってしまった感がある。

 もちろんほぼ全滅した前衛四将軍が長官閣下カッカの指示から離れてしまったのも一因だろう。

 だが長官閣下カッカが後方にいたからこそ、負傷兵・生存兵は生きながらえたとも言える。

 軍の中央にいたのであれば、帝国軍の騎馬中隊に左右から挟撃キョウゲキされてそのままち死にとなった可能性が高い。

 結局、カートリンク軍務長官閣下カッカは指揮を徹底するために軍中央に構えているべきだったのか、後方で防御陣を張って兵を可能なかぎりすくい出すべきだったのか。

 おれの中で答えは出ていない。

 このいくさが終わったら、カイにたずねてみよう。

 彼なら正しい戦術を導き出せるはずだ。


 そう考えていたとき、東西の丘を越えてガリウスたちの部隊が相次いで到着した。

 朝霧あさぎりに乗じ、敵にどられずたどり着けたようだ。


 ここからは、ゆったりとしているひまはない。


 つどった全軍に向かって告げた。


「今回のいくさは帝国軍の部隊と都合四度戦うことになる。そのすべてに勝利しなければ王国の滅亡メツボウけようがない。おのれの身をしんでいては、みなの愛する者を失ってしまうのだ。王国の未来はわれわれの奮闘にかかっている。総員気を引き締めて目下モッカの敵に当たってほしい」


 演説により覚悟が定まり士気の高まった王国軍は、ただちに前進を開始した。



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