第31話エピソード・・30



 俺は製薬会社の二つ隣の駅の改札近くで赤帽を待った。赤帽から受け取った山ほどのダンボールを、頼んでおいた佐川急便のトラックに積み込み、一枚の手紙を運転手に託し俺は彼女との待ち合わせ場所に向かった。




  彼女に会って、振り込んである銀行から少しずつ引き出し、全額引き出し終わるまでに一時間以上の時間が掛かってしまったが。

 

 何度か移動し何件もの銀行を使ったおかげで、特に怪しまれることもなく引き出すことが出来た。



 それを用意しておいた段ボール箱に入れ、佐川急便のあんちゃんに聞いておいた、近所のオフィスビルの宅配ボックスの中に入れた。

 

 四億もの金を引き出すことに、何の違和感も無く彼女が行動してくれたことに、本当に彼女が死を覚悟していることを悟った。




 このジョークは彼女無しではありえない作品だった。


 もし俺が金を引き出して、自殺を図ったとしたならば、きっと仲間や、理恵が疑われていたであろう。



 赤の他人の彼女がビデオに写っていても、彼女は明日にはこの世にいない。



 その横に消息不明の男が死んでいれば、二人の犯行として事件は幕を閉じるだろう。


 オフィスビルの宅配ボックスは、中がいっぱいで入れなくなることが続くと、入れた宅配業者が確認し持ち帰る。そこに貼っておいた送り状が、全然違う場所だと確認したら、自社のミスを晒さない為にも、正規の住所に送り直すはずだ。



 送り先は理恵の病院で知り合った、余命わずかの身寄りのいない爺ちゃん宛。理恵の病院を退院して入院したホスピス宛にしてある。身寄りのいない爺ちゃんだったから、理恵が主治医として身元引受人になっているので、届いた荷物はやがて理恵に届くだろう。送り主は申し訳ないが妙子にさせてもらった。




 もし万が一、現金がマークされていたとしても、あのヴィトンのバックや、オメガの時計を売れば一億にはなるだろう。



 佐川急便が俺と兄貴が暮らしていた、団地の隣の駐車場に荷物を降ろし、ブルーシートで覆う。その中から支持をしておいた二つの段ボール箱を先輩の事務所に届ける。送り主は俺で中は、社長に買わせた中でも一番安い物を選んだ、俺からのお礼と書いて。




 一時間後にクロ猫ヤマトがブルーシートの中の荷物を、兄貴が借りているコンテナ倉庫の資材入れの隣の、下小屋用のコンテナに入れ、荷物の一番上に置かせておいた、ダイヤルの南京錠の番号が書いたクロ猫ヤマトあての手紙と、一緒に入れて置いた鍵式の南京錠で扉を閉める。



 兄貴がもう家に帰った九時過ぎに、手配しておいた人工出しの会社の作業員が、コンテナの下に隠しておいたチェーンカッターで南京錠を切り、倉庫の中に入れて置いた新しい段ボール箱に中身を入れ替えさせ、コンテナの並びの一番奥、監視カメラの視覚にある俺が健の名前で借りて置いたコンテナに移させ、鍵の南京錠を閉める。



その後、カッターと一緒に置くように指示した兄貴の下小屋のカギを閉め、健名義のコンテナに置いておいた理恵充ての封筒をポストに入れさせた。




 これで理恵と理恵の父さんは金に困ることなく暮らしていけるに違いない。あんな非情理な事をした俺のせめてもの償いだった。


 癌が分かっていなければ俺は、こんなに人のことを考えることは出来なかったであろう。



 理恵の癌の告白、父親のこと、本心も聞く事が出来なかったはずだ。




 ただ、ただ、あの時、理恵が嫌がる俺を無理に病院に連れて行かなければ、今ごろ俺は理恵の胸の中で眠っていたのかもしれない。



 たとえ、病に苦しんで死んでいたとしても、愛する人の側で人生の新たなスタートラインに立っていたのかもしれない。





 俺は今、車の中にいる。ガムテープで隙間と言う隙間をふさぎ、用意した練炭を七輪に入れ、自分が死ぬのを待っている。




 妙子は運転席に横たわり、遺書を胸に抱きながら、薬が効いてきたのかぐっすりと眠っている。




 俺は渡された睡眠薬を飲まずに、携帯電話を見つめていた。


 携帯は妙子との約束でここに来る前に立ち寄ったコンビニで捨てるはずだった。

でも出来なかった。



 何度も理恵や健から掛かってきていた電話に出なかったことを今さらになって後悔している。

 どうせ死ぬなら最後に理恵の声が聞きたい。俺はどうしようもない衝動に駆られ、電源を入れた。




 留守電が何件も残されているが、聞こえるメッセージは皆、あの先輩からの物だった。


 履歴が二十件、先輩からのもので埋まっていた。先輩の所まで警察がたどり着いたのかもしれない。でも、先輩には悪いが俺が口座や携帯を使った証拠は上がってこないはずだ。




 もともと全てがフィクションなんだから。




 それにこの瞬間に先輩の声を聞く気にはなれない。



 携帯の画面の「着信あり」が何故か愛しく感じていた。



 理恵に電話を掛けようか迷っていたその時、電話が鳴った。突然のことでビックリし、妙子の顔を覗き込むと同時に、意味もなく携帯をいじっていたその指先が、着信を受けてしまった。




 電話口から聞こえた声は桃子ちゃんだった。



「お兄ちゃん、ありがとう。映画とても楽しかったよ。今度は理恵姉ちゃんとお兄ちゃんと一緒に見に行こうね」・・・

桃子ちゃんの弾むような声に、止め処無く流れる涙と嗚咽でとても返事は出来なかった。溢れ出た涙でシャツはびしょびしょになり、胸は締め付けられる思いで一杯になった。




 隣ですやすやと眠る女性を横目に、俺は大声で泣き、大きな声で理恵の名前を叫んだ。



 頭の中に楽しい思い出を思い浮かべながら、涙が込み上げる。



 俺は自殺をする人間を卑怯者だと愚弄していたが、今でもその気持ちに変わりは無い。

それなのに何故こんなに辛いのだろう。




 楽しかったこと、嬉しかったこと、幸せだった理恵との思い出を浮かべ、涙を注ぎながら、携帯を初期化して俺は睡眠薬を飲んだ。




 練炭を炊き始めてから、十分後の事だった。




 眠気と共に頭の中が煙をまくようにぼーっとして来た。今までのジョークを思い浮かべながら、俺は深く沈んでいく自分を感じていた。

突然の出来事だった。





ガシャーンと言う音と共に、眠っている俺の顔にガラスが降りかかって来た。死ぬ前に見る夢が事故にあう時の夢だなんて、俺のしてきた行いを神様が怒っているのだろう。





 夢の中でしきりに誰かが叫んでいる、事故にあった俺を引きずり出し、何か大声で言っているように聞こえるが、夢の中にその声は届いてこなかった。





 うっすらと目を開け、起きている事態に気付いた時には、救急車のなかだった。

自殺の名所になっている場所を警護している、村の青年部が、ガムテープの貼ってある車を見つけ、フロントガラスを割って助け出したらしい。





 頭がすっきりしていない俺は、救命士の質問に答えることも出来ず、ただ、漠然と埃の被っていない車の天井を見上げていた。




 車の揺れ具合は調度、赤ちゃんだった頃の、母親の腕の中と同じようで、とても気持ちのいい物だった。



 助けられたのは俺だけらしい、となりで息を引き取っていた遺体に付いて色々と質問されているが、練炭の吸い過ぎで声が出なくなっていた。




 救命士が、俺の身元を割り出そうと衣服から全ての物を取り出す。


 何も俺の身元が分かる物なんて無い筈だ。俺は自分の使っていた物は全て処分してきた、指紋でさえも、塩酸で溶かして削り落としてきた。


 それでいいんだ。それで。



 何分かたって、どこかで俺の携帯がなっているのを、救命士が見つけ、返事の出来ない俺の変わりに誰かと喋っていた。




 その電話の相手から俺の名前や、病気のことを聞いたらしい。




 俺の名前を呼ぶ救命士、電話口から泣き叫ぶ女の声。



 どこかで聞き覚えのある、優しい、甘い声の持ち主だった。


 その女性が、何度も何度も謝っているのが聞こえる。


 耳もはっきりと聞こえない、意識もはっきりとしていないが、酸素マスクをつけている俺の目からとめどなく涙が零れていっているようだ。



 どこか遠くの方でぼんやりとその女の叫び声が木霊していた「嘘なの、冗談、ジョークなの・・・全部」



 薄っすらと消え行く意識の中で、俺の頭が何かを弾き出した。



 でも今はもうそんなことはどうでもいい。



 俺の頬を叩く救命士の手を強く握り返し、俺は手を離した。



 ただ、今は眠りたい、眠りたいんだ。





 なんだかどこからかグリーンアップルの香りがする。








                          完


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笑うと負けよ、あっぷっぷ 圓道義信 @20210718

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