エピローグ


 水平線の先で溶けつつある夕日が、穏やかな海面で金色に照り返す。


 寄せては返す波が静かに、包みこむような調べを奏でている。砂に刻まれた足跡を、波がところどころさらっていた。


 波打ち際に、アルティナを背負ったまま歩くラーカイラムの姿があった。要塞から脱出する時に痛めた左足がびっこを引く。他にも、いくつもの打ち身や裂傷を負った。


 背にいるアルティナが動いた。


「気がついたか。おまえを抱えて片手で泳ぐのはきつかったぜ。まったく、その齢で泳げないなんて情けねぇぞ」


 ラーカイラムが軽い口調でからかうと、

「そっか……助かったんだ」

 アルティナの、思い詰めたような声が返ってきた。


「そう都合よく二度も記憶がなくなるなんてわけにはいかないね……」


「あまり自分をいじめるなよ。嫌なことが多いなら、それよりもっと多くの楽しいことを作っていけばいいだけだ」


 ラーカイラムはこの程度しか励ましてやれなかった。口ではなんとでも言ってやれるが、実際に行動するのはアルティナ本人なのだ。悩みと希望を抱いたまま、自分自身の力ですべてを解決しなければなんの意味もない。ラーカイラムはアルティナを信じてやることしかできなかった。


 低い鳴咽が耳元でする。ラーカイラムの首に回されていた細い腕が小さく震えていた。


 ラーカイラムはかけてやる言葉をなかなか見つけられず、湿った砂地へ視線を落とした。砂をさらう冷たい波が、ぼろぼろになったブーツの中へ染みこんでくる。


「もう終わったんだ。これからのことだけを考えてろ」


 どうあがいたところで過去を変えることはできない。嫌悪したくなる過去を忘れるぐらいに、これからいい思い出を多く作っていけばいいだけのことだ。


 アルティナはかすれた声で頷いた。


「うん…………もう歩けるから、降ろして」


 ラーカイラムは言われた通りにした。


 前を行くアルティナの素足が砂に跡を残してゆく。


「これからどうするつもりだ?」

「わからない……この時代のことなんてなに一つ知らないもの」


 波音にかき消されそうな言葉が返ってきた。


「そうか……だったら、しばらく俺につきあわないか? いつ終わる旅かわからねぇが、その間いろんな所を見て回れるから退屈はしねぇだろ。この世界を案内してやるよ」


 ラーカイラムは提案した。そんな理由よりも、ただ「このまま放っておけない」というのが本音だ。


「いいの? 捜し物をするのに邪魔になったりしない?」


 アルティナが足を止める。だが、うつむいたままで、後ろを向くことはしなかった。


「遠慮なんて、らしくねぇぞ。それに、おまえに会わせたい奴がいる。きっとあいつもおまえを気に入るぜ」


 思わず口に出してからラーカイラムは苦笑した。自分から妹のことを話題としてほのめかすなど、この仕事に手を染めてからは初めてのことだ。


「誰なの?」

「歩きながら話してやるよ。長くなるからな」


 ラーカイラムは肩をポンと叩いてアルティナをうながした。


 砂に残る二人の足跡を波が呑みこみ、また新たな足跡が刻みつけられていく。


 遥かな太古から繰り返され、これからも絶えることのない海の響きが、耳の奥に心地よい旋律を遺してゆく。


 アルティナは濡れた髪をそっとかき上げ、潮の香りを運んでくる風のほうへと顔を向けた。


 何事か、ラーカイラムにははっきりと聞き取れないほどの小声で呟いた彼女は、かすかな笑みをうかべていた。


 ラーカイラムにとってその笑みは、黄金色に染まった世界よりもはるかに眩しく、価値のあるものだった。

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魔術虜囚 冴宮シオ @shio_saemiya

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