第3話


 さて、そろそろよろしいでしょうか。

 続いては、私自身の事についてお話いたしましょう。


 私は赤務あかむ市の中心部の住宅街で生まれ育ちました。


 特に変わった家庭でもなければ、特別な人生を歩んだわけではありません。普通に学校に通い、決して多い訳ではありませんが友人たちにも囲まれ、部活も勉強も中の上程度で、毒にも薬にもならない面白みのない人間だと自負しております。


 ただ、もし特筆することがあるならば、普通の人間よりは霊感があるのかもしれないことでしょうか。


 でも、あまり期待はしないでください。部屋で振り向いたら髪の長い女が佇んでいたとか、お墓で人魂を見たとか、そう言った直接的な体験をしたことは最近まで無かったのですから。


 たまに不思議と感が冴えわたる事がある。それだけの事でした。


 小学生のころの話です。通学路にある一軒家の事が妙に苦手で、その家の前を通る事が苦痛でなりませんでした。中学生に上がってその家とは縁が無くなった後も、嫌に記憶にこびりついています。後で調べてみると、その家ではかつて一家心中事件があった事が分かりました。


 また、赤務市の郊外にあるトンネルを通った際、急に気分が悪くなり吐き出してしまった事が有りました。どうやらそのトンネルでは、見通しの悪さから事故が多発しているらしく、年間数件の死亡事故が引き起こされているらしいのです。


 このように、私は人が亡くなったり何か因縁のある場所に対して、言い知れぬ不快感を感じ取ることが出来るのです。


 余談になりますが、お墓や火葬場は不思議と何も感じません。きちんとした手順で弔われているからなのでしょうか?


 話は逸れましたが、私はこの力のせいで、どうしても許容できない程苦手なものがありました。


 それは九頭龍くずりゅう神社です。


 いいや、正確には九頭祈禱くずきとうの直前と、祭りの最中の九頭龍神社が苦手なのです。特に祭りの最中はとても受け入れられるものではなく、祭囃子が聞こえて来るだけで頭痛と共に発熱して、毎年学校を休んでしまうほどでした。


 祭りが終わり本格的な夏場が来れば、私の不快感もなくなります。祭りの最中では近寄る事など考えられない程だというのに、夏休みには友人と共に九頭龍神社の境内で虫取りをしたこともあるぐらいです。


 そんな状況でしたから、あの奇祭は普通ではないと考えておりました。あの祭りは観光資源などではなく、古くより脈々と受け継がれてきた、何か恐ろしい物なのではないかと。


 人間とは不思議なもので、不快で恐ろしいものほど興味をそそられる生き物なのです。私は赤務市を駆けまわり、九頭龍神社と九頭祈祷について調べまわるのがライフワークとなっていました。今では地元の資料館の館長と顔見知りになるほどです。


 さて、話は変わりますが、昨年の九頭祈祷が中止になった事はご存じでしょうか。


 理由はもちろん、最近流行している病の影響です。


 観光資源と捉えられている以上、自粛ムードの影響は避けられませんでした。

 役所と九頭龍神社はひと悶着の後、昨年の祭りを中止してしまったのです。


 もちろん社会全体の問題なのですから、中止すること自体は致し方ない事だとは思います。しかし今にして思えばどのような形であるにしろ、九頭祈祷は行われるべきだったのではないか、と考えます。


 異変はその後、ゆっくりと引き起り始めたのですから。


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