散歩が趣味です。

だって、ああ

本当の趣味と気になるあの子。

 今日は水曜日。明日からは四連休なだけあって元々明るいクラスの雰囲気は何時もよりもさらに明るかった。

「空腹感って言うのはねぇ、限界を超えると感じなくなるんだよ」

 教室のど真ん中で得意げに女子に語っている男は、龍眼寺桃鬼りゅうがんじとうき。彼は何時も給食を何故か一口食べると全て残す。それにしても、彼がメダカ以外の話をするとは珍しい。彼の会話のレパートリーはメダカで埋め尽くされているのだ。だが、女子達は苦笑いを顔に貼り付け、無心で頷いている様子だった。余りウケは良くないようだ。それもそうだろう、ハッキリ言って彼の話は冗長でユーモアに欠ける。端的に換言すると、つまらない。

 では何故、女子達はそんな彼の話に付き合っているのか。それは、彼が美形で、運動神経が良いからだろう。足の速さに関しては、将来はオリンピックの日本代表にと期待される程である。その名前の特異性も相まって世間では名の知れた男なのかと思いきや、そんなことも無く、何故か絶望的に知名度が無い、不思議な男だ。



 あいつ、誰だったけ…?   一瞬、そんな言葉が脳裏によぎり、そして消え去る。そうだ、あいつは龍眼路桃鬼だ。あんなに目立つのに、どうして忘れていたのだろうか。

 少年、隆治祐浮たかじゆううきは、自分の頭がおかしくなったのではと頭を抱えたが、それも一瞬だった。そんなわけはないという謎の自信が腹の底から湧いて出てきた。

 彼は、自分の記憶が操られているような不思議な感覚に一切の疑問を持つことはなかった。



 土曜日。隆治は、荷物をまとめると家を出発した。荷物といっても、財布と水だけだが。今は早朝四時半だ。

 彼の趣味は、散歩ということになっている。だが、実際には散歩ではない。説明が面倒なのでそういうふうに言うだけだ。彼の趣味、それは『迷子』だ。ブラブラと何に邪魔されることもなく歩き回り開放感を味わい、無事に家に帰れるのかというスリルに身を投じる。それが彼の、隆治の趣味『迷子』だ。

 だが、さすがに毎週やっていると、いくら去年引っ越してきたばかりとはいえ、ここいらは庭のようなものでもはやすっかり飽きていた。だから、範囲を広げることにした。公共交通機関に手を出すのだ。一体どこまで行ってしまうのか今からワクワクが止まらない。



 埼玉駅からてきとうな電車に乗り、てきとうな駅で降りブラブラと徘徊し、てきとうな駅からまたてきとうな電車に乗る。これを何度も繰り返す。そろそろ頃合いかと思い降りた駅は川部駅。青森県だった。

 正直、興奮した。こんなに遠くまで来たことはなかった。見知らぬ地に身一つのこの状況にワクワクが止まらなかった。既に火曜日になっていたことなど些細な問題だった。

 駅から出て、自然と出てくる気持ち悪い笑みを押さえながらこれからどうしようとブラブラと歩いていると突然、足に力が入らなくなりふらりと近くの電柱につかまる。そういえば、土曜日から何も食べていなかった。金曜日の朝の龍眼路の言葉をふと思い出したその時。

「だ、大丈夫かい?」

犬の散歩をしていたおじさんに声をかけられた。

「具合が悪いのかい?顔色も随分と青白いようだけれど」

「ああ、その、土曜日から何も食べていなくて」

「土曜日!?まじかよう!」

 なんだか若干演技くさかった。

 すると、おじさんはちょうどいいと人懐っこい笑みを浮かべた。

「なるほど。どうだい、うちは今から夕飯なんだが食べに来るかい」

「いや、でも悪いですよ」

 こんなところで助けて貰っては、折角のスリルが台無しだ。

「いいんだよ、うちはいつも作りすぎちゃって余るんだ」

「うーん、でも」

「いいから、ほうら!」

 それでも渋る僕を、おじさんは手を引いて強引に連れて行く。ふらふらの僕に抵抗する力はなかった。まあ、知らない人について行くのもそれはそれでスリルがあって面白いか。



 大人しく着いて行った先で目にしたのはお世辞にも裕福とは言えない古びた一軒家だった。おじさんはまたもや人懐っこい笑みで僕を家に招き入れた。

 そして、隆治は驚愕に目を見開いた。豪華な調度品の数々。ざっと見渡しただけで分かる広大な敷地。体感的に、隆治の家の4倍はあるだろう。先程の一軒家とは思えなかった。それこそ、異次元に繋がっているのだと言われれば信じてしまうほどだ。

 ちょっと待っていなさいとお茶の間に通された。取り敢えずこれでも食べなさいと貰ったカロリーメイトを三箱食べて待った。さすがに喉が渇いたし、もう夕食もいらないと思った。        

 待っていると男が入ってきた。一瞬誰だか分からなかったが、脳が理解した瞬間、思わず変な声が出てしまった。

「あれ、なんでゆうきが。俺ん家知ってたっけ?」

 龍眼路桃鬼、その人だった。さりげなく名前を間違えられたが、訂正する余裕はなかった。

「ここ、君の家だったのか!?」

「そうだよ」

 どうやって学校に通っているんだ、と口から出かかった時。

「ご飯できましたよ。」

 お茶の間に女性が入ってきた。どうやら今日の夕飯はグラタンのようだ。

「あ、。ゆうき来てるなら言ってくれよ」

「あら、お友達?知らないわよ。お父さんじゃない」

「あ、そうなの」

「ゆうき君?も夕飯食べてくでしょ?ちょっと待っててね。今持ってくるから」

「お、お願いします。」

 僕の名前を間違えたまま龍眼路のお母さんがお茶の間から出て行くと、先程のおじさんが戻ってきた。

「親父、ゆうき来てんなら言ってくれよなぁ」

「おや、知り合いだったのか!こりゃあまあ、不思議な縁だなぁ!運命の赤い糸って奴か!あぁっはあっはっは!」

「おいおい、やめろよ。男同士だぜ!いひひ!ずじゅっぶる、ひいふぃい!」

 龍眼路は笑いながらグラタンを飲んでいた。ちなみに龍眼路のマナーの悪さと満更でもなさそうな下品な笑い声、折角こんな遠くまで来たのに知り合いにあってしまったという三点から僕のテンションはいまだかつてないスピードで急降下中だった。控えめに言ってクソだ。最悪。死ね、龍眼寺。

「はい、ゆうき君の分のグラタンね。あら、あなたいたのね。またグラタン取りに行かないと」

「ああ、いいよ。自分で取りに行く」

 僕の分のグラタンが目の前に置かれる。

「いただきます」

 一口食べて、固まった。

「おい、どうした?口に合わなかった?」

 僕の様子を見て、龍眼路が声をかけてきた。

「…しい」

「え?」

 聞き返されたが、答えずにグラタンを飲むように注ぎ込んだ。一瞬で飲み干す。

「おかわりあります?」

「えぇ、あるわよ。食べる?」

「お願いします」

 正直、興奮した。龍眼路が給食を全部捨てる理由が分かった気がした。



 結局、その日は泊まることになった。グラタンは八杯食べた。トイレはピカピカで、風呂は露天風呂になっていて汚してしまうのが申し訳なかったが、龍眼路を見ていたらそんな気も失せた。そして、さっさと寝た。龍眼路は放っておくと永遠にメダカの話をする男だ。彼と上手に付き合うコツは喋る隙を与えないことだ。

 どうやって明日学校に行こうか聞いたら心配しなくていいと言っていたので、そこら辺は全て彼に任せることにした。

 その後、龍眼寺の汚い部屋で布団を敷いて寝た。龍眼寺は寝言ずっとぶつぶつと何か言っていた。たぶん、フェルマーの最終定理の証明でもしているのだろう。



 目が覚めると、学校の教室にいた。

「あれ…?夢だったのか…?」

 教室の喧騒が寝ぼけた意識を呼び戻す。

 「なんとさ、メダカって胃がないんだよ」

 教室の真ん中ではいつもの様に龍眼路が女子達と話していた。一見面白そうに聞こえるが、少なくともこの話を隆治は七回は聞いている。龍眼路はこちらに気づくと、さりげなくウインクした。生理的な嫌悪感ですっかり目が覚めた。そして

「ヤバッ!」

 教科書がないことに気が付いた。今から取りに行けば間に合うだろうか…?

 「おら、座れ!チャイムなるぞ!二時間目はみんな大好き数学だぞ!」

 「そんな…」

 先生の一言と、遅れてなるチャイムに絶望した。



 その日、ネットでは人一人抱えて物凄い速さで走る妖怪の噂で持ちきりだったが、次の日には誰も覚えていなかった。

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