第10話 意志

 目を開くと、暗闇が広がっていた。手を伸ばし、辺りのものに触れてみて、自分がまだコクピットの中にいるとわかった。体にかかる重力から、機体が横倒しになっているのがわかる。モニターやその他の器具はすべて動作を停止している。僕は手探りでハッチを開け、外に出た。


 目の前に広がっているのは、一面の荒涼とした大地だ。草一本たりとも生えていない。これが本当の地球の姿なんだと実感する。横倒しになった機体を下りて、辺りを見回す。遠くに見える黒い神樹の幹の周りに、赤い海が集まっていた。空から見たときよりも明らかに、海は小さくなっていた。神樹の幹を見上げると、空を覆っていた枝の網から細い枝が数本下に向かって伸び、僕が切り落とした枝を吊るし上げていた。これからあの枝は元通り修復されるのだろう。


「負けたのか、僕は」


 言葉にして実感する。これからこの星の生命体は、移住船となった神樹に乗ってあの美しい惑星を侵略しにいく。僕はそれを止められなかった。


「ごめん……ごめん、父さん」


 遠く離れた惑星と、美しい惑星を守るために戦った父さんに、届かない懺悔をする。僕たちが守ろうとした美しいものは、これから踏みにじられる。僕の頭の中には、撃ち落とされる直前に届いた「声」がまだ響いていた。


『ワタシタチハ、生キタイ』


 赤い海から生まれた腕と、発せられた「声」。あれは、地上に残っていた生命体の意思だったんだろうか。移住を進める神樹が破壊されるのを見て、自分たちの生存を邪魔するものを排除したんだろうか。


「なんだよ。そんなにまで生きたいか。他の星を、命を食い潰してまで自分は生きたいのか」


 赤い海を睨む目から、涙がこぼれる。自分が許せなかった。人々が許せなかった。自分もそんな穢れた人間の一人であるのが許せなかった。


 青龍の機体に積み込まれている道具の中に、ナイフもあったはずだ。僕はふらつく足どりで機体の中に入っていった。ナイフはすぐに見つかった。最期に星空が見たかった。家族三人で見上げた美しい思い出の中で、一人で消えたかった。外に出て、空を見上げる。神樹の枝に邪魔されていたが、輝く星々が僕を見下ろしていた。


「――さよなら」


 僕をとりまくすべての醜い世界に別れを告げ、僕はナイフを喉元に突き立てた。


「だめっ!」


 背中から衝撃が走る。ナイフが喉元をそれて空を切る。後ろから右手でナイフの根本を掴まれ、左腕が僕の体を抑え込む。響いた透き通る声と、頭の後ろからかかってきた深緑色の髪で、それが誰かわかった。


「サン。死んではいけません」


「リード様。止めないでください。僕はもう、この地球の生命体として生きていたくありません」


 振り払おうとするも、リード様の細い指はしっかりとナイフを握って離さない。背中から、リード様の静かな声が響く。


「私も、あなたが神樹を止められなければ、移住を拒んでこの星と共に死のうと思っていました。現状に安穏とし、一向に進歩せず、資源だけを食い潰し、あまつさえ他の星にすら手をかける、そんな人類と決別したいと、私も思っていたのです。でも、あなたがそんな考えを変えてくれたのです、サン」


「そんな、僕は負けて、何もできなくて……」


「あなたが神樹の枝を破壊した時、地上に残っていた人々は動揺しました。『本当に神樹を止められるかもしれない。神樹による移住が止まったら、私たちはどうなる?』と。移住をしなければ、やがて地球の生命体は死に絶えます。その事実を直視して、人々の意識は一つになりました。『生きたい』と」


 僕はあの「声」を思い出す。リード様は静かな中にわずかに熱を帯びた声で続ける。


「その時、神樹から私に言葉が届きました。『人類は新たな段階に入り、巫女は役目を終えた。よって任を解く』と。次の瞬間、私は神樹の外に出ていました」


「どういうことですか?」


「これは私の推測になりますが、神樹は人々の意識が一つになるのを待っていたのではないかと思います。人々の意思をとりまとめ、神樹と仲立ちする巫女が不要になるのはそういうことではないかと。ずっとバラバラだった人々が、『生きるか死ぬか』という問いを前にして、ようやく一つになれた。それを促してくれたのは、ほかでもないあなたなのです」


 だとしたら僕はとんだ道化だ。神樹による侵略を防げなかったばかりか、神樹の目的である人類の進化に利用されたんだから。そんな僕に、リード様は温かい声をかけてくれる。


「神樹が現れて五千年、もしかするともっとずっと昔から停滞を続けてきた人類が、ようやく宇宙に届く産声を上げたのです。私はそれを祝福したい。そして新しい人類の行く先を決める意思に、サン、あなたも加わってほしい。ただ生きるだけでなく、美しいもののために生きられるような意思にこそ、私は生きてほしい」


 温かい。涙があふれる。自分にはもうなにもないと思っていた。けれど、こんな自分を認めてくれる人がいる。僕はナイフを握る手を緩めた。カラン、と乾いた音を立ててナイフが落ちる。リード様は僕から手を離した。


「さあ、いきましょう。あなたの人生は、これからです」


 振り返ると、優しく微笑むリード様の向こうに赤い海が見えた。僕は差し出された手を握り返すと、ゆっくりと歩き出した。

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インベイダーズ 烏丸焼 @shokarasuma

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