第9話 決断
コクピットに響く電子音で目が覚めた。正面にはすでに赤い地球の姿が映っている。モニターの隅に小さなウィンドウが開いていて、さっきまで夢に見ていた気がする少女の顔が映っていた。
「サン、聞こえますか。聞こえたら応答願います」
「はい、聞こえます。何かありましたか」
リード様からの通信が届いていた。寝ている間に地球への道のりを半分以上進んで、神樹との通信圏内に入ったらしい。ウィンドウの向こうのリード様は少し慌てているように見える。
「青龍が神樹との通信圏内に入った直後、神樹がこれまでにない反応を示しました。巫女の私を介さず、地球上のすべての人間に直接指示を送ったのです。『神樹を開放する。すべての生命体は神樹の中に入れ』と。サン、これについて何かわかりますか?」
やられた。これは青龍に積まれていた種子の仕業に違いない。青龍が惑星に着陸してから種子は独自に周辺の調査を行い、あの惑星が地球の生命体の移住に適した環境であるとの情報を得ていたのだろう。その情報を通信圏内に入った瞬間に神樹へと送信したに違いない。神樹は情報を受信し、移住の準備を始めたのだろう。
どうすればいい。この青龍で神樹を止められるかどうかもわからないのに、これでは地球に戻る前に移住が始まるかもしれない。
「あの、サン? どうかしましたか?」
リード様が心配そうにこちらを見つめてくる。今頼りになるのはリード様しかいない。僕はリード様の目を正面から見据えて頼み込んだ。
「リード様。お願いです、人々が神樹の中に入っていくのを止めてください」
「どういうことですか。説明してください」
リード様も正面から問い返してくる。僕は父さんの残した文章をリード様に送信した。
「惑星調査船にその文章が残されていました。中に神樹の目的が書かれています」
文章に目を通したリード様の顔色がみるみる青くなっていく。最後まで読み終えたリード様は、端末を置き片手で頭を支えた。大きく一つ息をつくと、震える声で問いかける。
「サン。あなたはあなたのお父様と同じ意見なのですね」
「はい。僕はあの惑星の生態系と文明を、一度自分たちの星の資源を食いつぶした地球の文明で上書きするのが正しいとはとても思えません」
リード様は目を閉じてしばらく黙考した。やがて、目を開くと凛とした表情で口を開いた。
「私は神樹の巫女、神樹と人々の意思疎通の仲立ちをするお役目です。ですから、神樹から人々に送られた指示を妨害はできません。しかし、私個人として、人々に情報を流すことはできます」
「では、リード様も……」
「あなたから送ってもらった文章を、大陸全土の人々と共有します。どれだけ時間が稼げるかはわかりませんが、少なくとも人々に行動を再考してもらえると思います」
「ありがとうございます!」
かすかに見えた光明に胸が熱くなる。同時に、なにがなんでも僕が神樹を打ち倒さなくてはと思いを新たにする。
「それでは私はこの文章を届けるため失礼します」
「わかりました。よろしくお願いします」
ウィンドウが閉じられ、コクピットに静寂が戻る。これからまた戦いが始まる。一人ではない戦いだ。不安はない。
いよいよ着陸までもう少しのところまで来た時、地球の様子が以前と変わっているのに気付いた。円盤型の地球の全面を覆っていた赤い海が、片面に引いていた。赤い海が引いた側の面は岩盤が剥き出しになっている。寄り集まった赤い海の中心には、星を貫通する黒い巨大な柱が立っていた。
「あれが神樹か」
『肯定』
神樹の様子も以前とは変わっていた。赤い海の表面を網の目のように覆っていた細い枝も、海の凝集に伴い半分近くがなくなっている。代わりに目につくのは、神樹の幹から枝分かれして、天に向かって伸びている太い数本の枝だ。あれは以前にはなかったものだ。
「もしかして、あの枝は移住に必要なものか?」
『肯定』
それならば、あれを破壊すれば移住を止められるかもしれない。攻略の手がかりがつかめたところで、電子音とともにモニターにウィンドウが開いた。
「サン、大丈夫ですか」
「はい、こちらは大丈夫です。地上の様子はどうですか」
「相当数の人が既に神樹の中に入っていきました。ですがそれでもかなりたくさんの人が踏み止まって、神樹の指示に従うことの是非を議論しています」
「ありがとうございます。リード様のおかげです」
神樹のもとに集まっている赤い海は、神樹に格納されるのを拒んでいる人々なんだろう。リード様は最後に少しだけ表情を崩し、どこか寂しそうな微笑みを浮かべた。
「サン。私に手伝えるのはここまでです。あとはあなたにお任せします」
「はい。全力を尽くします」
「ご武運を」
通信が切れる。地球はもう目の前に迫っている。覚悟はもう決まっている。僕は神樹を睨み、大気圏突入の衝撃に備えた。
振動に包まれる。轟音が体を揺さぶる。十数秒、視界が真っ白になる。やがて視界が戻ると、目の前には赤い海の中にそびえ立つ黒い神樹の威容が広がっていた。
「やってやる。僕があの星を守るんだ」
ひるみそうになる自分を奮い立たせ、目標の枝に向けて青龍を飛ばす。間近で見る枝は青龍の胴体よりも太く、また部品の継ぎ目のような脆そうなところなどどこにもなかった。どこから手をつければいいかまるでわからない。
勢いをつけ、手当たり次第に鉤爪を振り下ろす。しかし、硬く滑らかな枝の表面に浅い痕をつけるだけで、破壊には到底至らなかった。
「これじゃだめだ。もっと別な方法を考えないと」
焦りに支配されそうになる頭を必死で動かす。なにかないか。今まで得てきた情報の中に、突破口になるものは。神樹の弱点や、構造の手がかりになるものは。
『まず、神樹の内部空間に地球の生命体を格納し、神樹を移住船として地球を離脱。惑星Tー02に着陸後、地球の生命体を放流、現地の生命体と同化を行い移住完了となる』
父さんが残した文章の最後に書かれていた、神樹による移住の手段についての文が思い出される。新しくできたこの枝は移住に必要なものだと言われていた。あの枝はもしかすると、液状化した地球の生命体を放流する際に使われるんじゃないのか。
「だとしたら、この枝の先には……」
青龍を上空に飛ばす。目指すは枝の先端部。先端部には閉じられた花弁のような、開閉するために作られたと思しき機構があった。
「ここからなら!」
花弁状の扉の隙間に鉤爪をねじ込む。機体の推進力と合わせて力の限り引っ張ると、耳障りな金属音と共に花弁の一枚が剥がれ落ちた。剥がれ落ちた花弁は重力に従い、赤い海の中に落ちていく。花弁の内側には、移住の際に生命体が通るであろう通路が奥まで続いているのが見えた。
「種弾、発射!」
開かれた通路に種弾を打ち込む。通路の奥で炸裂した種弾が、四方八方に鋼線を拡散させる。内部は外壁に比べて脆いのか、鋼線の何本かが通路の壁を貫通し、外壁から飛び出した。
「あそこだ!」
青龍で通路を進む。鋼線が壁につけた傷を広げるように、鉤爪をねじ込み、引き裂く。引き裂いた痕から、外の景色が見えた。そのまま鉤爪を引いていき、壁面を一周する。内側から衝撃を与えると、切り離した神樹の枝が赤い海に落ちていった。
「よし、いける!」
新しい枝は他にも何本かあったが、同じ構造ならこれで対処できるはずだ。次の枝に向けて青龍を飛ばした。
その時だった。視界の隅に何か赤いものが映った。何かと思い、カメラを向ける。
「は?」
それは、巨大な赤い腕だった。地球の表面に広がる赤い海から、一本の腕が伸びていた。手のひらの大きさは青龍をゆうに包み込むほどで、それが今、青龍に向けて振り下ろされようとしていた。
回避は間に合わなかった。すさまじい衝撃が全身を襲う。明滅する意識の中に、男のものとも女のものとも、子供のものとも大人のものともつかない「声」が響く。
「ワタシタチハ、生キタイ」
数瞬遅れて、青龍が地表に叩き落される。再び全身を襲う強い衝撃に、僕の意識は刈り取られた。
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