第8話 惑星

 目覚めはまたも電子音だった。のろのろと意識を揺り起こす。モニターにはまもなく到着する目的地、惑星Tー02が大きく映し出されていた。


 僕の意識にかかっていた霧が一瞬で取り払われる。


 その星は、美しかった。


 広がる深く青い海。海に浮かぶ緑の大地。緑がくりぬかれたような灰色の空間には、文明の存在を示す光の点が輝いている。


 古い記憶に刻まれた、美しい星。その姿が、今目の前にある。気付けば僕は、涙を流していた。


「と、感動してる場合じゃないんだった」


 そう。これから僕はこの星に下り立ち、この星と地球との間で戦争がおきないように立ち回らなくてはならない。胸にわだかまる疑問に蓋をして、湧き上がる感動を脇に追いやって、僕は着陸目的地点を探し始めた。


 惑星の周りを一周して、目的地点がある砂漠地帯が見つかった。この辺りには文明の明かりは灯っていない。やはり生存に適した環境ではないのだろう。


「なんにせよ、行くしかないな」


『警告。これより青龍は大気圏に突入する。パイロットは操縦席に座りシートベルトを着用せよ』


 指示に従い、突入の準備を整える。やがて、十年前の惑星調査船が着陸した場所を目指して、青龍が大気圏に突入した。激しい振動が機体を襲う。歯を食いしばって振動に耐える。長く長く感じられた十数秒の後、振動は収まった。


『大気圏突入に成功。これより目的地点に着陸を開始する』


 地表に近付くにつれ、だんだんと細かい地形が見えるようになってくる。砂漠地帯といっても砂だけではなく、ところどころに大きな岩の影が見える。もしかしたら岩陰に隠れている生物もいるかもしれない。


 徐々に近づいてくる地表を見ていると、明らかに異質なものが視界に入った。それは陽光を反射して銀色に輝いていた。


「もしかして、あれが調査船?」


『肯定』



 青龍は長い体を地面に伏せるようにして着陸した。目の前には資料で見た十年前の調査船がそのままの姿で鎮座している。見たところ目立った損傷や故障はない。十年前に何が起きたのか知るには、中に入って手がかりを探すほかなさそうだ。


「外に出たら、パイロットスーツはもう脱いでも大丈夫ですか?」


『否定。使用者の安全のため、気密状態を維持せよ』


「この星の大気は地球人には有毒なんですか?」


『否定』


 理由はよくわからないけれど、脱いだら危険なら着たままでいよう。パイロットスーツのまま、コクピットから出る。青龍の首の裏にあたる部分にハッチがあり、外に出られた。流線形の頭部の上を歩いて降りて、僕は惑星Tー02の大地に一歩を踏み出した。


「おお……」


 靴の裏から伝わる砂礫の感触を踏みしめる。全身の感覚から察するに、重力は地球とあまり変わらないようだ。


「さて、感慨に浸っている暇はないな」


 アーモンド形の調査船は、六本の足で砂地の上にしっかりと立っていた。動力が今もまだ生きているかどうかは不安だったが、僕が端末を近づけると調査船から駆動音が鳴り響いた。


「よかった。まだ動く」


 調査船のハッチが開き、タラップが下りてくる。僕は調査船の中に足を踏み入れた。


 調査船の構造は事前に資料で調べてある。船内は上下の二層構造になっており、下層には惑星調査用の四輪駆動車や、その他さまざまな調査機材が積まれていた。また、青龍に積まれている種子と同じものも、この下層にあった。上層は調査団の居住スペースになっていた。調査団は父さんを含む四人で構成されていた。調査団による記録が残されているとしたらここかもしれない。


 僕が入った下層には、調査機材の山だけが残されていた。調査団は車で簡単な調査に出てそのまま帰ってこなかったのだろうか。しかし、種子も残っていないのはなぜだろう。端末があれば、電波の届く範囲で種子と通信ができるはずだ。この付近を調査するだけなら、種子を船から持ち出す必要はない。ここから電波が届かないほど遠くまで、種子を持って調査に行ったんだろうか。しかし今度は調査機材が残された理由がわからない。繋がらない手がかりが頭の中をぐるぐるめぐる。


「考えたってしょうがない。今できることをしよう」


 船体の壁に備えられた螺旋階段を上って、上層に移動する。四人が過ごしていたはずの空間が、がらんと広がっている。部屋の真ん中にはテーブルが置かれ、四方には個人用のデスクが置かれていた。


「テーブルには何もないから、デスクを見てみるか」


 デスクにはそれぞれの持ち主の私物らしきものが雑然と並んでいた。引き出しの中なども調べてみるが、なんてことのない日用品しか出てこない。


 端から順にデスクを調べていくが、成果は似たり寄ったりだ。諦めかけながら最後のデスクを調べにいくと、これまでにはなかったものが目に付いた。整理されたデスクの真ん中に一台の端末が置かれ、コードで船の端子と繋がっていた。微かな期待をこめて起動ボタンを押すと、生体ロックに弾かれずに起動できた。


「よし! きっと何か手がかりがあるはずだ」


 わざわざ起動できる端末を見えるように置いていたならば、これの持ち主は後から来た人に何かを伝えようとしていたに違いない。起動してすぐ表示された画面に、文章ファイルが残されていた。


『ここへ来た地球人へ』


 はやる気持ちを抑え、ファイルを開く。冒頭の署名を見て目を見開く。


「父さん……」


 僕は期待と不安、義務感と好奇心がごちゃ混ぜになった心で、父さんが残した文章を読み始めた。



『私たちより後に惑星Tー02を訪れる地球人のために、この文章を残しておく。この文章には、私たち惑星調査団が任務を放棄し、地球への帰還を断念するに至った経緯が書かれている。ここに書かれている事実を知った君が私たちと同じ結論に至るかどうかはわからないが、この事実を君たちも知っておくべきだと思う』


『まず、この文章を読んでいる君は、ここに来るまでに自分の目で地球の姿を見ただろうか? 見ていない者のために画像を添付しておく。私たちが今まで記録映像で見てきた地球とは全く違う、赤い星。これが現在の地球の姿だ。この映像を頭にとどめておいてほしい』


『さて、私たちがこの星で体験したできごとを、順を追って説明しよう。当初の計画通りこの惑星に到着した私たちは、この砂漠地帯を中心に調査対象に選んだ。現地の生命体との接触は慎重に、段階的に行っていきたいとの考えからだ。私たちは手分けして着陸地点から半径数キロの範囲の調査を始めた』


『事件が起きたのは調査を始めてから数時間後だった。この付近の大きな岩場を調査していた地質学者のマックスが、複数の生命体と接触、攻撃を受けた。彼からの救援要請を受けて、他の三人は急いで彼の担当箇所に向かった。しかし、岩場に彼はおらず、彼の端末と破れたパイロットスーツだけが残されていた。端末に最後に記録された映像には、地球におけるイヌ科の動物によく似た四足歩行の生物の群れが映っていた』


『私たちはマックスがこの生物に襲われ、連れ去られたと考え、以後の単独行動を禁止し、すぐさま彼の捜索に移った。しかし、例の生物のものとみられる足跡を辿っても、彼は見つからなかった。岩場の陰にはいくつか例の生物のコロニーが見られたが、彼及び彼の遺骸は存在しなかった。私たちは日暮れまで捜索を続けたが成果は得られず、調査船に戻った』


『船に戻った私たちは、新たな疑問に突き当たった。持ち帰ってきたマックスのパイロットスーツを調べてみると、奇妙な点があった。まず、ヘルメットとスーツが一体化したこの服にはどこにも継ぎ目がなく、ファスナーのような着脱のための部位もない。また、例の生物によるとみられる破損個所も、爪や牙のようなもので引き裂かれたような線状の傷跡がいくつかあるだけで、人ひとりが穴から引きずり出されるような大きさではなかった。マックスはいかにしてスーツだけを残して連れ去られたのか? この問いに答えられる者は私たちの中にはいなかった』


『その答えは船の外からやってきた。船の上層にいた私たちの耳に、船のハッチが開く音が届いた。ハッチのロックは乗組員の生体認証か、非常用のキーでしか開かない。マックスが帰ってきたと私たちは思った。私たちは急いで下層に下り、タラップを上ってきたものを出迎えた』


『それは、昼間の生物だった。四足歩行の生物が一匹、静かに船の入口にたたずんでいた』


『私たちは混乱した。エリザは非常時用に船に備えられていた銃を持ち出した。銃を見た例の生物はすぐさま身を翻し、船の外へと飛び出した。初めて見るはずのものである銃が何のための道具であるか、正確に理解しているような反応だった。僕たちは細心の注意を払いながら、例の生物を追って船の外に出た』


『例の生物は船の前で砂を掘っていた。他に仲間はおらず、一匹だけで砂漠に線を引くように足を動かしていた。なにがなんだかわからず、私たちは呆然と生物が動く様子を見ていた。やがて、例の生物が描いている線が、私たちの使っている文字と同じ形をしていると気づいた。例の生物が足を止めたとき、砂漠には次の文が完成していた』


『ぼくはマックスだ』


『混乱する私たちを、自分はマックスだと名乗る彼は静かに見つめていた。アルドがおそるおそる昼間回収したマックスの端末を差し出すと、彼は迷わず生体認証のボタンを押した。端末は彼が間違いなく本来の持ち主であると告げていた』


『迷いながらも、僕らは変わり果てたマックスを船に迎え入れた。僕らは私たちの身に起きた出来事について考え始めた。船に積まれていた種子に質問を投げかけこの状況に関する説明を引き出そうとした。当然最初は芳しくなかったが、生物学者のアルド、社会学者のエリザ、姿は変わったが地質学者のマックス、天文学者の私が協力し、様々な角度から質問を繰り返し、少しずつこの状況に関する説明と、私たちが生まれた地球の生物と神樹についての真実が明らかになっていった。以下に、私たちと種子のやり取りのうち、有用な情報が得られたものを引用する』



「パイロットスーツの機能を説明してくれ」


『パイロットスーツは、地球の生命体が神樹の資源管理能力の範囲外で個体としての活動を可能にする補助器具である』


「地球の外でパイロットスーツを脱いだりスーツが破損したりした場合、使用者の体はどうなる?」


『使用者の体は個体を保てず液状化し、そのまま放置されれば二十四時間以内に生命活動を停止する。ただし、液状化した状態で他生命体と接触した場合、接触した生命体の体組織と同化し、生存が可能になる』


「マックスはこの惑星の生命体と同化したの?」


『肯定』


「地球上では生命体は個体を保っているのか?」


『一部肯定、一部否定。地球上の生命体は液状化した状態で一体化しており、その点では個体とはいえない。しかし、精神においては無数の個体が誕生、繁殖、死亡のプロセスを繰り返しており、個体として存在しているといえる』


「じゃあ、地球に広がっていた赤い海のようなものは、地球上の生命体が一体化したものなのか?」


『肯定』


「地球上の生命体が液状化、一体化したのはいつ?」


『地球時間で約四九九〇年前』


「地球上の生命体が液状化したのは神樹が地球の資源管理を始めた時と同時ね?」


『肯定』


「神樹は地球の資源管理の一環として、生命体を液状化させたのか?」


『肯定』


「なんのために神樹は生命体を液状化させたの?」


『当時の地球人類による物質文明は資源利用技術の観点から継続困難であり、精神文明への完全移行によってこの問題を解決できると判断したため』


「この調査団の目的は、この惑星が地球の生物が暮らせる土地か否かの調査だった。なぜそんな必要がある?」


『地球の生命体の生存および精神活動を支えるための資源があと約十年で完全に枯渇し、新たな資源供給元が必要になるため』


「調査の現段階で、地球の生命体はこの惑星に移住可能だと思われる?」


『肯定』


「地球の生命体がこの星に移住するとしたら、どのような手段で行われるんだ?」


『まず、神樹の内部空間に地球の生命体を格納し、神樹を移住船として地球を離脱。惑星Tー02に着陸後、地球の生命体を放流、現地の生命体と同化を行い移住完了となる』



『これが、私たちが知り得たすべてだ。私たちは神樹の意のままに、地球によるこの惑星への侵略行為の片棒を担がされていたわけだ。このまま神樹から与えられた任務に従えば、やがてこの星を地球の赤い海が飲み込み、この星の生態系と文明を一方的に上書きする』

『現在、地球人類の文明には、異星の文明との対立や問題を調停する法はない。私たちは議論を重ね、神樹が私たちに与えた任務は不当な侵略行為とみなす結論に達した』


『私たちはこれから神樹との連絡を絶ち、この惑星の文明と独自に接触を試みる。私たちの目的は、この星に地球からの侵略の手が迫っていると、この星の生命体に警告することだ』


『この文章を読んだ君が私たちの判断をどんなものと捉えるかはわからない。しかし、ここに来るまでに、資源を使い果たしてやせ細り赤く染まった地球と、自然と文明の美しい調和を実現しているこの惑星を見た者ならば、私たちの決断に理解を示してくれると信じている』



 文章を読み終えた僕は、天を仰いだ。あまりの情報に、脳が理解を拒んでいる。いや、それも錯覚なんだ。脳があると思っている場所に詰まっているのは、生命がドロドロに溶けた赤い液体でしかない。手も、足も、体もすべて。このスーツを破けば辺りに赤い液体が飛び散り、やがて何も残らなくなる。その様子を想像して、僕は椅子の上に崩れ落ちた。デスクの上に投げ出された端末がカタカタと音を立てる。船の中に静寂が満ちた。自分の心臓の音だけが大きく聞こえるような気がした。これも錯覚なんだろう。もう自分の感覚も信じられなかった。


「どうすればいいんだ、こんなの」


 なにも、わからない。僕は頭を抱えてうずくまるしかない。


 けれど、十年前に同じ真実を知った父さんたちは決断し、行動した。きっと父さんたちはこの星の文明と接触し、この星に迫る危機を伝えたんだ。その結果が先日の出来事で、今の状況なんだ。


「なら僕は、どうすればいい」


 頭の中を、様々な記憶が駆け巡っていく。家族三人で見た星空。地球の写真を見て微笑む父さん。壊れた母さん。ベック先生。リード様。構造物との戦い。ソーフィさん。対策本部。母さんの笑顔。赤い地球。青い惑星。駆け巡る光景の中で一番強く感じられたのは、家族三人で星空を見た日の記憶だった。


 ここに来るまでに自分の目で見た二つの星を思い出す。あの時、父さんと僕が好きだと言った地球は、こんな赤く穢れた星じゃなかったはずだ。どちらを守るべきか、決断に迷いはなかった。


 僕は父さんの端末を持って、青龍に戻った。発進準備はすぐに完了した。コクピットから空の彼方を睨み、僕は発進キーを押した。


「青龍、出撃」


 轟音と共に、青龍が空へと舞い上がり、そのまま大気圏外へと飛び出していく。振り返ると、青く美しい惑星の姿が、だんだんと小さくなっていくのが見えた。


「さよなら、父さん」


 僕は守るべき美しい星に別れを告げた。それから僕は、打ち倒すべき穢れた星に着くまで眠った。



「恨んでいますか」


「恨む? 何をですか?」


「あなたたち家族を引き裂いた神樹を、恨んでいますか」


「別に、恨んではいません」


「ではなぜ、神樹を打ち倒すのですか」


「それは、神樹が導こうとする人類の在り方が美しくないと思ったからです」


「そうですか。それは……」

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