第8話 なぜ貴方がここにいらっしゃるの?

 本当の闇というのは暗さを感じることができない。唯一認識できるのは「見えない」という事実だけ。目が開いているのか、それとも閉じているのかを判別することすらできない。いや、自分の姿すら見えないのだから、自分自身を認識できないというべきかもしれない。自分は本当に今、ここに存在しているのか。

 しばらく自分の存在を疑問視していると、黒い霧のようなものが「見えた」。闇の中に少しばかりの光を帯びた「闇」の固まり。明るい闇ができたおかげで、自分が今存在していて、目を開けているのだとかろうじて分かった。少しずつだが霧は大きくなり、明るくグレーがかってきた。少しずつ色んなものが見てきている。


 ここはどこだろう。


 そこで初めてそう思った。こんな明るくなってきている暗闇はどこだと。今いる場所を認識するために、少し記憶をさかのぼった。時系列の行動を辿れば、この場所にたどり着くはずだ。

 俺は・・・そう、買ったばかりのベッドにルゥが横になったのを確認して、自分のベッドに入ったはずだ。ベッドの入ってすぐ机の上に置いたスマホから通知音が聞こえたような気がしたのを覚えている。確認しようかどうしようかと迷っているうちに、そのまま寝てしまった。

 つまり自分は今「寝ている」のか。だとしたら、目が開いているという感覚はおかしい。起きたのか?にしては何も見えなさすぎる。となれば夢の中なのか。しかし夢にしては、見えているという感覚が強い。


 しばらくぼぅとしていると、霧が晴れるように自分のいる場所が分かってきた。これは・・・自分の部屋、のはずだ。見慣れた机、テレビ、タンスがある。自分はベッドに座っているようだ。だが、違和感がある。なんだろう・・・もう少し見回してみる。あっ、窓がない。暗いのはそのせいか?それにしては明るすぎる。更に見回すとドアも無かった。自分の部屋に似た部屋、いや、やはり夢なんだろう。こういうのって明晰夢とかいったかな?


 机の上にあったはずのスマホは無い。逆にしまったはずのゲーム機がテレビにつながっている。それに気がつくと同時に、見計らったように、ブンっと音を立てテレビの電源がついた。テレビの画面は、黒い何かの景色を映し出しているようだ。テレビ番組というよりゲームのように思える。なんとはなしに、ゲームとテレビに近づいた。


『ゲームをしなければ』なぜかそう思った。吸い込まれるように、コントローラーを握る。画面を見ると、どこかの町並みが見える。どうやら道にいるようだ。コントローラーを操作する。カーソルが動き、視点が動く。下を見ると舗装されていない道、道には馬車でも通るような2つの轍が見えた。その所々に水が溜まっている。左右を見回すと、石の壁の家が連なっていた。日本ではない。中世の町並みに見える。ファンタジー系のゲームか?しかしこんなゲームを持っていた記憶はない。

 カーソルを動かすと、前に進んだ。しかし、他のボタンを押しても何も反応しなかった。それにしても、やたら視線が低い。道が目線のすぐ下にある。上を見上げる。一階建ての家のはずだが、マンションぐらいの高さに見える。


 カーソルを動かす。どこか向かう場所があるわけじゃない。ただ何となく行くべき場所があるようにも感じる。感覚に従ってそのまま進む。しばらくすると、道が土から石畳に変わった。更に進むと橋が見えた。川に出たようだ。


 川はさほど広くはない。橋を渡るのに、30秒もかからないだろう。橋の欄干にひょいと乗ってみた。川よりも川沿いの建物に驚いた。川の両岸にビッシリと家が立ち並んでいる。家は川岸のギリギリの位置に、びっしりと隙間なく立ち並び、少し傾けば川に落ちてしまうぐらい川の上にはみ出ていた。家の集団が川を取り囲んでいるようだ。これが桜なら春に美しい光景を見れるかもしれない。しかし、これではどの季節であっても、家々が川面に暗い陰を投げかけるだけだろう。


 流れる川は淀んでいた。『流れる』と表現さえはばかられるくらい、どろりとした水が溜まっている。ところどころぐるりと渦を巻いている。しばらく渦のまま流され、流れに渦が解かれた後、再び渦を作る。ゲームなので臭わないはずなのに、異臭が漂う雰囲気。工場は見当たらない。ひょっとしたら糞尿が紛れているのかもしれない。


 それにしても・・・何か変だ。そう、人を見かけない。オープンワールドでももう少し人に会うと思う。街中なのだから尚更だ。人影は見えない。でもなんだろう、人の気配だけはしている。

 再び川を見ると、川の奥に何かの塊が見えた。大きさは人ぐらい、背中を丸めたような塊。目をこらす。近くに少し丸く小さな塊。人、みたいなものじゃない、あれは、人だ。人がうつ伏せで浮いている!


 思わずコントローラーを落とした。落とした拍子に、橋の欄干から降りたようで、もう川面は見えない。これは、ゾンビが出てくる系のゲームなんだろうか。武器は所持してなさそうなので、襲われたら終わりそうだが・・・少し気を引締めつつ、更に道の奥に進んだ。


 ようやく人影が見えた。家と家の間、人が1人通れるかどうかぐらいの本当に細い路地。そこに2人の男が重なり合うように立っていた。背丈は家との比較から普通だと思うが、目線が低いので、どちらも大男に見えてしまう。虚ろな目の周りはくぼみ、頬は痩けている。2人が違う人物なのは理解できるが、区別がつかないくらい特徴が似ている。一瞬、ゾンビが出たのかと警戒したが、ゾンビらしき特徴は見つけられなかった。


「また黒い斑点を付けた死人が出たらしい」

「神罰が下ったんだ」

「馬頭の怪物が連れてきた」

「いや、魔女がこの街にいる」


 少し近づくと、そんなことをブツブツと呟いている。話しているので、とりあえずゾンビでないのは確からしい。話しかけようと近づくが、話しかけられない。どのボタンを押してもコマンド表は表示されなかった。更に近づくと男たちは、こちらに気がついた。しかし1人の男から『寄るんじゃねぇ』と足で追い払われてしまった。


 男たちと別れ、更に進む。進む方向に迷いがなく、まるでどこか目的地があるかのようだ。石畳の道を進むと、立ち並ぶ家の様子が変わってきた。大きさは徐々に大きく、土レンガからレンガと漆喰に、道幅も広くなっていく。住人の階級が変わっているようだ。時々、立ち止まり家の様子を伺う。たまに格子戸の窓が少し開いていた。その奥に人の気配を感じるが、姿はやはり見えない。しばらくすると、ギィと音を立てて、固く閉められた。

 しばらくすると、目の前が開け、大きな道に出た。前には大きな屋敷が見える。入口には、貴族の洋館のような鉄の門が閉じられ、柵越しに見える建物も昔の大きな洋館だった。閉じられているものの、鉄の門に使われている柵は比較的大きめだ。人は通れないが、何となく通れそうな気がした。試しに頭を通すように前に進むと、なんの問題もなく通り抜けられた。


 洋館の横を通ると、庭のような場所にたどり着いた。これまでの街並みと打って変わって、明るく光に満ちた庭が広がっていた。一面の芝生。咲きほこる名も知らぬ花々。深緑に満ちる木々。それらを包むように光が降り注ぐ。まるで違う世界に来たようだ。

 しばらく芝生の中を走り回る。赤黄の様々な色の花々に蝶が飛び回っていた。蝶に誘われるように、追いかけて捕まえようとした。蝶はヒラリとすり抜けて、飛び去っていった。

 建物の側に一本の大きな樹が立っていた。『登らなきゃ』只々そう感じた。感じたままに樹に登る。樹の幹は大きかったが、しっかりとつかまれた。カーソルを左右に動かすと、ひょこひょこと樹を登ることができた。登った先、広がった枝は、建物の一つの窓に向かって伸びていた。そのまま窓際に近づいた。

 窓際に人影を見た。今度はゾンビには見えない。血色の良い白肌、健康的な長い黒髪を持った少女。いかにも貴族の御令嬢という雰囲気。ふとこちらに気がついたのか、少女は窓を開いた。


「あっ、おかえりなさい、どこに行ってたの?」

 開かれた窓から、笑顔を向けられた。篠田さんとは少し違うけど、素敵な笑顔。結構タイプかも。少女は窓から手を伸ばそうとしていたが、さすがにそこまで手は届かず。俺に跳べ!みたいなジェスチャー。いや、この距離は無理でしょう・・・


 にゃぁ〜


 にゃぁ?今、にゃぁって聞こえた?どこ?というか・・・俺?今、俺が言ったの?


「ルイーズお嬢様、そのような獣を引き入れてはなりません。悪魔の病にとりつかれますぞ!!」

 窓の向こうから、中年男性の叫ぶような声が聞こえた。『そんなことないよねぇ』という令嬢には一瞥もくれず、執事のような格好の男性が近づいてきた。男性は棒のようなものを俺に向かって突き出してきた。危ない!思わずのけぞると、枝から足を踏み外してしまった!ヤバい!落ちる!空中に放り出され無重力が取り囲む。しかし落ちる途中、くるりと捻って回転した感覚があった。あぁ大丈夫かなぁ・・・


・・・


 バンっ!!!

 ぐはっ!!!


 その時リアルに感じたのは、着地の感覚でも、柔らかい芝生の感覚でもなかった。胸部に数キロの物体が落っこちてくる感覚・・・

 痛さに身悶えていると、掛け布団の上から、ルゥがひょこっと顔を出した。


「ゆうとー!!いつまでも寝てるの〜!」

 ・・・どうやら、ルゥがタンスの上から、俺にジャンピング&ダイビングしてきたらしい・・・そうか、さっきのはやはり夢か。


「大好きなゆうとの胸に、飛び込んでみました〜!!」

 みました〜じゃないよ〜(泣)。せめて意識がある時にしてくれぇ。俺はしばらくゾンビのような声を出して、布団の中でうごめいた。

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