紅葉の影

齋藤夢斗

本編

 一


 僕は幼少からよく家にもいなければ写真の一枚としてない母の容姿を思い浮かべていた。なけなしの小遣いで買ったクレヨンでチラシの裏面にありのままを描いたりもした。どんな時でも美しく、母は微笑んでいた。なかでもとびきりの一枚を選んで、夏休みの課題として提出したこともあった。

 それは僕が十七になった日の夕暮れのことだ。父が唐突に、僕の母はもうずっと昔に死んでいる、と云った。僕はおどろいた。何故この日この時間を選んだのか、そこに父の決意、或いは我慢ならず、うちに留めておけなかった心の熾火おりびがついに煙を上げたのかもしれなかった。そして、父の告白で最も愕きを示すべき母のまだ女盛りのなかで、まだ瑞々みずみずしかったはずの肉体が近所の墓地で白骨になって眠っているという事実はあまりに呆気なく腑に落ちたのだった。この反応に今度は父が愕いた。父は母が既に亡くなっていることに僕が認識がいっていないと信じていたからだ。

 父は幼少から男手一つで僕を育て、たまに哀しそうに母の話をすると、決まって母は遠い地で「今も多忙だ」と云った。無理に笑みを浮かべようと必死の彼はなおのこと不憫ふびんだった。そういった父の、彼には見えないところで発言の真偽はいつも偽りを語りはしなかった。真面だけは誠実であり真成しんせいであった。だからか、僕は父の快闊な笑顔はいつも偽物で、逆に憐憫れんびんをそそる顔が絶対の真実なのだと確信し、実際にそう見るようにした。

 辺りの静寂は有形から無形までのあらゆるが父の訥弁とつべんの邪魔にならぬようにしているかのようだ。街の場末に建った何軒かのうちここ一劃だけが無音であって、近隣の家々は夕食やら風呂やらで団欒だんらんの賑やかさにみちみちているのだろうと思った。

 この平家は部屋の数だけが無駄に多くて、一部屋ひとへやは狭かった。今二人が椅子に座っているのはリビングだが、中窓から染み入ってくる秋の夕焼けの茜いろは部屋じゅうを隈なく燃やしている。ひのきのテーブルにも、苺ののったショートケーキにも、そして僕と父にも分け隔てなく燃えていた。ただテーブルの反対側、陽の当たらぬそこだけは明瞭にほの暗い影をつくっていた。

 父が母との出会いから死別までの経緯を長々とテーブルの黒い斑点に話している最中、僕は窓の外の沈む日輪を細目に眺めていた。陽は遠い山々の尾根に背負われながらゆったりと懐に入っていく。雄大な超自然が生んだ突起はその侵略を空にまで及ぼそうかと躍起になっていた古代の時のまま静止しているようだった。陽は夜闇を帯びようかという空に真向から足掻いていた。靉靆あいたいする雲の裏に淡い茜の微光がある。たまに強い眩さにひとみを反らすと、それが雲が流れているのを実感させ、そして、流れるまま山へ溶け込んでいった。手前の空は夜の色になっていた。

 父がここまで話しているのを見るのは久闊きゅうかつのことだった。来客もほとんどない我が家に声といえばテレビの音声ぐらいだ。そう思えば我が家で静寂と細い声だけが現行しているのはそう珍しくもないようだった。

 玄関あたりで物音が立った。その後、バイクの駈けていく煩音が遠のいていった。父は一寸ちょっと気にしたように壁を透かして玄関を瞥見べっけんした。がすぐにあの俯きがちの顔と訥々とつとつとした語りに戻った。比する僕は気にかかって仕方がなかった。片耳で聞き続けている経緯のあれこれに飽きたのだ。まさに回顧録を朗読しているかのようで、たまに注釈を加えたり、その時分の喜怒哀楽を抒情的に語ってのけ、詩的な物言いをするごとに「あまり成績は良くなかったんだ」と恥ずかしそうにした。確かに語彙の乏しさは僕を飽きさせる要因の一つに違いなかったが、仮に彼の脳に辞林じりんそのものを埋め込んでいるとして、その本領を申し分なく発揮していても倦厭けんえんから変遷へんせんすることはなかったろう。だが、もし彼の縷々るるとした物語のなかの時間の流動から一旦現実に回帰してきて、息子の表情から子の云わんとすることを統覚的に察せられたならばそれこそ本領を超越して子の前に超人の父という輪郭が像を成すはずだ。僕は父に本気でそれを求めはしなかったし、求めてはいけなかった。語らせておくべきなのだ。そうすることで父の悲哀は語尾や誤謬ごびゅうを自覚した時に生じる些細な空白の毎に薄められていくように思えた。

 しかし飽きてしまった。飽きてしまったのだ、父の口端の薄い笑みを見るのにも。父が肉体を持った母を想像し、僕はしかし母の骨だけが想像された。父の回顧の裡で母は若く笑い、若く泣き、若く愕き、若く食べ、若く喘いだ。その一コマが埃を被ってもなお褪せず、緻密に、明瞭に確乎としてあった。だが僕にも誰にも色彩を保ったものは見出せず、父の思い出だけに生きていた。外界には死んだとばかり言っているが、内界では燦然さんぜんと生を謳歌していた。

 僕は欠伸をした。リビングは夜闇と一体になっていた。月光乏しく、秋の夜長にあまねく幽邃ゆうすいな自然は秘匿ひとくされた。しかし、父は彼方からの言葉の橋を架け続けた。記憶の母を言葉を以って僕の眼前に集成させ、象ろうとしているのだとわかった。この長々しい語りは或いは彼の企図したものであったようだ。僕はつまり、父の企てにまんまと乗せられていたのだ。




 我が家は家屋こそ小さいものの、宅地は公園の一つでも置けるくらい広大なものだった。明確な仕切りはなく、曖昧模糊あいまいもことして、理想の社会的距離間というような、体感と目分で不可視の線を引いている。だから日によって庭はどこまでも広大になり、狭隘きょうあいになった。誕生祭の翌日、僕は日がな一日、縁側に座して山々のふもとの紅葉の樹々を眺め続けた。遠目にした紅葉はひたすらに紅く、昨日の夕日よりも紅いかと思えた。時折、涼風にこずえの葉叢が騒めき、水面に起きた波紋で景色がぼやけるのと同じように、梢の輪郭を薄れさせた。落葉のなか、流麗な川を思わせるようになびく紅葉の群れもあった。  

 僕はあの血の森と縁側との遠近が段々と狂っていくのを実感した。あの山の稜線は不動のままであるのに、森と縁の間の、舗道を往く自転車や黄芒きすすきの棚引き、秋の野草にいたるまでのおおよそ巨視的なものが縮小され、等身大の森が僕の目の前に立って同じように舞っているように思えたのだ。紅葉だなと凝視すれば実は楓だったとか、葉の濃紅いろ、緋いろ、猩々緋いろだとかが判別できるほどの距離で優美に立っているようであった。この空想で家が立派な邸になるというような変化はなかったが、こうして紅葉との物理的距離を詰めるだけでずっと華やいだ。

 空想は途切れ途切れに続いて、畢竟どの時間帯にあってもその美は損なわれなかった。むしろ陽が落ちるにつれて美は深まっていった。空想の夜は樹々の麓に行燈あんどんが置かれた。明媚めいびさに色気のある光が注がれ、自然と人工の見事な融和は確かに美を包括し、結晶した。光は幹を這い、梢を伝い、陽光を当てるより紅を深めた。大きな爆発のように、火山の噴火のように、または壮大な火事のように。

 どうにも僕は妄想逞しいもののようで、厄介な宿痾しゅくあとなっているのだった。だが、恋人の前で自分が死ぬ妄想をする女もいて、そのかばねを事細かに描写して興奮を兆したりする、それよりずっと倫理的で、人間的で、女の箍の外れた情緒よりはましだなと思った。死に美を見出すのは、燐光りんこうのような死して初めて深淵に漂う媚態びたいも伊達も一切がない無垢を目にするからである。死体に綺麗と称するのは無垢を見たからであるのだ。そこから思うに美とは隙間ない無垢にこそ存在しているのだ。

 それから僕はよく縁側に座して空想の花見をするようになった。そこに度々父がやってきて物珍しそうに「何を見ているんだ?」と尋ねてきた。「憑りつかれたようじゃないか」

「ああ、紅葉だよ」僕は指さした。すると父は怪訝そうに「あそこじゃなくて?」

「まああそこでもあるかな」

「……そうか」とわかったようなそうでないような反応をした。

 僕は父に説明するのが面倒だったのではなかった。父に理解してもらえないことこそが狙いだった。美を僕だけのものにしたいとは寸芼すんもうとして考えておらず、父が首を捻り、疑問を呈し、そして一生答えに辿り着けないのが僕にとっては快感だった。だからあの日、父が母の像を繊細に描写し、僕ができなかったからというのも飽きた一因なのであった。




 終始、誕生祭の日、僕の前に真実の母の像は現れなかったが、父はよく母の仏壇で大仰に笑うようになった。母の死を僕に打明けた父は実家にあるらしい仏壇を取り寄せたのだった。僕ももう何度もお邪魔した家の和室に鎮座したあの仏壇がまさか自身の母を供養する目的であったとは露ほども思わなかった。父方の祖父のものだと長年信じ切っていたものだから一杯食わされたなと苦笑した。日を追うごとに僕の疑問は敷衍ふえんされていき、父も母の遺物だとか服だとかを持ち込みだした。それらが空部屋だと思っていたあまり寄りつかない一室に装飾され、仕舞い込まれ、生活の痕が徐々に刻まれていくのだった。

 ある日、僕が縁側に立っていると、背中から父がやってきて「お前、大学はどうするんだ?」と尋ねてきた。母の仏壇は僕の丁度後ろの部屋にある。庭で蜻蛉がゆらゆらと遊弋ゆうよくしていた。野紺菊のこんぎくに停まって、はねさえ動かない様は死そのものだった。横から視て、腹にかけて段差の低い階段状に連なっていて、幾何学的な興味をそそった。

「……大阪か、名古屋か、東京、か、かな」僕は父を見ずに言った。「今のとこは」

 素っ気なく答えているように見えて、内心どうして父からそんな問いが零れたのか気になっていた。殊に将来を問い質すようなことを父はこれまで一度たりともしてこなかったのだ。これに僕は幽かな予感を覚えた。

「そうか……」

「どうしたの、急に」その時、どうやら僕は蜻蛉から目を反らしたらしく、瞬きにも満たない間であったが、次に僕が花を見やると不器用に花弁は揺れ、そしてなにも無かったと静止していたのだった。視界の端には蜻蛉の残影が過った。その影を僕は追おうとはしなかった。代りに秋草の集しの拡がりがあった。冬のあしおとを聴きながらも、冬の訪れを信じていない、暢達ちょうたつとして、精力の迸りをありありと陽日に証明してみせていた。僕はようやく父を見やった。なんと彼も外を眺めていたようである。

「何を見ているの?」

「お前はどうなんだ?」 

 僕は答えなかった。というより答えようとして喉下まで出かかった音を慌てて仮構かこうの栓で堰き止めたのである。嘘をついて適当な感想を述べても父には真実と捉えられただろうが、けだしここでどれほど胸をすくような神秘を美辞を費やして語り聞かせても父には陳腐としてしか了解されなかったに違いなかった。

「俺はな蜻蛉を見てたんだ。ほら今桃いろの花に停まった」父はその場で胡坐を組んだ。そして「お前は何を見ていたんだ?」

 父を見ていた。そのややきつめの切れ長の目を、劣った鼻梁びりょうを、薄い唇のほんの割れ目を。深い豊麗線ほうれいせんが白髪の目立ちだした短髪とが見事に照応して、刹那、僕の眸にははなはだ眩い光の閃きを見たような気がした。僕は、それを最期の若さの耀かがやきとした。同時に理解した。若さとは水平線の不変の煌きだと、若さとは損なわれず、老醜の裡に夕月のように希薄ながらも残滓ざんししているのではないか、と思っていた、しかし、この耀きは老若の境を明晰に証明した。老いたのだ。何某かの強制で無理矢理に切っ掛けを用意され、老いたのだ。切っ掛け以前にも過渡の期間があったのかもしれない。脱皮の期間、新生ではなく、ただ移り変わるための脱皮。僕は了解すると途端に父が偉大なものに見えた。世故に長け、僕の捻りだす真実と嘘など考えるまでもなく覚ってしまう、偉大な人に。ふと父と目があった。僕は慌てて口を開いた。

「僕も同じ。蜻蛉と、あと濃紺菊」

「そうか」父はしきりに頷いた。次に微笑が浮かんだ。仏壇の前の欣喜雀躍とした父とはえらく違っていた。噛み締めるようだった。諦念ていねんの二文字が面にへばり付いているみたいだった。

「ところで、濃紺菊とはどれのことなんだ?」

「え、あ……うん。あれ」指で指示した。夥しい安堵が体を駈け廻った。父はまた何度も頷いて、再び老いの面をした。こうも簡単に変えられるなら境というのも案外曖昧なのかもしれないなと思った。

父はまた微笑んだ。僕は父の情動を斟酌してみたがどうにもそれらしい答えは見出せなかった。それもその筈なのだ。数日後、帰校した僕は父が仏壇の前で服毒して死んでいるのを発見した。母は茶の額縁に固定されて華やかなかんばせをこちらに向けていた。紅葉はもうとっくに黄落していた。



 父の葬儀は一般参列をよしとしていたが、前二列より後方はがら空きだった。粛然しゅくぜんとした雰囲気で、その慎ましさが寂寥に映るのだ。皆喪服で、お斎の席でも余所余所しさが気にかかった。そして僕だけが学生服だった。父方の祖母が葬儀場の手配から参列者の受付までを受け合ってくれた。終始、涙の一つも見せず、寧ろよく笑っていた。笑いは奇怪ではなく、不気味なくらいに明朗に場の空気を和やかにしてみせた。祖母が笑い、名も顔も知らない参列者たちが笑う、それら一聯があたかも事前に酌み交わされていた約束みたいな呼応の仕方だった。僕だけが笑わなかった。祖母と同じく涙は流れなかったが、若しか祖母と僕とが正確無二の合同であったならば、祖母が笑えるわけがない。父の死後、哀しみに暮れるしかなかった僕は、しかし涙というものの流し方を一から十まで完璧に忘れてしまっていた。一度として泣かなかったのである。我が子の死に顔を目にするなど、これから先の生涯を涙だけに彩られるのが常でないのかと思った。子を亡くす辛苦と虚無は母であるなら一入ひとしおではないのか! 何故笑えるのだ! 笑っていられるのだ! 僕は怒りの矛を祖母に向けていた。彼女が明るく笑うたびに、真顔の裡の怒気が盛り、更に膨らんでいって、胸中を熱くした。焔というべき熱。学生の一張羅いっちょうらは喪服の黒に紛れているように思われたが、僕の一挙手一投足は逐一誰かの目に留まっているのだという自覚があった。僕はなるだけ空気に扮し、参列者一同が気の抜けた顔で葬儀場を出ていくのを待った。だが、僕の密かな願いの施行を祖母の愉しそうな笑みがわざとらしく遅延させた。喪主を務める祖母の手によって酒が振る舞われた。祖母を抜いて二三人の女性がいたが、彼女らは一杯呑んでそれ以降頑なに遠慮した。呑んでから初めて女は集って、姦しく帰りの運転のことやら、子共にはあんな辛い思いして欲しくなやら、口々に言い合っていた。女というものは、女学生でも結婚して出産を経てもつるみたがる種族なのだと思った。明澄な陽の浴びた和やかな井戸端会議が僕の眼前で開かれていた。他人は他人に過ぎないのだとわからされているのだとわかった。そう、女たちは僕に大人になれと、ほら父を弔ったのだから悲しみを乗り越えろ、父の影と共にまた歩み始めろ、と。さも彼女らが相応の悲しみを実際に味わって、それを乗り越えてきたかのように、悲しみに慣れ切っているとでもいうかのように、僕の自立を暗に後押ししているのだった。祖母のような怒りは湧かなかった。そういうものに際限のあるないは不要だった。なにせ彼女らは確かに大人であったからだ。常識という名の偏見を暗鬱の喪服で包括していた大人だったのだ。逢引の正装が煌びやかな装身具と華やかな上下であるのと喪服は同義であった。対比に見せかけたファッションであった。祖母から酒を勧められた。礼儀だと念を押され、僕は呑んだ。「こういうことも知っていかないとね」祖母

は紙のコップを引き取り、そんな言葉を残して、談笑の輪にまた入っていった。

 一時間が経てばちらほら帰り支度をする男女がでてきた。男は酩酊し、女は周りに挨拶をし、もう父の死など忘却の彼方であるというようで、必ず最後には祖母に深く礼をして、僕にお辞儀して帰っていった。赤ら顔でへらへらしたおじさんが僕の下へやってきて、一万円を差し出した。僕が受け取ると、「それで美味しいものでも食べなさい」と優しい手で僕の肩を撫でた。祖母は僕の真面目な顔の裏を勝手に推測して「よかったわね」とわざと大きな声でいった。おじさんは満足そうに去っていった。やがて僕と祖母だけになると、祖母は「いくらいただいたの?」

「六万四千」

「大事に使いなさいよ」

「わかった」

「ああ、あとあの子の遺産は私が預かっておくから」

「うん」

「進学のための費用は安心なさい。それに生活の気遣いも不要よ。私もそう遠くないうちに焼かれるから」

 僕はそのまま帰った。父は荼毘だびに付された。祖母だけが父が焼かれるのを見届けた。祖母からは一緒に来るよう誘われたが、僕は見たくないと断った。父が焼かれる様を祖母はどんな顔をして見届けるのか、それがどうしても見たくなかったのだ。



 僕にとって季節の変遷を実感させるのは暦では決してない。昭和や大正、明治に生きた人々がどうあったかは知らないが、日付が立夏や立冬を告げても嘘のように思えた。年が明けて十日、粉雪が降った。僕は初めて冬入りしたのだと思った。いつか紅葉を咲かせていた枯木の剣山が山麓の色合いを背景にしてじっとしていた。冬の平家は透廊すきろうのように外面だけを与えられて内は冷風の通り道になっているようで。あるだけの戸を閉めても冬は薄れず、暖房は無論寒気を追い出すが、わだかまる暖風がなおのこと冬らしさを象徴していた。寒さは、十二月または十一月を境に遍満へんまんし、人は、冬だなと口を揃えた。つい昨日まで未だ秋の只中にいた僕も流石に師走を認めてからこうして暖房をつけている。しかし、今日、糸雨いとあめだという勘違いを正して、粉雪だというのの了知をして、冬と相克そうこくしていた秋が、自然な流動の一部としてついに歪なく繋がったのだった。空は重厚な雪雲が窮屈そうに占めていた。去年の修学旅行で飛行機に乗ったことがあった僕は雲海より上空は快晴が拡がっているのを知っていた。人の知識の雑駁ざっぱくさでも、これくらいは知っていて当然かと苦笑した。縁側に出て、軒下に守られた、すなわち榑縁くれえんに座した。そう、そこは榑縁なのだ。陽はその威光を大地に示すように照っているのだろうが、鬱々とした雪雲に阻まれ明確な位置さえわからない。よくやすられた材木の縁を掴みながら、冷気に侵され、乾燥したのを感じ取った。吐く息は濁った鼠いろだった。これが夜になると真白になる。

 冬休みもうに終わっている。僕はあくる日学校に出た。父の死は教員にだけ伝えられ、生徒はあの日、帰校後に実の父の死目にあい、葬式上で六万を貰い、亡骸の火葬に立ち会わなかった、そのような体験をしたとは露ほども知らず、僕に前日の課題を見せてくれといってきた。僕はそれに快く了承した。どうにも僕の父がまだあの平家で母の仏壇の前で笑っているように思えてならなかったのだ。

喪服の代用にした制服は抹香まっこうのかおりが幽かに嗅げた。それを嗅いで死を自覚し、日日ひにちを重ねていくごとにかおりは消失していって、そうしたらまた父の笑いが脳裏でした。帰宅して、朝の暖房の消し忘れで暖かければそれは父が点けたのだと思った。家にいればいやでも寂寞が僕の存在だけを浮彫にした。そして学校にいれば空想に父がいた。僕は放課、よく図書室へ赴いて、適当な近代文学の全集を読んだ。特に晦渋なものを好んだ。晦渋かいじゅうさは僕を無意識的に空想の平家へ連れて行った。いつも父の背中が笑っていた。僕は縁側で父の快闊かいかつな笑いだけを聞き続けた。

 空想は決まって図書委員の少女に掻き消される。冬の日短は図書室に入室してまず目に留まる窓外の風景、今日であれば雲間から注がれた二三条の光芒が、少女の掌が肩を叩いてようやくはっとして天井の人口灯に気付くことで、その言葉が導きだされた。

 たまに学友は「秋の夜長というけども事実、冬のほうが長いですよね」と不思議そうに古文の教師に訊くと、「中秋の名月というのもある。真冬は凍えて月を見ようなんて思わないだろう」と返した。「でも冬の夜長でもいいよね、今は。過去と現在は一つの連綿であるけど、そう過去に固執するのも違うと私は考えているんだ。孤立して培われた日本文化は継承されるに値するけど、それだけが日本の在り様になってしまってはいけないんだ。そんなの開国当時から散々云われてきているけど、現代の日本人は哲学的な意味でも形而上的な共依存関係にあるんだよ。知らずのうちにね。私はそれを好ましいとも危なっかしいとも見てる。物質主義よりも深く均されて、易々と抜き取れない楔になってるんだよ」

 学級がそうであったように、どうでもよかった。一高生の僕たちには『私』という一人称の壮年の男の私論は晦渋に過ぎた。故に僕はこの時間が好ましかった、今昔の絶妙な合間を凹凸なく辷る男の授業は。他にも僕と空想とが接続する時間は幾つか設けられた。級友が眠りにつくような場面にこそよく発見された。だからだろう、年末に配布された成績表は凡ての教科において、関心意欲態度の覧に最高評価が記されていたのだ。他の項目を特筆するべきなど到底ありえない。

 件の少女は僕のことを認知しているようだった。対して僕は彼女の名くらいは知っていた。彼女は僕が文学に依って空想の海を泳いでいる最中に、こっそりと忍びよって鞣革なめしがわの学生鞄のかぶせに恋文を差し込んでいるのだそうだ。定型もくそもなかった。僕はそこで彼女の名前を覚えた。僕は少女に想いを抱きはしなかったが、嬉しくはあった。どうにも少女の文は小難しく、生半な気勢では内容が読み取れないのである。



 一月も下旬になる休日、僕は少女と学校で待ち合わせた。屋上の四囲を囲うフェンスが霧雪でも降っているかのように薄白に塗れていた。背中に望む町のどこかしらから工事だろう霹靂へきれきがしているが、皆、気にもとめず往来は跫に騒がしい。書店や、喫茶店など短時間で周って、最後に訪れたのは学校の図書室だった。部活動云々で解放されている校内は勿論、図書室も開いていて、しかし無人であった。本だけが棚に並んで、ただひたすらに狷介不屈と並んでいる。少女にとってはこれとない僥倖ぎょうこうであるらしかった。僕は入室するなり不思議な情感を得た。十三時の昼下がり、僕は入学してから昼間の図書室に一度して来たことがなかったような気がしたのだ。窓の先に映るのは停滞しているかのような夕日でも、雪月夜でもなく、鈍色の雪模様である。重厚で落ちてきそうな雲はここからでも見ることのできるあの山々のあたりで切れ目が走っていて、ほんの僅かな陽が大地に降りつけることなく、そこだけが後光のように神秘的な褪せた黄色を漂わせている。陽が落ちた頃には雪の花が街灯の蛍光に直射されて明瞭な姿かたちを捉えることができるだろう。僕は放課してからの図書室しか知らなかったようであった。そんなことはないと記憶を遊泳する現実主義の僕が反駁はんばくして、入学したての時分の校内巡りで紹介がてら二冊の大衆文学を借りたのを想起させた。いつも記憶は背理を嫌うのだ。ロマンティックを根こそぎ現実に陥れるのだ。新鮮さを伴って隣の少女との時間が運命的であるかのような思春期らしい空想を現実化する企ては、阻まれはしたが、「新鮮さ」が欠けていても少女がいる、それだけで成り立つのだった。少女は休日でも図書委員であった。隣の司書室から生徒名簿を持ってきて、「なにか借りる?」と膨大な数の名前から一寸の迷いなく、僕の名を探し当てた。「そもそも利用者少ないからさ、借りる人も限られてくるの」

「一年の時の一回きりだぞ、それ以来、名簿の僕の名前も見たことすらない」

「でもここには来てるでしょ。ここに来て、いつも純文学を読んで、ううん。読んでるじゃなくて、眺めてる、そうね、君、文章を眺めに来てるのね。頁も捲らず、どんな本でも丁度全体の折り返しあたりの頁を開くの」

「よく知ってるね」

「だって好きだもの」

「……なにが?」僕は知っていて訊いた。

「好きな人が本を見るのが」少女に逡巡はなかった。

「どうして僕なの?」

「特に理由なんてないわ。君が私を惹きつける魅力が備わっているわけでもないし、一目惚れでもない。私、ここに来る男子、男の先生、皆好きなの。イケメンでも太ってても、痩せてても、背が小さくても高くても……あそこのドアを開けて、本棚から一冊抜き取って、適当な席に着く。その一聯いちれんの流れが好きなの」

「よくわからないよ」

「つまり君を好きになったのは特別なことじゃなかったの」

「……そうなんだ」

 僕はどうしてか哀しみはなかった。哀しみを抱けないほどの哀しみであったのかもしれないし、そもそも恋情のない僕が哀しむ必要もなかったからなのかもしれない。ならばどうして、僕は『哀しみはなかった』のだろう。僕は少女から遠ざかって、本の迷路へ分け入った。奥へ奥へ進んで行って、少女の目の入らないところまで来て、外を見つめると、冬の草花の風に揺すられ犇めきあう様子があった。凍え、乾燥した地。靡く草花、棚引く雲。雲間の光、ありふれた世界の色。海を越えた国の本の背革をさする。手に取って、適当な頁を開いた。



 二月の一日が少女の誕生日だった。僕はなにか物をあげることはしなかったが、その日も変わらず図書室で本を眺めた。十分、或いは二十分かけてようやく頁が捲られた。はらり、はらりと灼けた紙が繊細に夕焼けに溶け、照明の対称的な影に吸い込まれていく。隣の席に坐った学生鞄はじっと終わっていく時間に身を委ね、ぴんと直立していた持ち手はいつの間にかへにゃりとかぶせに横たわっていく経過は小さな擦過さっか音で察した。稍あって少女が忍ばせて僕のもとへと近づいてきた。片手は背中にまわっていて、僕は、今日もか、と思うのだった。妙に聴覚が発達して、学級の野球部が週末の練習試合に差し当たってミーティングをすると言っていたのを思いだし、どこかの教室で幽かな物音したのを、椅子の引く音がしたのを、ものが落ちたのを、逐一聴きとっていた。であるからして、少女の気配も筒抜けであった。珍しく僕たち以外に男子生徒がいるようで、どうやらちらちらと訝しげな視線を送ってきているのにも僕は知っていた。僕の感じるこの空間は冴え渡っていた。およそ人々が認識し得る三次元のすべてを把握できているのではないかとさえ思えるまでに空間と僕とは完全に一致し、互いに相補的関係を構築していた。僕が空間を、空間が僕を冴えさせる。実体と観念の支点には生徒の挙動があって、それこそが二者を繋ぎとめる経由点……不可視で、たが確乎として肉の裡と外との道を確立している。明文にして、甚だ観念の話だなと呆れた。

 体感、相当の時間をかけて少女は僕の鞄に背中に回した手を突き入れた。努めて意識しないでいるのは容易だ。あの生徒に集中していればそれだけで事足る。が、そうはいかないようだった。天秤にのせて重きを気にかけ、軽きを疎外することが心もとないうでと台で成り立っていたのだが、どうも生徒は少女が鞄に手紙を入れる場面を目視していたようだったのだ。計らずかどうなのかは知りようはなく、わかるのは生徒が課していた重みが、丸まる少女と僕の、天秤の片方に集積したのであった。こうなっては僕の意識もそちらに向く他なくなる。幸か不幸か少女は気付いるようではなかった。

 ほどなくして僕は尿意という建前を以って部屋を出た。近くの教職用トイレの戸を大仰に開けた。足は踏み入れず、戸は廊下の底冷えの空気だけを闖入ちんにゅうさせて閉じた。どれほどの大音が校内を駈け巡ったか僕は知る由もない。もう僕の聴覚は図書室の戸の向こうにしか音を探知できぬよう狭められていて、視覚と肌だけはトイレの戸が閉まったのを見ていた。僕は盗み聞くというような経験は父にのみあって父で最後なのだと思っていた。父のあの真実の顔にこそ児戯や犯罪は容認されるのだ。そして父がいない今、僕は多数決の社会がいう人倫を遵守じゅんしゅし、生涯を悪を知った善人のまま終わらせなければならない。僕はどうして行動に出たのか、真正のマゾヒズムなのだろうか、これが僕の。過去の父への児戯や犯罪やらが涵養かんようし、自覚もないままに一つの特殊性癖を定着させたのだろうか。制服を裾を鼻に近づけて嗅いでみた。図書室の匂い、少女の匂い。父はもう空想にしかいいない。草葉の陰の白骨が現実、あとはもう、仏壇の写真も、空想も具体化することのできない、僕だけの存在だった。父のやらんとすることは無謀に極まっていた。やがて、結婚し、子をなし、父のことを尋ねられたとき、僕は微細の彼を巨視にまで昇華させることができるだろうか。

 ……例の生徒がでてきた。彼は暗がりで文字までは窺い知れなかったが、大型本を両手に抱くようにして持っていた。図書室で見た以上に小柄であると、本とを比較してみて思った。彼は目当ての本を発見したのだろう、嬉しそうに僕の眼前を去っていった。彼の目に僕はもういない。彼と代わるように図書室に入ると、少女は今まさに司書室から出てこようというところで、「あら、やっと戻ってきたのね。もう閉めるとこよ」

「……あの本、借りるよ」テーブルで、本の敷き詰められた文字が曝されているのを見下ろしながら鞄と一緒に手にした。

「家でも眺めるの?」

「まあね……あ、そういえばさっきの彼。珍しいよね、この時間に生徒がいるなんて」

「そうね。で、本。面倒だから明日にしてくれないかしら」本当に面倒くさそうにしていた。

「わかったよ」

 奥の本棚にぽっかりと空いた穴の永遠の影に本を押し入れた。あの空間だけが不変で、少なくともここ数年で一度も空いたことがないであろう空間の奥に僅かばかり見える埃の堆積もまた不変であった。こうしてここに再び保管され、そして忘却される。僕は明日、この本を手に取ることはないだろう。不意に家の自室の物置に仕舞い込まれた数十枚の手紙を思いだした。

 鞄を持って、図書室を出ようとした。消灯のストロボの光闇の間に間に、閃きの像があの生徒の輪郭を生んだのであった。と同時、生徒の像に重なるようにして少女の体が現れた。愕こうとして、次の愕きに繰り越されたのだった。少女の唇が僕の唇に触っていた。

 僕の意識は廊下に投げかけられていた。

「プラトニックなキス、案外、簡単なことなのね」

 温かな息吹が肌にかかった。


八 


 三月に入ると、少なくとも早朝布団から出られないような事態には発展しなくなり、日中、白靄を戴く山々は相変わらずであるが、風景一帯の比率でいえば春の兆しが読み取れるようにはなった。が、冬が跡形もなく去ったと断言できるようになるにはもう一月はかかるだろうと思う。リビングの三分遅れた壁時計が七時を告げていた。薄い雲がなかなかの速さで流れていき、分けても尾根の、季節に富んだ鈍いろにやってきた雲が重なると吸収され、版図を拡げているかのようであった。昼ごろに祖母を迎えることになっている我が家は前日のうちに彼女の通り道、もしくは目にとまるであろう部屋を厳選して掃除しておいた。掃除機をかけ、雑巾がけし、風に戦がれ、乾燥を待つ、父とともに毎週のようにやっていたものだ。雑巾がけの時、父が先をいき、少しずれた位置で僕がゆく、和尚でも目指しているのかと訪れた祖母はからかわれたこともあった。これだけでなく、他の場面も回想してみると祖母はよくよく笑っていた。僕と父の前では、笑うことを宿命づけられているように。その宿命を前提にすれば、あの日、お斎の席で明朗に笑っていたのもなんら不思議ではないように思えてくるが、とはいえ、あそこまで笑えるのはなに者かに脅されでもしているのではいかというほどに滑稽であった。記憶というものは、当時から月日を経れば経るほどにいかようにも変貌を遂げて見せるもので、祖母の笑いが善悪どたちらの観念に属していようとも、今になって振り返ればどちらともとれるのである。あの鮮明さを孕んでいた父の死に顔も数ヵ月の経過で綻び、模糊となって、肌の肌理や顔の骨格、生前の父との会話ですらも父の声音にところどころノイズが走るまでになっていた。

 そういうものだ、と少女は云った。実際は、少女ではなく、少女の母から伝えられたものなのだそうだ。子共とはそういうものである、いつも誰かに与えられ、そして自身は乞うしかないのだ。子供とはそんな時代のことを指しているのである。それこそが父の死から学んだ唯一だった。

 恰も冬に似つかない麗かな日中である。いや、最早疑いようのない早春であろうが、春を認めるのは桜が咲いてからだ。

 ここまで固執するのはいつからか、切っ掛けはなんであるか、僕にはもうわからない。しかし、季節とは明瞭であってほしいという思いがあった。例えば春の雪。例えば雪の果て。絢爛たる名称に潜む儚さというものを見出せなくはないが、四季とはただ円環し、ただ時の流動に合わせて流れるべきなのだ。とすれば季節の刹那的な重なりであっても、それは流動の乱れであり、調和の崩壊である。考えるに僕は雑然を厭う性質なのかもしれない。整然であることこそが心身に安穏を齎すのかもしれない。父の絶対的な死に対して純粋な哀しみを得られたのもそこにあるのだと思われる。

 昼過ぎに祖母はやってきた。大きな冷凍バッグに一週間相当の料理がそれぞれパックされて収納されており、最低限の食品と調味料のみのさながらミニマリズムが云う空白の美を体現した冷蔵庫を埋めていく。老い、頽勢した祖母の動作はいちいち力んで見え、一世一代の大仕事に勤しんでいるかのようである。

「独りの生活は馴染んできた?」祖母は作業の片手間に尋ねてきた。淡々として、父の俤は含蓄されていないのがわかった。

「おばさんが助けてくれてやっと息が吐けるよ」

「そう」

 それからもせっせっとリビングや自室の電球を替えたり、浴槽を漫勉なく掃除したりと家の雪解けをさせていくのだった。僕はなにをするでもなし、縁側で風に当るばかりで、祖母が廊下を行き来して僕の姿を捉えると、その度に「月一でいいから空き部屋も綺麗にしておきなさいよ」と口喧しくいうばかりであった。祖母は一度も助力を求めず、かつて祖父と暮らしていた記憶を頼りとしてあちこちして、床に垂れた汗の一粒、玄関あたりの掃除機の煩音、気が向けば僕も左見右見していた。

 澄んだ空は絵画を置いたみたいに雲さえも動かないように思え、山のほうも目を離した隙に厚雲の版図は分裂され、一部の稜線はくっきりと細々の凹凸を清澄に、極めて自然的な、あるべき姿を眸に映していた。天道の直視のできない日照も鳴りを潜め、ぽつんと天辺にあった。

 枯木立にも緑が興り、春光の色合いは山麓にまで蔓衍している。

「あー忙しい忙しい」

 と、また祖母が通った。

「今度からは自分でやりなよ」

「……」

 祖母の姿がなくなると、大きく息を吐いた。居心地が悪いことこの上ない。祖母は僕にそのような気持ちを抱かせて悦んでいるのだろう。掃除機に隠された祖母の笑いを聴いた気がした。そう、あの時の明朗な笑いを。僕の焔は、燃え上がることなく、平静であった。僕の裡までもが春のようであった。



 祖母は晩飯をつくって、二人で食べた。流石に寒い夜だった。

 食後、洗い物をする祖母は父母のことを語った。これまた淡々と、とも思えば口を一杯に広げて笑うのだ。笑いから元の微笑に戻るまでに額や豊麗線やら皺が夥しくのり、微笑は本当は未だ笑い続けているのではないかというほどに深く残っている。

「あの子ったらずっと子供だったのよ。奥さんに会うまでね東京の大学にいてね、出会ったらもう入れ込んで入れ込んで、それで結局中退したのよ。それで、お父さんと会うのが嫌だって、あの子、日本中、遊び回ってねぇ。それで奥さんが懐妊したって、どうしようお金もない、働き口も目立ったところがないって、最終的にはこの家に二人して戻ってきて、あたしとお父さんの前で土下座、お金を貸してくださいって! もう大泣きで、お父さんも怒りもなにも吹っ飛んで、大笑いしたの」

「……僕の母さんって、どういう人だったの?」

「え? ああ、そっか。知らないのかい。でも、あの子、いつか話すっていってなかった?」

「話してたよ。でも」

「話が長かったんでしょう」

 首肯した。

「厄介なことにね。子供だから、自分語りは好きだけど、人の話はすぐ飽きるのよ」

「……そうかも」

「そういう飽きっぽいところは奥さんはなかったわね。ずっと尻に敷かれていたし、そもそも中退したのも彼女が懇願したかららしいわよ。それもあってお父さん、怒るに怒れなかったのよ。まあ、あたしは親として叱ったけれど」

「……」

「ねえ、あなたは早く大人になりなさい。大丈夫、大人っていうのはそう難しいものじゃないから。あの子は子供のままだったけどね。ずっと、子供のままだったけれど。あなたは、そうあの子の子供でしょう。だから、大人になりなさい。難しく考えなくていい。死ななければ、子供は大人になるのだから」

「うん」

「そう簡単に嘘をつきなさんな。あたしみたいな女になるよ」

「嘘じゃないよ」

「……よろし。それじゃ、あたしはお暇するわ」

「暗いけど、大丈夫?」

「ええ、事故にあって若い人らに笑われないように注意するから、大丈夫よ」

「そう」

「それじゃあ……あー、あと、あれ、お金はあたしの、ほら和室の引き出しに入れてあるから」

「え、あ、うん……あと、そうだった」

「どうしたの?」

「あの、母さんって、なんで死んだの?」

「……女が一番幸福な時に眠りにつけたの。少なくとも奥さんはそうだったと思うわよ」

 そう残して帰っていった。夜の一端に光が満ちた。車に乗り込む際もまた忙しなさそうにしていた。

静寂の帳が下りた。平家にも、そして祖母にも。

 仏壇の前に立って、父母の写真を撫でてやった。埃が拭い取られ、二人の世界は元の色が戻った。僕は泣いた。なにも考えず、難しく考えず、ひたすら泣いた。はなみずを啜って、唾液を飲み込んで、滔々と涙は写真に零れた。

 数日して、仏壇に祖母の写真が立てられた。人が燃えるのを僕は、初めて見た。



 すべてが空想のようである。

 雪の街を駈けながら、夜の街を往来の喧騒にあてられ、更に気分を昂らせながら僕はどこかに向かっているのだった。夥しい光闇の境を僕の足はまたぎ、また跨ぎ、街灯からしんしんと雪の粒が降り注ぎ、背広の漆黒にほんの真白を添え、いつの間にやら消えていた。あの山々にかかる雲が風に吹かれ、確かに流動するように、夢幻のような貴さが見出された。

 その日、眛爽まいそうが差し込み、やがて日が昇り、かと思えば弱日が昼たらしめていた。窓越しに舞う黄芒が、窓を叩く強さの甚だしさを表現しており、木立の騒めきの激情はもの哀しく弱弱しい震えでのみであった。潤い気のない枯草がかさかさと床壁を走っては音を鳴らし、そして堆積した。風に身を委ね、街のほうへ出る舗道の脇では、下水道のちろちろと浅瀬を進む水音を奏で、溝蓋みぞぶたから覗くと、かの草が流れ着き、なにかの拍子でまた流れていった。下校中の学生らの靴裏には菊が挟まっていて、瀝青れきせいを擦り歩きながら無残にも折れ曲がり、花弁のうてなが地に伏していた。

 夜の街はこうして雪にすべてを綯交ないまぜにされ、その上を車の車輪が踏み均していく。絶対的であり、一回的な生命は魂というものがなくとも、確かに万物には備わっている。もう遠い昔に見た人工と自然の融和は、あそこに至るのには懸隔が果てしなく、どこかの誰かが騒いでいる融和の実現には遠いもののように思われる。

 走りながらに、そういえば、と僕はいつか、雲の一つとしてない磨墨するすみの空の月星の爛々らんらんを見上げた折に、満点の月の凹みに『豊かの海』を見つけ、あれは先ネクタリス代に創られた盆地であると、女に語ったのを思いだした。他にも幾つか海があるといった僕に女はお腹の子の代は誰でも行けるのかなと愛おしそうに胎を撫でた。肉の壁を透かし、眠る子を撫でているかのようだった。

 鄙びた平家はどこよりも夜空が綺麗で、あの日の白く艶やかな月は、仏壇からは拝めず、代わりに山々に月いろが幽かにかかっているように見え、そのたもとから家前までの月に塗れた叢と花々はどうにも空漠くうばくとして、抒情的に映えていた。そこに風が一度吹けば月の耀きに平家は僕と女諸共洗滌されるかのようであった。靡く様はいかにも欣欣然きんきんぜんとしているようであった。そのよろこびが瀰漫びまんし、僕たちまでもよろこんだ。胎の子が蹴ると、女も「この子も同じなのね」と云った。

 僕は、病院に着くと、急ぎ分娩室へ促された。女は分娩台に寝ころび、天井の照明に目を細めていた。苦心が顔に浮かび、僕の存在を察しているかよくわからなかった。

「いかがされますか?」誰かから問われた。部屋に留まるのかどうなのかの問いかけであった。誰かも判らないまま、「ええ」と答えた。僕は入り口のほうで立ち尽くし、ただただ成り行きを見守り、傍観者だなと思って、なんだか変な感覚になった。数人の女性と台の女からかけ離れ、ゆっくりと僕の脈拍が正常に戻るのを感じた。なにも言葉がかけられず、そして時間に余裕があったとしてもなにも言葉がでないだろうと後悔とそして自信のなかで思った。

 人の美しさとは無垢である。ずっと昔にそう考えていたが、確かにその通りであった。苦痛に歪む顔に僕は手を握ることもせず、ただひたすらに無垢だなと、そう心のなかで納得した。女と僕の信頼は愛として変容しており、僕が次第に薄白くなる女に微笑みかければ、女は苦痛のなか、苦悶のなか、僕の愛を心で叫ぶだろう。そう、繋がっている。

 ……繋がっている。

 はっとその時、僕はあることを脳裏に浮かべていた。ある一つの未来。僕が老い、子供が育ち、あの平家の縁側に坐っているのだ。そして訊く。

「何を見ているんだ?」子のあまりの執着の姿に「憑りつかれたようじゃないか」

 僕は、そう、僕と女の間に空想を描いているのだ。よくわからなかった。これが現実である保障はない。すべてが空想のようである。そういうのが好きなのだ僕は。

 女が母のときと同じように出産時の出血多量で死に、子供が十七になって母の死の顛末を知り、そしてある日、縁側で紅葉の空想を見る。

 この女が死ねばあり得るかもしれない。生きていれば来週の、二月一日の誕生日になにか買わなければならない。なにもあげないのはいけない、だがそれだけだ。

 女は美しく顔を歪ませ、叫んでいる。生きているのか、死のうとしているのか、『そういうの』がいやな僕は……なによりも、将来、どうやって死ねばいいか、それだけを考え続けた。

 

 

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紅葉の影 齋藤夢斗 @toyume1225

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