2【嘘と本心】


 ◆


「…格好が悪ィ」


 瓦礫の上に座り込み、そう項垂れたおれの頭をあの人はぽんと叩いてくれた。


「そんなことはない。貴様のおかげで助かった命だってあるだろう」


 その視線を辿るように振り向けば、母親と再会して喜びあう子供の姿。それを見てまた、彼女は後ろに縛った青い髪の毛を揺らしてふわりと笑う。

ただおれは女の子を連れ情けなく化け物相手に逃げ惑っていただけだというのに。

おれより少し背の小さい女性が、生傷を負いながら戦っているのを見ていただけだというのに。


「………すまねえ」


「あ?」


「あんたが戦ってるのに、何も出来なくて」


 たとえ口から吐き出したとて、情けない事には変わらない。

だがこの言葉を抱え込んだまま「ありがとう、さようなら」と去るのはもっと自分が情けなくなる、そう思い口に出さずには居られなかった。

 結局の所おれは弱い自分を許すすべを自分で持つ事が出来ないから、他人に許されようとしている。

卑怯なヤツだ、と自嘲して、また俯く。


「…余は貴様の助けなど必要ないが?」


「…っ」


 ため息をついた彼女から返ってきたのは許すでもない、むしろはっきりと突き放す言葉だった。

冷たく、鋭く、絶対的な強者の視線。それはとても鋭利で、容赦なくおれの心を突き刺して行く。


「…だが、「助けたい」と必死に手を伸ばそうとする姿勢には敬意を表するよ」


「えっ…」


「その優しさだけ大事にしておけ、だが決して使命感を持ったり大義名分を用意するな。…それが生じた時点でお前のそれは本心からの行動ではなく功名心による「無理」「無謀」「無茶」になる」


 切なげに、こちらを遠ざけるような口調で彼女は踵を返し去ろうとする。

高潔、そんな言葉が脳によぎった。

おれが目指す男の道は、あの人が進む先にあるのだ。

おれが自分を許せる大きな男になるための目標は、きっとあの人の所にあるのだ。

端から見れば暴走と言えるだろう。

だがそうせずにはいられない気持ちを、確かにあの人は認めてくれた。

だからこそあの人の忠告なんか蹴ってやる。おれは空のてっぺんでも地の果てでもあの人について行きたい!

そう思った時には、すでに脚は彼女を追いかけていた。


「姉御ーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 ◆


「仮定」や「不確定要素」や「ない話」が好きだ。

 もしも~だったら、という想像はどんな時にでもできる人間だけに許された最高の暇潰しだ。

現実味があっても、椅子からばたんと後ろに倒れてそのままぶっ飛ぶくらいに突飛でもいい。

とにかくそんな虚構の世界に入り込むのが好きだ。

頭の中で溢れる虚構の塊からふと拾い上げてみた何かが、嘘ではなく本当になる瞬間はとても嬉しいし、虚構の物語をまるで本物のように感じさせてしまう演劇を見るのは大好きだ。

 そういう幼少期を送っていたからか、物語を考える事は好きだ。

ただし、物語の結末までを考えるのは苦手だった。あれこれこねくり回している時間はとても楽しいのに、その時間を終わらせたくない気持ちや想像の限界にぶち当たってしまうことも多かった。

そうして数年が経っても、僕の悪癖は治る事はなかった。

それどころか結末はとにかくハッピーエンドを強く望むようになって、それが見えなければ投げ出したり。

数年経って、そもそもに結末を用意することこそ愚かしい事だと少し思うようになった。



 もし姉さんが病に倒れなかったら、もっと美人さんになっていたんだろう。

そうしてあのにやにやとした笑いをこちらに向け、恋に悩める僕へ偉そうに無責任なアドバイスでもしてケラケラと他の友達との話の種にでもするだろうな。

 もし姉さんが結婚するなら、それはきっと世界の何より綺麗なんだろう。そしてその横に立つ人は、とても誠実で格好良い人。

そうしてしばらく経ってまだまだ今が楽しくて先の事なんて考えられない僕を見ながらそれはもう天使のような子供を抱いて幸せそうにして。

それから数年後、僕は姉さんの娘や息子達の小さい頃の思い出話をして。姉さんはしれっと流れ弾を僕にぶつけていくのだろう。

 それから、それから━━━━━━



 もし父さんと母さんが小さい頃の僕を受け入れてくれていたら。

僕はあの時からずっと姉さんで居られたのだろう。


 もしも僕が姉さんにならなかったら。

きっと姉さんは15歳から先の歳を重ねることなんて出来なかっただろう。


 もしも姉さんが僕に冷たい姉だったら。

僕はせいせいした気持ちで今日一日一日をあんたの分までしっかり生きてやると得意げにしてたのだろう。


 もし死んだのが僕だったなら、姉さんは

━━━━━━僕と同じようにしてくれただろうか?




 ほらな、くだらないことだ。

振り返って幸福を望み過ぎると、『そうはならなかったこと』が苦痛になる。

だから嫌いなんだ、はっきりした現実も都合のいい結末も。


 結局、『もしも』にだって限界はある。過去はどこまでもついて回るし、それが正しい未来で無かったとき、その喪失はとても大きい。

だからこそ幸福であれ不幸であれ『想像以上』を手にするには選択肢という概念を放り投げて本能のままに行動するしかないのだろうな、とそこの無骨な見た目の大男を見て改めて思う。


「姉御ォ!この荷物どこに運べば良いっスかー!」


「姉御じゃなくてな。おねーさん。とりあえず先に裏からハシゴ出した方がいいんじゃない」


「僕」こと天越あまごえつばさの実家は、家族で営む骨董品屋だ。

骨董品屋、という肩書きもほぼ父の格好をつけた体裁であり実情は品物を問わぬほぼ中古ショップ。僕はその店番をやっているというわけ。

で、そこで頼みもしないのに甲斐甲斐しく力仕事に精を出しているのが件の大男━━常守つねもりほのかである。本人にそんな意思はまったく無いのに誰彼構わず険を含んだ視線をぶつけていると誤解されがちで気の弱い人なら一目で泣き出す、そんな顔にコンプレックスを持つ男だ。例えるならリアルめな熊の皮を被ったテディベアといったところか。

 一応、忠告はしたはずなんだ。忠告は。下手に関わって命を落とすような真似はするな、と。

ただ伝わり方が不味かったのか、僕に憑依していた相手の言葉選びが悪かったのか。同じ学生なんだから決して暇ではないだろうに、一日中ついてきて舎弟まがいの事をしたり放課後勝手に家の仕事を手伝ったり。

挙げ句の果てには僕が倒れていた時、勝手に変身して戦って性転換してしまうなんて目に遭うわけだからどうしようもない。

 そんな彼を不思議と嫌いになれなかったのは、きっと彼が僕にとっての『想像以上』で、僕のまぶしい理想の体現者だと信じたからに他ならない。


「ほのかちゃんってさ」

「何スか」

軽々と梯子を持ち上げながら、彼が振り向く。

「後悔ってしたことある?」

「一度だけッス」

「お、言い切るねえ」

不思議と強がりだとは思わなかった。茶化すつもりならもっと語尾を伸ばしているし、彼が一度だけ後悔するなら多分、これは自惚れかもしれないけど、と前置きした上で━━━

僕との初対面だろうな、と大方予想はつくからだ、うん。


「おれの場合、『あの時ああすれば』より『どうすりゃいいんだ』の方が多いスから」

「で、突っ走った後の事は気にしない…と」

「…格好、悪いスか」

「んー?おねーさんは良いと思うよ、見た目通りでさ」

「…マジ?」

「んふふふっ」

 別に皮肉を込めたわけでもないけど、褒め言葉として受けとるのかという驚きはあった。性格、名前、見た目のアンバランスさから来るコンプレックスを考えると案外彼には‘’見た通りの評価”は嬉しく感じるものらしい。

無邪気にぱあっと綻ぶ顔を見ると、なんだかこっちまで気が緩んでしまうじゃないか。

「うらやましいよ、キミが」

「え?」

「こっちの話」

 彼の紡ぐ言葉は単純で、素朴で、裏表がない。

故に内包された真意が妙に僕の沈んだ思考を引き上げてくれるのだろう。

道が見えなくてもただただ突っ切って行く。得ようが失おうが自分の勝手。

それを逃げるための方便として使う僕と違って彼は後悔を忌避して虚言を並べ立てるのではなく、そもそも後悔しない生き方を無意識にしている。

どんな苦難に見舞われてもどこまでもまっすぐに自分を信じて疑わず、とりあえず一歩踏み出せば後は走りきるだけ。そんな生き方こそ肝要なのだと。


「手伝うよ、ほのかちゃん」


「…それ辞めないとおれも姉御呼びやめないッスよ?」


なんとなく、命を張ってまで僕を助け今また献身する男に倣い、僕も今日は気まぐれに任せることにした。

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ウチノコネタ 3806 @yayoi3806

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