百五話:黒カマキリの宅急便


 森の中でかくれんぼがしやすそうな緑色の服。

 明るい黄色の髪と僕へと向けるその綺麗な緑の瞳が、マルタを思い出させる。

 みんな元気かな。


 男のヒトが一歩、また僕達へと近づく。

 その手に持った弓に張られた糸を外すと、矢筒と一緒に地面に置いた。

 タイショウ達が使っていた弓よりも大きいし、木で作られているみたい。


「誇り高き森の守護者よ、二つ訊ねたい。先の号令はその者についてか。我らが領域にこれ以上接近する意思はあるか」


 鋭い視線が、黒いカマキリさんへとまっすぐ向けられる。

 どう答えるのか気になって、僕もカマキリさんを見上げる。

 僕を見下ろしていたカマキリさんと目が合った。


 え?


 カマキリさんが動いたと思ったら、ヒョイっと右の鎌で僕を掬い上げ、ふわりと上がった僕を両方の鎌で掴む。

 口をぽかんと開けたヒト達を残して、そのまますたたーっとその場をあとにした。


 答えないの!?


 魔力感知でみてみる。

 うしろに残した緑色の服を着たヒト達が不思議と追ってはこない。


 “りょういき”って、たぶんあのヒト達のお家がある辺りのこと?

 そこに僕達が近づいたから、お話を聞きに来たのかな。

 それで黒いカマキリさんが僕を持って、お家から遠ざかったから、あのヒト達も安心した……とか?


 ちゃんとした理由はまだわからないけれど、怖がらせちゃっていたから、カマキリさんがささっと運んでくれて、よかったかも。

 お家は気になったけれどね。うん。すごく。


 ヒトの頭よりすこし大きなダンゴムシさんがまるくなって転がっている姿を横目に追い越し、しゃべる蛾さん達や大きな蟻さんの行列の横を通って、まっすぐにどこかへ向かう黒いカマキリさん。

 しばらくすると、先に丘があるのか、左側の木々の間から地面の盛り上がりが見え始め、それからすぐにぽっかりと口を開けた洞窟が前の方に見えた。


 洞窟には蛾さんや蟻さん、ほかにもたくさんの虫さん達が出入りしているみたいだった。

 中にいる虫さん達の羽音が響いているのか、洞窟からは低い唸り声のような音が聞こえてくる。


 あそこに行くのかな?

 もしそうなら……なんだかドキドキしてきた!


 洞窟の入り口がどんどん近づく。

 ドキドキにわくわくがあわさる。


 黒いカマキリさんはするーっと洞窟を通り過ぎて、


 えっ?


 また木々の間を進んでいく。


 あー。


 洞窟がどんどん遠くなっていく。

 行き場を失ったドキドキわくわくが、もやもやに変わっていく。

 思わずがっくりと下を向いた。

 視界の上から下へ過ぎていく草や紫色のキノコ、木の根っこを見送る。


 僕が勘違いしちゃっただけだし、もう忘れよう!

 うん、忘れた! 洞窟なんてなかったよね!

 それに、今度また来た時に入れるかもしれないし! あ、忘れないと!


 がんばって洞窟のことを忘れようとしていたら、黒いカマキリさんが足を止めた。

 ゆっくり体を前に倒し、僕を地面に下ろす。

 辺りを見回すと、すぐうしろに森と森の間にあるさかいを見つけた。


 雨。こっち側には降っていない雨が、境の向こう側で降っている。

 広がる水溜りも、不思議とこっちには流れ込んでいない。

 あんなに降っていたら、ザーザーと音が聞こえそうなのに、聞こえない。

 本当に不思議。


 でも、タイショウ達の森から雪降りの森を見た時と似ている気がした。


『あっちの森を抜けたらガルドに行けるの?』


 黒いカマキリさんに向き直って、聞いてみる。

 カマキリさんはゆっくりと僕に背を向けて、しゅたたーっと去っていった。


『ありがとー!』


 その姿が見えなくなった枝葉の向こうへ。

 返事の代わりに、鈴の音が聞こえた気がした。

 よし! と気合いを一つ。

 さあ雨が降る森へ足を踏み入れようと、足を上げ――うしろでガサガサと草が擦れる音がした。


 黒いカマキリさん?


 もどって来てくれたのかと、ふり返る。

 視界に入ったのは、大きな蟻さん達。

 やわらかそうな土団子を一つずつをくわえた蟻さん達は、ぞろぞろと一列になって境を越えて、雨が降る森に消えて行く。


 あのお団子、どうするんだろう?


『僕もついていってもいい?』


 続々と雨の降る森へと進んでいく蟻さん達に聞いてみるけれど、聞こえていないみたい。

 それならと、ためしに隣りを歩いてみる。

 黒いカマキリさんに運んでもらった時もそうだったけれど、蟻さん達に僕を気にしているような様子はない。


 このままついて行こうっと!


 蟻さん達に続いて境を越えると、冷たい空気が僕を迎えた。

 雨がたくさん降っているから、濡れた土や木の香りが強い。


 ぴちゃぴちゃと水の音を立てながら、蟻さん達と進む。

 蟻さん達は、生えている木の枝葉が傘になってくれるところを選んで歩いているみたいで、雨を気にしなくても大丈夫。

 けれど、大きな水溜まりは、僕が歩くところまで広がっているものがたくさんあるから、すこしたいへん。


 ……! わっぷ。


 地面にくぼみがあったのか、ずぽりと右前足が水溜まりの中に沈み込み、顔に水がつく。

 こういう時は、はやく大きくなりたいなって、思っちゃう。

 すこし前は、小さくなれてよかったって、思っていたのにね。


 くぼみに気をつけて、水溜まりを一つ一つ越えて行く。

 三つ目くらいで、魔力感知で水溜まりの中をみれることに気がついて、くぼみを避けながら、すいすい進めるようになった。


 まだどういうものかよくわからないけれど、魔力ってすごい!

 だって、濁った水溜まりの底もみえちゃうんだもん!


 余裕が出来たから、周りに目を向けてみる。

 傘代わりになってくれている木は、みんな同じ木みたいだった。

 どの木の枝も上向きに伸びていて、枝の途中に葉っぱはなく、先にだけ葉っぱがある。

 下から見ると、大きなキノコの下にいるみたい。


 前の方に、蟻さん達があつまっている場所が見え始めた。

 蟻さん達があつまっているところは晴れているのか、不思議と明るい。

 上を覆っていた枝葉が途切れ、降り注ぐ雨が頭を濡らす。

 そのまま蟻さん達と一緒に歩いていると、雨が止んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る