百三話:黒い鎌と鈴の鳴る森


 上は厚い雲とその間から見える森。

 下は一面の空にまぶしい太陽。

 体がくるりと回ると、上と下が入れ替わる。

 足を動かしても、体を反らせても、くるくる回る。


 うーん、目が回っちゃいそう。


 どうすることも出来ないから、魔力で作った壁で周りを囲んでその形を変えたり、いつかの狼先生みたいに棒を出したりする。

 練習に夢中になっていれば、この目のぐるぐるもすこしはよくなるはず。

 それにしても結構飛んでいる気がするけれど、どこまで行くんだろう?


 そんなことをしていると、だんだんと進む向きが下になった。

 雲の間を抜けて、みるみる内に木々が近くなる。


 ぶつかっちゃう!


 周りを覆う壁に魔力を足し、体中の魔力の流れを速くして、衝撃に備える。

 バサッと大きな音。

 視界が葉っぱの緑で埋まり、体が浮いているような感覚。


 もしかして、枝に引っかかっちゃった?


 試しに周りの壁を消してみたら、するりと葉っぱの間をすり抜けて、なにかやわらかいものの上に落ち、ボヨンと弾んで地面に着地した。


 ど、どこも痛くない!

 ワトソンと赤い骸骨さんのおかげかな?

 それとも、さっきのやわらかいもののおかげ?

 どっちもだよね! やったー! ありがとー!


 シャッ、シャッ、シャッ……。


 ワトソン達へのお礼を空に向かって叫んでいると、ちょうど僕を受け止めてくれたなにか・・・がある方から、薄くて硬いものを擦り合わせているような音が聞こえてくる。

 ゆっくりとふり返ると、木陰で大きな影が起き上がっていた。


 揺れる木漏れ日の中から現れたのは、まっ赤なカマキリさん。

 その背は大人のヒトがふたり分――赤べえの尻尾から頭まで――くらいだけれど、大きなお腹を入れると、赤べえがふたり分はありそう。

 もしかしたら、もっと大きいかも。


 すごい! こんなに大きなカマキリさんは初めて!


 なんてついつい見ていると、カマキリさんと目が合った。

 カマキリさんが大きな鉈に大きな鎌が付いた様な前脚を挙げ、シャランと硬そうな音を立てて、その四つの翅を広げる。

 翅の間から赤い火の粉が舞い、一つ一つ意思を持っているみたいに、カマキリさんの周りを漂い始めた。


 あ、絶対怒ってる!

 たぶんお休み中だったのに、僕が上に落ちて起こしちゃったんだ!


 カマキリさんの両前脚に火の粉があつまる。


『ごめんなさーい!』


 嫌な予感がしたから、うしろじゃなくて、カマキリさんの左側に回り込む様に避ける。

 ふり下ろされた両前脚から、炎の波がさっきまで僕のいた場所を呑み込む様に広がり、その先の木に触れる前にぶわりとうねって消えた。


 イルフロルだったり、はなまるの目だったり、なんだか近頃は火が向かって来ることが多いなぁ。

 でも、今回は木に火が燃え移らなくてよかった――って、わあ!


 カマキリさんが翅で体を浮かせ、その場で素早く向き直り、僕を見下ろす。

 次々とふるわれる前脚と放たれる炎をよく見て避けながら、うしろに下がり、カマキリさんに話しかけ続ける。

 けれど、カマキリさんは脚を止めず、前の赤い翅を広げたままにうしろの白い翅をバタバタと動かして低く飛び、僕を追いかけてくる。


 怒りで聞こえていない?


 カマキリさんがくるりと回ると、火の粉が舞い、翅が地面を抉り取る。

 僕は起きた風に煽られてコロコロと地面を転がり、こつんとおしりが木に当たって、お腹を上にして止まる。

 目の前のカマキリさんがふり上げた前脚には、火の粉があつまっていなかった。


 燃やしちゃうかもしれないから、木の近くじゃ使わないんだね。

 それより、今カマキリさんは飛んでいる……だから!


 前脚がふり下ろされる前に木を蹴って転がる。

 カマキリさんの脚の間を転がり、お腹の下を通ってうしろに回ると、思いっきり上に跳ぶ。

 ふり向いたカマキリさんが、僕を見失って動きが鈍る。


 ごめんね。

 これで、一度止まって!


 ちょうど下に来たその頭に向かって、僕は右前足をふり下ろ――す前に、カマキリさんの上半身が右にかたむいて、僕から頭を遠ざけた。


 あ、まずい。


 落ちていく僕の体。

 昇ってくる火の粉。

 鼻先に魔力をあつめる僕に、カマキリさんの大きな鎌の様な足が伸びる。


 あの鎌とその下の棘が付いた鉈の様なところで挟まれたら、絶対に逃げられない。


 あつめた魔力で鎌と僕の間に横向きの壁を作り、それを蹴ることでカマキリさんから離れながら地面に着地する。

 カマキリさんは僕が残した透明な壁に前脚が引っかかったみたいで、すこしの間止まっていた。

 けれどすぐに壁を壊すと、もう一度その両前脚に火の粉があつまる。


 カマキリさんと見つめ合う。

 炎を僕に絶対に当てられる時を待っているのか、カマキリさんは動かない。

 カマキリさんが炎を放つ時を待っているから、僕は動けない。

 でも、今の内にまた魔力を鼻先にあつめておく。


 近くで放ってきた時は、地面に向かってだったからか、炎が広がらなかった。

 けれど、最初にすこし離れた僕に向かって放たれた炎は、横に大きく広がっていた。

 炎の波は僕よりたぶん速くて、今は最初と同じくらい離れている。

 今動いてもきっと追いつかれちゃう。


 あんまりやりたくはないけれど、また木に近づいて、その影に隠れながら逃げる?

 でも、飛ぶのも結構速かったよね。


 見えるところにある木の中には根っこが出ていたり、横に枝が伸びているものがあるけれど、カマキリさんが翅を広げても大丈夫なくらいにはところどころ間が空いている。

 それに、大きいと言ってもカマキリさんだから、横にそんなに広くない。

 もっと狭くても、飛ばずに僕を追いかけるくらいならきっと出来るはず。


 思いっきり走って、どれくらいでふり切れるかな。

 ふり切ろうと逃げている間にも、きっとカマキリさんは炎を放ってくる。

 魔力の膜で体を覆ったら、あの炎も大丈夫、かも?

 やっぱりもう一度、お話が出来るか試して……!


 右側の木々の間から、なにかを擦る音が聞こえた。

 すごく小さな音だったけれど、カマキリさんが翅を広げる音と似ていた気がする。

 カマキリさんは弾かれたように音の方へ向くと、僕にしたようにぴんと翅を広げ、前脚を挙げる。

 一つ違うのは、舞う火の粉が僕の時よりもずっと多かったこと。


 足音も翅音も立てず、木々の間から新たなカマキリさんが現れる。

 赤いカマキリさんよりも小さく、背は大人のヒトよりすこし高いくらい。

 黒い体が太陽に照らされて、赤や緑、青と、いろんな色に輝いていた。


 黒いカマキリさんが、先が剣先の様に尖った黒い翅を静かに震わせる。

 その翅の間から、赤を始めとして黄色、白、黒、青と光達が舞うと、赤いカマキリさんのそれを追い出すみたいに辺りへと広がり、漂う。

 わけがわからなくても、その光の数に、色の数に、黒いカマキリさんと赤いカマキリさんの間にある差を感じた。


 火の粉だと思っていたけれど、違ったみたい。

 メラニーが言っていた属性ってやつなのかな。

 まあ、今はそれよりも!


『僕が落ちてきて痛かったよね。急に起こされてびっくりしたよね。ごめんなさいカマキリさん! 傷つける気も起こす気もなかったの! すぐにここから出ていくから、怒りを鎮めて!』


 今がチャンスと赤いカマキリさんに謝る。

 けれど、赤いカマキリさんは黒いカマキリさんの方に気を向けているみたいで、時々うしろの翅をバタバタと動かし、威嚇を続けていた。


 僕が着地する時をちゃんと考えていなかったから、赤いカマキリさんを怒らせちゃったし、このままだとカマキリさん達が喧嘩になっちゃう。

 休めるところを見つけていないけれど、いざとなったら全力で止めないと。


 黒いカマキリさんがまた翅を震わせる。

 新しくふわりと舞った青色の光が、風に乗る様に森の中へと消えていく。


 りりりりりり……。


 緑の光が消えてからすこしも経たずに、どこか遠くから小さく鈴の音が聞こえ始めた。

 すると、赤いカマキリさんの頭の触覚がピクッと動き、前脚を下ろす。

 赤いカマキリさんの周りを舞っていた光が、吸い込まれる様にその翅の間に収まっていく。

 それを見て、黒いカマキリさんも辺りに散らしていた光を収め始めた。


 光をすっかり仕舞い、翅を畳んだ赤いカマキリさんが去っていく。

 その背中にもう一度謝る。


 だって、赤いカマキリさんは眠っていただけで、悪いのは落ちてきた僕だもん。


 赤いカマキリさんは立ち止まってふり返り、じっと僕を見つめたあと、不思議と焦げた跡のない地面を残して、木々の中へと姿を消した。


 赤いカマキリさんがいなくなり、僕と黒いカマキリさんが残る。

 お礼を言おうと思ったら、黒いカマキリさんも僕に背中を見せる。


『待って!』


 僕の声が届いたのか、黒いカマキリさんが立ち止まる。


『さっきは赤いカマキリさんを鎮めてくれてありがとう! 助かったよ!』


 聞いてくれているのか、黒いカマキリさんはその場でじっとしてくれていた。

 僕が言い終わってから、すこししてもじっとして…………あれ?

 もしかして、僕を待っている?


 試しに側まで駆け寄ってみると、黒いカマキリさんが歩き出す。


 やっぱり! 僕を待っていたみたい!

 でも、なんで? 僕と黒いカマキリさんって、初めて逢ったんだよね。


 ふと、僕を剣で投げる前に、ワトソンが小さな鈴を持っていたことを思い出す。


 もしかして、あの鈴で黒いカマキリさんに僕のことを伝えてくれていたのかな。

 もしそうだったら、ワトソンに今度お礼を言わないとね。


 言わないといけないお礼が増えたことにうれしくなっていると、立ち止まっていた僕にしびれを切らしたのか、ふり返った黒いカマキリさんがその体を僕へと倒し、僕を両前脚の間にやさしく挟む。

 黒いカマキリさんがそのまま僕を持ち上げようとすると、僕の体がするりと地面に下りる。

 もう一度僕を持ち上げようとするけれど、上手くいかず、黒いカマキリさんはピタリと止まった。


 鋭い鎌や棘で僕が傷つかないようにがんばってくれている。

 それがすごく伝わってきて、なんだかうれしい。


『ありがとう! もう急に止まらないから、大丈夫だよ!』


 黒いカマキリさんが体を起こし、森の中を進み始めた。

 けれど、また僕が止まると思っているのか、黒いカマキリは時々チラッと僕の方へ見返る。

 その姿にほんわかとしたものを感じつつ、僕は鈴の音が微かに聞こえる森の中を歩き始めた。

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