百二話:とどいていますか


 広場のまんなかで、ぽつんとひとり立つ黒い鎧の骸骨。

 僕達に背中を向けて、ひたすらに空を見上げている。


 あのヒトが、ワトソン。

 タイショウが言うには、あのヒトにガルドの場所を聞けばいいんだっけ。

 タイショウの友達……なのかな?


「漆黒鎧……リッチ」


 そう呟いたニトが、「わたし、逃げたくなってきました」と続ける。

 “しっこく鎧”はなんとなくわかるけれど、“りっち”ってなんだろう?

 スケルトンナイトみたいな呼び方なのかな?


「あ、あれ? そういえば何で知ってるんですか?」


「本人から聞いたからだ」


「ふえあっ?!!」


 おどろいたニトが大きな声を上げる。

 けれど、ワトソンはこっちにふり返ることもなく、ピクリとも動かない。


 なにを待っているんだろう?


 小さな疑問が浮かんで、すぐに消えた。

 ガルドにどうやって行けばいいか聞きたいし、とりあえずあいさつしてみよう!

 ワトソンへと僕は歩き出すと、「ほ、本当に行くんですかー!?」ってニトが声を小さくしながらついてくる。


 ワトソンに近づいていく内に、さっき見つけた時には目に入らなかったものが見えてくる。

 それは、足の先から頭まで身を包んだ黒い鎧や兜に刻まれたたくさんの傷跡。

 スケルトンナイト達の鎧は傷もなくて綺麗だったけれど、どう違うんだろう?


「ワトソン」


 追いついたシュガちゃんが、僕のうしろからその名を呼ぶ。

 なにかを握っているわけでもなく、だらんと下ろされていたワトソンの右手に力が入り、ギッと革が擦れた音がする。

 ゆっくりとその体が僕達へと向いていき、ついにその兜から覗く白い顔が、なにも映さない窪んだ目が、僕達へと向いた。

 だれかが――たぶんニトが――ごくりと喉を鳴らした。


 立派な鎧を着ているからか、思ったよりも大きい。

 すこしの間、僕達はあいさつを忘れて、ワトソンを見ていた。

 ワトソンもなにを言うでもなく、じっと僕達を見ていた。


「……た」


 た?


 ワトソンの小さく開かれた口から、たしかに“た”と聞こえた。

 顔の向きから見ると、シュガちゃんを向いて言っているみたい。

 ワトソンが、もう一度その虚空から言葉を発する。


「黒い、眼鏡の男」


 “た”はどこへ行ったの?


「先程言ったはずだが……俺はシュガーだ」


「眼鏡。黒い眼鏡」


「これはサングラスだ」


 シュガちゃんがなんどもサングラスって教えるけれど、ワトソンは変わらず「黒い眼鏡」と小さく繰り返している。


 うーん、言い間違えだったのかな?

 じゃあ、僕もあいさつしたいな! ガルドの場所も知りたいし!


『はじめまして! 僕は若葉!』


 ピタッとワトソンの呟きが止まる。

 その膝がすこしずつ曲げられて、ガシャリと地面に膝が突かれる。

 体が前に傾けられると、ワトソンと僕の目が合った気がした、


「おぉ……白い。小さい」


 ワトソンが僕へと手を伸ばす。

 その黒っぽい鉄で作られた籠手の指先が、震えていた。


 仲良くしてくれそうかも?


 僕がそのままじっとしていると、ワトソンは両前足のわきに手を入れて僕を持ち上げる。


「白い。小さい」


 僕に顔を近づけて、ワトソンが「白い」と「小さい」を繰り返す。


 僕からもなにか言ってみる?


『ねぇ、僕もワトソンって呼んでもいい?』


「小さい」


『タイショウにガルドの場所を知っているって聞いたんだけれど……』


「白い」


 うーん、なんだか僕を気に入ってくれたみたいだけれど、お話はしてくれない?


 鼻先を上に向けて、うしろにいるシュガちゃんとニトを見る。

 シュガちゃんはなにかを考えている様子で口元に拳を添えていて、ニトはシュガちゃんのうしろに隠れて僕とワトソンを代わる代わる見ていた。

 なんだかとっても警戒しているみたい。


 ワトソンの方に顔を向き直すと、近づいていたワトソンの顔に僕の鼻先が触れそうになる。

 おどろいて頭をうしろにすこし引く。

 ワトソンのぽっかりと空いた目が、僕の頭の上を見ているような気がした。

 いつの間にか、ワトソンの呟きが止まっている。


「ゴブイチか」


 ごぶいち?


 ワトソンが発したのは、聞いたことがある名前。

 たしか、カンタラにいた時だけれど、だれが言っていたんだっけ。


 ゆっくりと地面に下ろされる。

 頭の上の木箱が掴まれて、縁で繋がっている僕の頭と一緒に持ち上げられそうになる。

 けれど、すぐに取れないことに気が付いたみたいで手が離され、代わりに首周りを撫でられる。


 この撫でられ方、結構好きかも……じゃなくて、ワトソンは木箱を見て“ごぶいち”って言ったみたい。

 この木箱をくれたのは――


『タイショウのこと?』


 撫でるその手がピクッと止まって、また動き出す。


「大将。あの偏屈者にも、従える者が出来たのだな」


 僕の頭の上からワトソンの視線が外れた気がする。


 偏屈者。

 これはばっちりタイショウのことだね!

 従えるなんちゃらは、リウゴ達のことかな?

 うん! たぶんそう! みんな元気にしているといいな!


「どうやら、あれもまだまだ元気なようだ」


 僕のうしろ辺りにワトソンの視線を感じると思ったら、僕が気づかずふっていた尻尾を見ていたみたい。

 タイショウ達を思い出して、うれしくなっちゃった。


『うん! みんな元気そうだったよ!』


 ワトソンはゆっくりとうなずく。


「そうか。この者がそう・・なのだな」


 ん、なんのこと?


 ワトソンは立ち上がり、僕達に背中を向ける。

 ぶわりと、地面に刻まれた模様から怪しい黒い光が滲み出す。

 なんだか辺りが暗くなったと思ったら、厚い雲が空を覆い始めていた。


 偽りの輝く白い太陽。

 寂黙者じゃくもくしゃの喝采。


 ワトソンが言葉を重ねるごとに、黒い光が強くなっていく。

 不思議なことに、雲でうす暗い中でもその黒ははっきりと見えた。


 魔気纏わせ。

 死神騙し。

 グリッドレイの旗の下――来れ香母酢の歌い手カボスエンチャンター


 綿花が舞う様に黒い光がふわりふわりとワトソンの前にあつまっていき、うずくまったヒトの形を作っていく。

 フッと光が消えると、そこには、ボロボロの布を纏った赤い骸骨がいた。


「……滅裂の歌い手カオスエンチャンター


 赤い骸骨が呟いた気がしたけれど、よくわからなかった。


「カボスエンチャンター、この者に守りの印を」


 そう言って、こっちに向き直ったワトソンが、右手をよこに伸ばす。

 ぐわんと不思議な音がして地面に底の見えない穴が開く。

 どこか遠くから火花が散るような音がすると思ったら、どんどんそれが近くなってくる。

 音がすぐ間近に聞こえるようになると、穴から紫色の稲光が溢れ出し、とっても大きな黒い剣がその姿を現した。


「汝は堅固けんご。天蓋より堕ちれども無傷むしょう紫雲ノ獣しうんのけものの牙すらその身穿つ事敵わず。定刻不変のさがは姫の降り神おりがみが如く」


 赤い骸骨がぽそぽそとなにかを言いながら、僕の体にぺたぺたと触れて離れる。

 それを見ていたワトソンが右手で剣を握り、穴から引き抜く。

 またぐわんと不思議な音がして穴がなくなると、ワトソンが僕へとその剣先を向けた。


「この記憶が確かならば、ガルドはこの地より北。森を出て、ジャロという草原の中にある。ワカバよ、我がつるぎに乗れ。草原にまで届かせることは出来ぬが、走る手間をすこしばかり無くしてやろう」


 どうやってかはわからないけれど、ワトソンがガルドの近くまで送ってくれるみたい。

 やった!


 ワトソンにお礼を言って、その剣の上にのる。

 剣がゆっくりと持ち上げられて、同じくらいの目の高さになったニトやシュガちゃんと目が合う。

 シュガちゃんは口角をにっこりと上げているけれど、ニトはなんだか不安そう。


『じゃあ、ガルドに行くね!』


「おう。いい空の旅を」


「ちょ、ちょちょっちょ、ちょっと待って! 大丈夫なんですかこれ!」


 なんだか慌て始めたニトに、シュガちゃんは「……知らん」と返す。

 もしかして、ワトソンがどうやって送るのかわかっているのかな?

 なら、教えてほし――


「いいか」


 視線をワトソンに向けると、僕がのった大きな剣を軽々と右手だけで持って、空いた左手で音の鳴らない小さな銀色の鈴をふっていた。


 あれも準備の一つなのかな?


 ワトソンにすこしだけ待ってもらって、ニト達に視線をもどす。


『ニト! 短い間だったけれどたのしかったよ! また一緒に探検しようね!』


「は、はい! わたしも楽しかったです!」


『シュガちゃん! ニトをよろしくね! 方向音痴だから!』


「ああ、心得ている」


 不安そうだったニトの顔が、すこしよくなった気がする。

 これで僕がいなくても、きっと大丈夫だよね!


 これでよし!


 待ってもらっていたワトソンにもう一度お礼を言う。

 ワトソンは鈴をしまうと、剣を両手で持つ。


「行くぞ。前を向け」


 ワトソンの声に、自然と足に力が入る。


 前ってワトソンの方でいいんだよね?


カンイツセキジンセイギョウヨウテンドウ


 ワトソンの口から出たキラキラとした粉のようななにかが、風にのっているかのように宙を舞って、僕達の前で空に向かって大きな円を作る。

 粉は円をそのままに、よりあつまって文字のようなもの達を模ると、黄色に光って、溢れる様に出した紫色の霧で円を覆う。


 なんだかドキドキしてきた。


 グッと剣を握っていたワトソンの手に、力が込められた。

 たぶんだけれど、くる。


 剣が紫色の霧の円へとふり下ろされ、のっていた僕は円をくぐる。

 ぐんっと体が持ち上げられる感覚。

 雲で灰色の空に一筋の青が伸びて、広がっていく。

 僕の体がその青に吸い込まれるように、落ちるように、飛んでいく。


 どうやって送ってくれるのか気になっていたけれど、まさか投げるなんて思わなかったよ!

 あ! あいさつしないと!


『いってきまーっす!』


 視界が空の青でいっぱいになった分大きく、うしろにいるみんなに届くように。

 いっぱいいっぱい魔力を込めて、気持ちも込めて。

 思いっきりワンッと吠えてみた。


 届いているといいな。


 飛んでいる間することもないから、ぼんやりと目の前の空を眺める。

 風切り音ですこし耳がつらい中、遠くでコロコロと鈴の音が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る