九十八話:お別れと雷の柱


 ぶうぉーんどしんどしん。

 ぶうぉーんどしんどしん。


「うぃいいいいいい!!」


 雪降りの森の中で、すっごく大きな牛蛙さんの鳴き声のような不思議な音と地面を踏み鳴らす重い音に負けじと、叫び声が響く。

 不思議な音と重い音は、はなまるが走る音。

 叫び声は、舌を噛まないように叫ぶニト。

 僕はニトの隣りで座って、静かに前からの風を感じていた。


 目の前の木々が、はなまるを避ける様に左右にずれて、道を作る。

 そこをはなまるが駆けて、東へと向かっていく。

 ピュイピュイと鳴く鳥さん達が、空から追いかけて来る。


 はなまるが雪煙を上げて着地し、また伸び上がる様に跳ぶ。

 その背中がぐわんぐわんと揺れると、ニトと僕もぐわんぐわんと揺れる。

 それもそのはず。


 だって、僕達は今、はなまるの背中に乗せてもらっているんだから!


 お墓を綺麗にしたあと、東に向かっていることを話したら、はなまると鳥さん達が雪降りの森の端っこまでニトと僕を送ってくれることになったの。

 ニトは猫さん達とのお別れがつらいし、はなまるに乗るのも怖いしって様子だったけれど、はなまるが顔を一舐めしたら、苦しげな顔をしつつも乗る気になったんだ!

 猫さん達にもやっていたし、あれって、はなまるにとってのあいさつなのかも?

 すごいね!


 ニトがふり落とされないように、その手により力を入れる。

 僕は、ちらりとニトとはなまるの間の縁を見る。

 ニトとはなまるの縁は、しっかりとふたりを繋いでいた。


 縁の長さを変わらないようにして、ニトがはなまるから落ちないようにしているんだ。

 前の世界だと、車のシートベルト? みたいな感じかも!

 乗る前にしっかり太くしたから、はなまるが思いっきり走っても、今のところ大丈夫だね! よかった!

 そういえば、体が大きかったから荷台の部分にしか乗れなかったけれど、今ならみんなと一緒に乗れるね! やった!


 うしろへと過ぎていく景色を見送りながら、ひんやり冷やされた空気を胸いっぱいに吸い込む。

 体を巡って、すこし熱を帯びた空気を吐き出す。


 うん! 気持ちがいいね!


「何でぃうっ! 何平気れうられるんでいられるんれるらですか~!」


 わっ、僕に話しかけようとしたニトが、舌を噛んじゃった。

 目元に涙が滲み出して、とってもかなしそう。


 でも、大丈夫!


座布団ざぶとんくずの朝露。輝き夕顔の夜露。水精より贈られし癒しの一滴ひとしずくを今ここに――再生の雫ドロップリジェネレーション!』


 僕の鼻先から放たれた魔力が輝く小さな雫になって、ニトの頭のてっぺんに落ち……ることなく、うしろへと過ぎて行った。


 あれー?


 魔法の雫をうしろに見送りながら、思わずぽかーんと口を開きかけて、下からの揺れで無理矢理閉じられる。


 そっか。

 僕が魔力を放ったところから雫が下に落ちたから、落ちるまでに僕達が動いちゃっていると、上手に当たらないんだね。

 気を付けないと!


 反省しつつ、もう一度。

 ニトの頭のすぐ上に放って、それをニトと縁で繋ぐ。

 あとは、ニトの側から縁を引っ張る……!


 雫がニトの頭に当たり、その体を淡く光らせた。


あいあおーおあいあうありがとうございます!」


『どういたしまして!』


 すこし元気になったニトを見てほっとしたあと、ふと赤べえを思い出す。


 念で詠唱することは、詠唱を止められちゃうことを防ぐって教えてくれた。

 あの時は赤べえが起こした風で、今日はこの揺れ。

 赤べえに教えてもらって、練習していたから、詠唱が出来たし、ニトを助けられた。元気になってもらえた。

 それがとっても、うれしかった。


 また会えた時に、お礼を言わないと、だね。


 森を出てからまだすこしなのに、言いたいお礼がどんどん増えていく。

 狼さん達に赤べえ。そして、もちろんエルピにも。


 胸の奥で眠っているはずのエルピは、あの不思議な木の枝を壊しちゃったあとから、ずっと静か。

 でもそれは、いなくなっちゃったわけじゃない。

 ちゃんとエルピとの縁は見えるし、ここにいる。

 だから――


 起きた時までに、この世界の素敵なところ、もっといっぱい見つけておきたいな。


 意識を前へともどす。

 はなまるによって開かれた森の向こうに、黒っぽい緑色が多めで、どんよりとした雰囲気の森が見えた。

 あれが雪降りの森の向こうにある森で、その手前がこの森の端っこ。

 はなまるとのお別れが、もうすぐそこに見えた。


 はなまるとシグマは、猫さん達や鳥さん達と仲良くなれるといいな。

 お墓は、なるべく長く形を保っていてほしいな。

 冒険者のヒト達にもはなまると仲良くなってほしいけれど、むずかしいかな?

 ニトは仲良くなれたんだけれど……。


 いろんな気持ちがどんどん膨らんで、混ざり合う。

 それは、僕がこの世界に来る前から知っている感覚。

 世界樹の森でもだったし、カンタラでもそう。

 放り出されちゃったゴブリンさん達のところでも、絶対にあった。

 きっと、僕はこれからも同じ感覚に――ううん。

 似た感覚になるんだろう。


 僕はそれを大切に、大切に胸の中にしまう。

 この気持ち達を忘れなかったら、また逢えた時にとってもうれしくなることを知っているから。

 また逢えるって、信じたいから。


 もうすぐ端っこに着くくらいになると、牛蛙さんのような不思議な音がだんだんと小さくなっていく。

 はなまるの足取りがゆっくりになっていく。

 空も心なしか、暗くなってくる。

 元気になったニトの声は、すこし大きくなっていた。


『はなまる!』


 はなまるの大きな耳が、ぴくぴくと動く。

 ふふふ。念だから、耳を向けなくても大丈夫なのにね。


『ここまで送ってくれてありがとう! みんなと仲良くね!』


 僕がそう言うと、またすこし、はなまるの足取りがゆっくりになった。

 気になるけれど、その前に。


『鳥さん達も!』


 鳥さん達がくるりくるりと僕達の周りを飛んで、ピュイピュイと元気に鳴く。

 すっきりとした風が前からするりと吹いて、通り抜けて行った頃には、ニトの表情が一回り良くなっていた。


 鳥さん達が元気にしてくれたのかも!


 鳥さん達にお礼を言っていると、ついにどんよりとした森のすぐ前に着いた。

 はなまるとの縁を緩ませたあと、はなまるの背中から滑り落ちる様に降りる。

 遠くからの色でなんとなくわかっていたけれど、どんよりとした森は、雪降りの森の横にあるのに、雪が積もっていなかった。

 ゴブリンさん達の森と雪降りの森の間でもあった光景。


 なんど見ても、不思議だなぁ。


 なんて考えながらぼーっと眺めていたら、はなまるのさびしそうな声が、うしろからクウクウと聞こえてきた。

 ふり返ると、座った体勢のはなまるの背中から、ちょうどニトが降りてきているところだった。


「ふぃ~。今回は大丈夫そうですぅ」


 ニトがぐっーと伸びをしたあと、握った両拳を肩の辺りで掲げた。


 今回は酔っていないみたいで、一安心。

 あとは、はなまるだね!


 さびしそうに鳴くはなまるの前まで歩いて、座る。

 ニトも思うことがあったのか、僕の隣りに来てくれた。


 はなまるの大きな暗い灰色の体に、雪の白が増えていく。

 そこに鳥さん達が留まって、また白が増えた。

 けれど、はなまるの紫色の炎は、僕とニトに向けられていた。

 ただじっと、僕達ふたりだけを見ているようだった。


『はなまる』


 ぺたんと倒れていた耳がすこし動いて、その上の白がボロリと落ちた。

 元気がない尻尾が、ゆっくりと地面を撫でる。


『またね!』


 ぴょこっと、はなまるの倒れていた耳が立つ。


 思った通り。

 なら、もうきっと、大丈夫。


『また絶対に来るから! だから、またね!』


 はなまるはバウッと元気な返事をすると立ち上がる。

 バサリと暗い灰色の上の白が落ちる。

 鳥さん達が一斉に飛び立つ。


 はなまるが来た道へと向き直ると、歩き出し、だんだんと足に力を入れ始め、走り出す。

 それを追いかける鳥さん達。


 僕と二トは、その灰色の体が小さくなって、雪で見えなくなるまで見ていた。

 口から吐く白い息で隠れてしまわないように、息を抑えながら、じっと見ていた。


「……行きましょうか」


 すっかりと見えなくなった灰色を探していると、ニトが小さくそう言った。


『うん』


 慣れない気持ちを胸に、うしろを向こうとしたその時。


 小さなひそひそ声のような音が聞こえると思ったら、それがだんだんと大きくなって、とっても大きな牛蛙さんの鳴き声のような音になると、それもだんだんと大きくなる。

 音はどんどん高まっていき、ついに頂を迎えると――



 一瞬だけ音が消えた。



 ちょうどはなまるが消えていった先の森の中。

 降る雪を掻き消して、一本の青紫色の光の柱が空へと伸びていく。

 遠くからでもバチバチと聞こえるそれはまるで、今までに落ちた雷が束となって、空へと帰って行く様だった。


『はなまるかな』


「かも、知れないですね」


 柱が消えたあと、呟きに答えてくれたニトへと視線を送ると、うなずいてくれた。

 今度こそ、うしろへと向く。

 遠くで、はなまるの元気な声がした気がした。


「さあ、入りますよ! 骸骨の森へ!」


 うん。次はどんなところで、どんなものがあって、どんな生き物……え。


 思わずぴたっと止まって、先に進んで行くニトの背中を見る。


『がいこつ?』


 がいこつって、骸骨だよね。

 じゃあ、次の森は、骸骨さん? が出てくるってこと?


 立ち止まった僕に気が付いたニトが、不思議そうな顔で引き返してくる。


「ここから先は骸骨の森なんです。骸骨亡霊スケルトンっていう人の骨のモンスターが多くいますから、気を引き締めていきましょう!」


 あ、すけるとんっていうヒトの骨の生き物がいる……生き物?

 モンスターってことは、動くのかな?

 骨なのに? どうやって? うーん。


 すっかり暗くなってきた空を見上げて考える。

 すこししてわからなかったから、僕は一度考えることを止めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る