九十五話:はなまるとシグマ
「知り合い連れて来るんじゃなかったんか!」
しんとした森の中の空き地。やわらかく冷たい雪。白い息。怒る声。
狼さんのような尻尾を丸めて座り、くぅーんと鳴いて、耳を横にしたデストーチ。
その前で両腕をふって袖を暴れさせているのは、まっくろなヒト。
ニトを降ろしてからふたりで話し始めて、ずっとあんな感じ。
僕達はデストーチに追いかけられてここに来たけれど、あのローブのヒトがデストーチにお願いしたからって訳じゃないのかな。
とりあえず、すこし待ってほしいみたい。
ふたりの話を聞いている分だと、知り合いを連れて来ようとしていた感じだよね。
でも、なんのために? うーん、わからない!
お話を聞きつつ、なにもしないで待つのもなんだったから、木箱でローブのヒトの背丈を数えてみた。ローブのヒトの背は、木箱が十二個分くらい。
木箱の背は五センチだったはずだから、五センチが十二個で……うん、いっぱい。
じゃなくて、えっと、五十と十。うん、六十センチくらい。
今の僕よりも大きいけれど、すこしくらい狭いところなら、簡単に入れそうだね!
「はぁっ、んっ、はぁ……や、やっと、落ちつい、て、きましたぁ……」
僕からすこし離れてうずくまっていたニトが、苦しそうな表情で顔を上げる。
たくさん走ったあとに、デストーチに咥えられたり、その背中にのせられたりしてふり回されちゃって、酔っちゃったんだって。
おまけにデストーチに咥えられた時に付いたのか、服がヨダレでびっちょりで、それを取ろうとして地面を転げ回ったら、酔いがひどくなっちゃったみたい。
ヨダレは落とせたみたいだけれど、代わりに泥が服に付いちゃっているね。
あ、頬っぺにも。
ニトの背丈も木箱で数えようと思ったんだけれど、数えている途中に動かれちゃったし、どこまで数えたか忘れちゃったから、まだメラニーより背が高くて、マルタより背が低いとしかわかっていない。
それに、これはあとから気が付いたんだけれど、僕、メラニー達の背がどのくらいか知らないや!
「んぷっ!?」
急に両手で口を抑えたニト。
体を強張らせて、その透き通った緑色っぽい青の瞳が震える。
「……おぇ~喉がいはいれう〜」
心配に見ていたら、手を下ろして、唐辛子を食べた時みたいに口から舌を出す。
その目元に涙が溜まっていた。
『大丈夫?』
「あい。らいろーうれう」
舌を出したまま話すから、ちょっとわかりにくいけれど、大丈夫ってことかな?
でもすこし心配だから、ここは魔法で回復させよう!
えっと、たしか――
『
僕の鼻先から放たれた魔力が、輝く小さな雫になって、ニトの頭のてっぺんに落ちる。ニトの体が一度淡く水色に光ったあと、そこには瞳に活気がもどったニトの姿があった。
「わ! ありがとうございます~。これでだいぶ楽に、てぇ!?」
にゃあ! とニトを見ていた猫さん達が、一斉にニトに群がる。
ニトがおどろきの声を出している間に、ニトの顔やら脚やらに自分達の体を擦り付けて、なんだかうれしそう。
ああやって体を擦り付けるのが、好きなのかな?
「な、なんですかなんですかぁ? ちょ、やめて下さいよぉ……もう、しょうがないなぁ〜」
うん! よくわからないけれど、ニトもうれしそうだし、おっけーだね!
しばらくして、満足したのか猫さん達がニトから離れる。
すると、そこには泥汚れが綺麗さっぱりなくなったピカピカのニトが。
「ひゃ〜……あれ? も、もう終わりですか? もうモテ期終わったんですか? 短過ぎません!?」
ニトが離れていく猫さん達へと手を伸ばすけれど、猫さん達はふり返ることなく、追いかけっこをして遊び始める。
ニトが腕を下ろして、ガックリと下を向いた。
袖が綺麗になっていることに気が付いたのか、跳び上がる様に体を起こし、顔を上げると、自分の腕から脚と続いてお腹、すこし無理して背中まで見回して、ぱぁっと笑顔が咲いた。
「猫ちゃんさん、か」
「あーキミ達、ちょっといい?」
すこし熱い鉄板に水を垂らした時みたいな足音で近づいてくるのは、まっくろなヒト。
近くで見たからわかったけれど、ローブに付いた頭巾の影で黒く見えるんじゃなくて、体を覆っている毛が黒いみたい。
頭巾に穴が空いているのか、猫さんみたいな三角の耳が頭巾からピンと出ていた。
そういえば、カンタラにも狸さんの耳があるヒトがいたね。
たしか、ユルビだっけ? いや、キヌタだったっけ?
もしかしたら、このヒトは猫さんの耳があるヒトなのかも。
まっくろなヒトが杖を地面にボスリと倒して、ダボダボな袖越しに顔の前で両手を合わせた。
「うちはシグマ。この森に居候させてもらってる身です。この度はこのデカいの――はなまるが強引に連れて来たみたいで、本当にすんません」
そう言ってシグマは、僕とニト、鳥さん達、いつの間にか僕達のうしろに隠れていた猫さん達へ視線を送っていく。
うーん、どうしよう?
みんなケガもないみたいだし、僕は許したいけれど、ニトや猫さん達、鳥さん達はどうかな?
『みんなは、どう? 怒ってる?』
みんなの顔を見ていく。
ニトは考え中かな。
猫さん達は……シグマの
鳥さん達も、猫さん達と似た感じかな?
「わたしは別に、ヨダレだらけにされただけ、なので……」
「そ、それは……何というか、ご愁傷様です」
ニトとシグマのふたりが、静かに地面を見つめ始める。
はなまるの荒い息が、よく聞こえた。
え、お話終わっちゃったの?
「それより、その、本当にこの森に一緒に住んでいるんですか? あの、
そう言って、ニトは決まりが悪そうな表情で、はなまるにチラリと視線を向ける。
って、え? べつの話になっちゃった!
シグマはピクリと体を弾ませたけれど、すぐに調子を取りもどしたようで、「いやー、ちょっと違います」と右手で袖と頭巾越しに頭を掻いたあと、頭巾を頭から外す。
露わになったシグマの顔は猫さんそのものだった。
ツヤツヤと輝く黒い毛に青いつり目が、頭巾を取った今でも、暗闇に浮かぶ二つの青い炎に見えた。
ヒトじゃなくて、うしろ足で立っている猫さん?
ニトが言っていた“うぇあきゃっと”は、たぶん猫の耳や尻尾もだっけ? まあいいや。
とにかく、ほかの生き物と似た部分を持っているヒトのことだよね。
でも、シグマは猫さんそのまんまに見える。
だから、シグマは“うぇあきゃっと”じゃなさそう。
「これでわかってくれた? うちはけ……」
け? “け”から始まるなにかなの?
なんだろう?
「
シグマの言葉に続けるように口を開いたニトが、シグマにぺこりと頭のてっぺんを見せる。
そしてなにか気になることがあったのか、左手の人差し指を口元に添えて、首をかしげた。
「でも、猫妖精がこんな所で一人……? 寒いの、苦手なんですよね?」
『そうなの?』
「はい。
「そ、それはいいから、キミ達の名前を教えてぇな!」
ニトの言葉をシグマが遮る。
そのあとも、なんだか落ち着かないみたいで、前足を当てもなくしきりに動かしていた。
うーん、なんだか訳があるみたいだけれど、いいや!
先に自己紹介をしないと、だもん!
『僕は若葉だよ! よろしくね!』
「わたしはニト。ニト・ライムアークでございます」
ニトは立ち上がると、前にイデアがやっていたように両手で裾を摘まんで、右足を斜めうしろへ下げて、左脚の膝を軽く曲げた。
これって、あいさつなのかな。
すっごく丁寧な感じがするし、なんだかいいね!
はなまるを怖がって、まだ調子がもどらない猫さん達と鳥さん達を僕が紹介すると、シグマは満足そうに二回うなずいた。
「ありがとうな。さてさて、はなまるも含めて、うちらにはキミ達と事構えようなんて気はないのやけど。そんなら、なんではなまるがキミ達を連れて来たかって話やろ? そこんとこ説明させてもらいたいんですが、いいですか?」
あ、それはもちろん。
一応、ニトの表情を見てみると、ニトも知りたかったみたいで、しきりにうなずいていた。
『うん!』
「そりゃよかった。んじゃ話すんだけど、それはこの場所に理由があるんですわ」
この場所?
辺りを見回す。
開けた場所にたくさんの雪。雪。雪。
さっきシグマが座っていた盛り上がっているところがあって、また雪。
もしかして、あの盛り上がっているところ?
「ここは、はなまるの大切な御人のお墓があって、それはそれは大切な場所なんです」
シグマがそう言って、胸の前で長い袖越しに両前足をボフンと合わせた。
お墓? どこ……って、あそこしかないよね?
でも、さっき座って――
「肝心のお墓はあの通り雪に埋まってるんだけれど、まあ見てくださいな」
そう言ってシグマが右前足で指し示したのは、思った通りの盛り上がった雪の中。
シグマは杖を拾ってそこまで歩いて行くと、杖を使って雪を退かしていく。
杖に触れるとぶわりと煙の様に雪が舞う。
雪の中から出てきたのは、シグマよりすこし背が低いくらいの石。
切り出したものじゃないのか、表面がデコボコしていて、見えるどの面にも文字のようなものが刻まれている。
でも石全体が泥が混ざった雪で汚れていて、この文字のようなものもほとんどが雪と泥で埋まっちゃっているから、なにが書かれているのかは、ちょっとわからないや。
「雪やら泥やら月日やらで、この通りボロボロなんです。綺麗にしようにも雪はあっても水はないし、雪溶かして水作ってもすぐ凍るし、布もこれ一枚しかない。雪でやるにも限度がある。はなまるが体を擦りつけて落とそうにも、崩れそうでおっかない」
シグマがはなまるを見上げながらふる袖には、ローブの色でわかりにくかったけれど、べったりと泥の汚れが付いていた。
「じゃあ誰か綺麗に出来そうな知り合いを呼んで来てくれって言ったら、はなまるが連れて来たのがキミ達なんだけど……一応確認。はなまるとキミ達、知り合い?」
はなまるとシグマは、あのお墓を綺麗にしたいんだね。
で、はなまるは知り合いを呼んで、シグマは僕達がはなまるの知り合いかどうかを聞いている、と。
それなら、もちろん!
『うん! さっき知り合ったよ!』
だから、知り合い!
シグマの前足から杖が雪の上に落ち、倒れる。
「やっぱり……」と小さく溢し、はたりと地面へと両前足を付いたシグマが、大きな声で叫んだ。
「初見さんじゃないか!」
大きく息を吸って。
「初見さんじゃないか!」
二回言った!
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